安曇野便り NO.2 (2000年5月)
    子どもの力を認めるところから
                   長野県南安曇郡堀金村  稲角 尚子

 4月になってから水仙が咲き始めたと思ったら、下旬になって桜や桃がいっぺん
に花開き、チューリップも負けじと色とりどりに咲き誇る。5月に入ったらりんご
の花が満開になり、ハナミズキやフジの花も競うように咲いた・・・寒冷地だか
らこそ、そんな花たちを目にする時の春の喜びもまたひとしおです。
 若芽の季節に山菜を摘んで味わうというのは、その春の喜びを身体全体で感じ
ることなんですね。今まで、山歩きの途中であくまでも運がよければ出会えたタ
ラの芽も今年はたらふく味わえた。コゴミのお浸しはもちろんだけど、フジの新
芽のごま味噌和えがこんなにおいしいとは知らなかった。ヨモギやツクシ、フキ
ノトウは取りきれないし、庭の雑草の中に埋もれているトトキ(ツリガネニンジ
ン)の若葉はくせがなくてすごくおいしい。極めつけが山ウド。葉っぱのてんぷ
らはタラの芽よりおいしい位です。
 それにしても、うちに立ち寄った松本の布団屋さんが「いいとこに住んでるね
ぇ」と言いながら雑草がはびこってきた庭を眺めて「この中で食べられない草は4
種類だけだな」というのにはたまげました。どこかの生物学科のセンセより詳し
いんだものね。しきりに感心して聞いてたら、毎年6月に山菜料理を友人に御馳走
してるから来るかい?と言ってくれました。50種類以上の山菜をその日のために
保存してあるんだそうです。信州にはいろんなおもしろい人がいます。

 春になったと喜んでいたのに、親二人は鼻と喉をやられています。5月はじめに
最高気温が22〜25度になる天気のいい日もあったのにそんな日に最低気温が2〜3
度になったりもします。かと思うと最低気温は9度位なのに最高