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「イギリスに吹く新しい風」 7月

 

◆シューマッハカレッジは何故生まれたか◆

 

                                                              伊藤英紀

 

                                    

 

毎週月曜日には必ず、シューマッハカレッジに初老のインド人の紳士が現れる。

彼は、学校から50キロばかり離れたデボン州の北側にある小さな町から通い、古い校舎の二階の自分の部屋で執務にあたっている。

彼の名前はサティシュ・クマール、このシューマッハカレッジの生みの親であり、また、平和活動家として世界的に知られる人物でもある。

かつて彼は、ソビエトとアメリカの冷戦を終わらせることを願って、インドからモスクワのクレムリンを経てアメリカのワシントンのホワイトハウスまで歩くという、実に8000マイル(1万キロ以上!)のピースウォークを行ったことで世間に知られるようになった。

その後、エコロジカルでスピリチュアルな新しいライフスタイルの考え方や、その考え方に沿った新しい社会のあり方などをテーマとする雑誌「リサージェンス」の編集長を務めたり、イギリス土壌協会にも関わり無農薬有機農業の普及に貢献したりと、いまや、平和運動、環境などの分野では、世界的に知られるカリスマにもなっている。

とても多忙な毎日をすごす彼が、シューマッハカレッジを訪れる2日間に決まって行うことがある。

それは、インドの伝統的なベジタリアン料理を作って、学校の生徒たちとともに夕食を共にすること。

もう一つは、その夕食のあとに、新しくシューマッハカレッジに来た生徒のためにピースウォークの話しをすることである。

 

サティシュさんは5歳のころから、母親から料理を習い、そして、大きくなってガンジーの思想を受け継ぐ共同体で生活したときにも料理の経験をしたことから、彼のインド料理の腕前は日本で食べられるインド料理に優っても劣らない。

サティシュさんは、「料理とはスピリチュアルな仕事であり、メディテーション(瞑想)であり、美味しいものを皆で作り、皆で分け合って楽しく食べることこそ、それが大事な栄養素の一つになる」といつも言っていた。そのような過程を経て作られるサティシュさんの料理もまた、素材と香辛料との絶妙の調和があり、単なる栄養価とは違った何かが備わっていたような気がする。サティシュさんの食事に対する考え方は学校の基本方針の一つにもなっており、日々の活動の中で実践されている。

 

 

 

夕食が終わってしばらくすると、大学のスタッフが図書館の机を動かし、サティシュさんの話しの準備を始める。大学の図書館は石積みの古い邸宅の広い居間だったところを改造しており、当時の暖炉やシャンデリアもそのままに残っている。

今は環境、エコロジカルな視点を取り扱った思想、哲学、心理学などの書物がそろえられており、この分野では世界でも他に類を見ない貴重な蔵書となっている。

そのような図書館の真中に30人くらいが輪になって座れる場所が作られ、暖炉には火が入れられる。

静寂に包まれた部屋にキャンドルがともされると、徐々に人が集まりだし、そしてサティシュさんも席に着く。

サティシュさんは話しを始める前には必ず、インドの言葉で感謝と平和の祈りの言葉を唱える。祈りの言葉は短いものであるが、まるで何処までも延々と響いていくかのように実に美しく力強かった。

そして、その場にいる全員とともに10分程度の瞑想が行われた後に、サティシュさん恒例のピースウォークの話しが始まる。

 

それはサティシュさんがまだ19歳だった時のことであった。

サティシュさんは、インドの地方の町のカフェで中の良い友人とともにコーヒーを飲んでいた。

たまたまその時に持っていた新聞に、平和活動家であり、偉大な思想家の一人として世界的にも知られていたバートランド・ラッセルが、ロンドンで反戦と反核活動をしていたところ、当局に捕まえられたとの記事が載っていた。それを読んだ二人は、アメリカやソビエトなどの列強国が行っていた軍備増強や核開発を止めさせるに、自分たちに一体何が出来るだろうかと語り合った末、モスクワ、パリ、ロンドン、ワシントンを歩きとおし、自分たちの身で持って反戦、反核への意思表示をしようと考えたのだった。彼らはすぐに旅の計画をたて、知り合いの事業家からも資金を提供してもらえるよう手配した。準備は万全だった。

 

出発の前に彼らは恩師の所に挨拶に行った。

ところが、恩師は、彼らが立てた計画を聴いたあとに、彼らに思いも寄らぬアドバイスをしたのだった。

それは次の3点だった。まず、お金は一銭も持っていくべきではないとのことであった。もしお金を持っていたとしたら、疲れたらホテルに泊まり、お腹が好いたらレストランに入ってしまう。すると、人と話しをする機会もなくなってしまい、折角の旅の意味も薄れてしまう。

お金が人と人との本当の関係を邪魔してしまうのである。お金がなければ、必然的に人と話す必要が出てくるし、様々な新しい交流がそこから生まれてくる。

そして、それこそ二人の長い旅を助けてくれることになるだろうとのことであった。次に言われたのは、ベジタリアンを貫くことであった。

自分たちがベジタリアンであることを話すと、きっと人々は何故ベジタリアンなのかを聞くことになる。それが、自分たちの非暴力と平和の理念を説明するきっかけになるというのである。3つめは、旅のルートのことであった。二人はインドからモスクワまで出来るだけ真っ直ぐに歩いて行くつもりであった。

そこには険しい山々や砂漠が横たわっている。恩師は、遠回りになるけれども必ず人が住む地域を通ることを薦めた。何も持たずに旅する彼らにとって、道中に住んでいる人達こそが、彼らを生き長らえさせ、旅を続けさせてくれるまさに守護神となるからである。

 

二人は恩師のアドバイスを守り、神とこれから出合うだろう人々だけを信じて、本当に一銭のお金も、その日のお昼の食べ物さえ持たずに出発した。

万が一の事を考えてお金や何かを準備をしていくことは、神との信頼関係を裏切ることだと悟ったからであった。

彼らのささやかなピースウォークは、最初は人づてに伝わり、それを聞きつけた沿道の人たちが彼らを支援してくれた。そのうち地方の新聞社が取り上げるようになり、そして全国紙やテレビが彼らを取材する様になった。

恩師のアドバイスどおり、毎日、様々な人が彼らに寝るところや食べ物をすすんで提供してくれた。彼らは無事にモスクワのクレムリンを訪れ、そしてパリ、ロンドンに向かった。ヨーロッパに入ると、さすがに夜に泊めてもらおうと頼んでも門前払いを受けたり、理解されずに牢に監禁されたこともあったそうだが、必ずその後に助けてくれる人が現れて、彼らを支援してくれたそうである。

そのようにして彼らは、最後の目的地であったワシントンのホワイトハウスまで無事にたどり着き、多大な成果をあげて当初の目的を完遂したのであった。

旅の道中の話しをここで全て紹介できないのが残念であるが、まるで映画のストーリーにもなりそうな壮大な話であった。

 

サティシュさんはピースウォークのあとにイギリスに移住し、先に書いた通り、雑誌の編集、平和運動、エコロジー、有機農業、教育など様々な活動を行ってきた。

そして1988年から、それらに加えてシューマッハカレッジの設立と運営に尽力されてこられたのである。

そもそも大学の名前も、サティシュさんとも深い関係にあった経済学者フリッツ・シューマッハにちなんでつけられた。

シューマッハといっても一昔前の人なので、知らない方も多いかもしれないが、「スモール・イズ・ビューティフル」という言葉ならどこかで耳にしたことがあるはずである。シューマッハは、19世紀から20世紀に急速に発展し世界に広まった西洋文明に強い問題意識をもっていた。

当時、農業では伝統的な農業の代わりに、化学肥料と農薬とを用いた単一栽培、大規模農業を行うようになっていき、経済の面では、お金が全てという弱肉強食の資本主義経済が世界を席巻し、医学の面では、病人をあたかも故障した機械を修理するかのように治療する傾向が強まった。

技術の進歩と快適さを求めるあまり、ごみや環境汚染がすすみ、天然資源の消費も急速に増加してしまった。シューマッハは彼の著書「スモール・イズ・ビューティフル」の中で、その問題点を指摘し、新たな視点での社会・経済づくりを説いたのだった。モノが豊かになる一方で精神面の貧困がすすみ、また環境破壊もいまだに広がりつつある現代においても、彼の考え方は益々重要さを増してきている。

 

サティシュさんの尽力の御陰で、シューマッハカレッジは、シューマッハの思想に象徴されるような、地球環境に配慮しながら、より良い社会を作って行くための新たな視点と考え方を、研究し教育していくことを目的に開校した。

また、新たな社会づくりの中では、スピリチュアルな面も極めて大事であるといった立場をとるのも、他の大学には見られないこの学校の大きな特徴の一つである。

また、シューマッハカレッジでは「知識」の教育は、教育全体のほんの一部にしかすぎない。むしろ、自分の存在、人類の存在、地球の存在に関わる本当の「智慧」を、先人の話しや、学校での様々な体験を通じて自らの中に呼び覚ますことこそ、最も大事な教育であると重視している。

学校の設立の際には、既にそういった分野で活躍していた人たちに声がかけられた。
その中には、NHKでも時々登場する未来学者ヘーゼル・ヘンダーソン、地球交響曲にも登場したガイア理論のジェームズ・ラブロックやリン・マーギュリス、シンクリニシティーの研究で知られるルパード・シェルドレイク、フリチョフ・カプラそしてダライラマといった世界的な研究者、活動家が含まれ、その殆どが今日に至るまで学校の顧問や講師として参加してくれている。開校以来、新たに招聘される講師陣も、自然とビジネスのバランスを研究するロッキーマウンテン研究所のエイモリ・ロビンス、チンパンジーの研究から人間の本質を探求したジェーン・グドール、環境活動家のバンダナ・シバなど、日本でも知られている人も少なくない。

 

実は、日本にもこういう学校があったらなと思うことも多いい。日本も、急速な西洋化の波の中で大事なものを見失しない、食料の問題、年金の問題、経済の問題など、既に様々な面で問題が行き詰まってきてしまっている。

するとそう遠くない将来に日本も大きな転換点をむかえざるをえなくなるだろうが、その時に迷うことなく新たな社会に移行できるためには、シューマッハカレッジのように、本当の「智慧」を探求し実践していく人たちが集まって、共に将来のビジョンを考えることのできる場所が日本にも必要なのではないだろうか。

 

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写真@ 雑誌「リサージェンス」 シューマッハカレッジの講師陣の多くも登場する。日本でも購読することができる。

写真A シューマッハカレッジのラウンジの一つ。アートが各所に飾られ、イギリスらしい落ち着いたしつらえになっている。

写真B 学校では、自然を体験しにフィールドトリップに行くことが多い。これも教育の一環として大事な行事となっている。

 

共生社会への扉

                                                     伊藤英紀
                                                          (エコロジカル・コミュニティ研究)

      <真理が(ロゴス=ローグ)通じる(ダイア)>
       
 あの「スモール・イズ・ビューティフル」を書いた経済学者E・F・シューマッハにちなんで設立された、イギリスの小さな大学院に留学していた時、“目から鱗が落ちる”と言うのはこのことかと心底実感した本がありました。
それは量子力学の巨匠デビッド・ボームが彼の晩年に書いたものでした。その中でボームは、これからの社会の展望を語る中で、人間同士が行なう「対話=ダイアローグ」の重要性を強調しています。これは彼が晩年に最も力を入れた活動の一つです。
「ダイアローグ」のダイアは「通じる」と言う意味を持ち、ローグは「ロゴスまたは真理」を意味します。つまり、お互いが公平な立場にたち、情報をみんなで共有し、相互の意見に耳を傾けて対話を進めるならば、独り善がりや先入観が排除されるばかりでなく、一人では到達し難い、よりふさわしい結論に至る事ができるということです。
ボームはまた「対話=ダイアローグ」は、私達の社会があらゆる過ちを避けるための、最も優れた免疫機能としての役割を果たすであろうと述べています。
お互いの間で何かを決めなければならない場合には、まず相手の意見をしっかり受け入れる事からスタートします。
自分の意見もきちんと主張するものの、相手の意見も自分の意見と同等に尊重しな がら、お互いの合意点を探って行く事がそのプロセスとなります。お互いが相互の意見を十分に尊重するならば、必ず合意に達します。
しかも「対立」するよりずっと簡単に合意にいたる事も可能です。
「共生」とは、「お互いが存在する事によってお互いが生かされている」ことを深く認識し、「自分の存在をしっかり表現しながらも、他の存在も自分の存在と同等に尊重し、共に全体への調和をとりながら生きていく」ことだと思っています。
その意味において、この対話による合意形成は、人間社会はもちろん、人間と自然界における「共生」においても、最も基本となることと考えられます。

      <調和への対話には、小さな単位で>
       
  私達が共生社会をめざすならば、社会の構造もおのずと変わって行くことになります。
対話による合意を重視するためには、大きな集団では不可能です。よりふさわしい小さなサイズの集団にならなければなりません。
また、自分達の活動が他の人々や自然界に及ぼす影響に対して、しっかりと責任を負う必要があります。
そのためには、私達の生活の主要な部分を、できるだけ自分の見える範囲で生産し、消費することが要となってきます。社会のシステムも自己管理し、自己メインテナンスします。
金融も自分達でまかないます。教育もそうです。つまり、自分達の、自分達による、自分達のための、自分達で納得し責任を負える社会を形成して行く事が大事になってきます。
そして、それは意外と小さな地域レベルでの活動となるでしょう。
これは昔の田舎にあったような閉鎖的なコミュニティーのことではありません。また、どこかに理想郷を作ることでもありません。
これからの共生社会への第一歩は、お互いの自由な意思を尊重しながら、今住んでいる地域のコミュニティーを、相互の信頼と協調関係をベースに、より自立的なものに再構築していくことと考えられます。  

      <対立する同士より、隣との協調から>

 それならば、一体何が具体的に変わってくるのでしょうか。
例えば、協調が基本の共生のコミュニティーでは、生産者と消費者、経営者と従業員、店員とお客といった相い対する関係よりも、それらが相互に融合した形が生まれてくるはずです。
その方が必要とされるニーズに合った、質の高い財やサービスを安定して供給できるからです。また、個人が全てに所有権を主張することよりも、無駄をすることなく共有できるものは皆で持つというスタイルが多くなってくるでしょう。
エネルギー資源の利用についても、それは地域で共同で自給自足することが多くなってくるはずです。
このことは、必要なものを必要なだけ消費するといった、新しいライフスタイルをも生み出します。
また、長い年月のあいだに築きあげられた伝統的な地域の文化も、貴重な知恵の宝庫として見なおされてきます。
財やサービスの交換も自分達で管理する交換システムの中で行なわれる様になります。子供の教育も、大規模な画一的なものから、地域の文化と個人の特質、精神的・身体的な発達に合わせた教育を可能とする、地域に支えられた小規模な学校が増えてきます。
協調を主体にした共生のコミュニティーは、私達の社会に豊かな多様性を育み、愛に満ちた生活の場を提供してくれるはずです。地域のひとりひとりは、そのコミュニティーの中に自分の場所を見つけて、コミュニティーを支える大切な役割を担って行きます。そして、その自分の場所と役割は、周囲が移り変わっていくのと同じペースで、常に全体に調和しながら自らも変わって行きます。

      <個と全体の相乗進化>

 まさに自然界の原理と共通したしくみがここにあります。
これこそ本当のエコロジカル社会と言ってもよいでしょう。
ひとりひとりの愛に満ちた小さな活動が集まれば、それがコミュニティーの「質」を高めていきます。コミュニティーの「質」が高まるとそれがまたひとりひとりの精神的、市民的意識を変えていきます。ここには、全体への調和を大事にする個人とコミュニティーとの相互のフィードバックがあり、それが全体を共に進化させていきます。
これは、私達の母なる地球“ガイア”を創りあげてきた原理と全く同じです。実はこれらはもう絵空事ではありません。
世界中の各地で、日本各地で、すでに様々な形で実践が始まっています。
消費者と農家が共同で経営する無農薬有機農業法人、コミュニティーで作る信用組合、地域での財やサービスの交換システム、地域単位のエネルギー供給システム、車などの共同所有、地域全員の合意を前提とする地方、地域で建てた小学校、などの様々な取り組みが、世界中で同時多発的に起こっています。
そこでは実際新しい人間関係、自然界との関係が生まれ、コミュニティー自体も変わりつつあります。これらは、まさに地球規模での変容を実感させる出来事です。嬉しい事に、その変容への扉はあなたの前にも開かれています。そして、あなたが望みさえすれば、この新しい共生の世界にいつでも参加できるのです。
シューマッハやボームをはじめ、多くの偉大な先人達が描いていてきた夢が、いま現実に動き出しているのです。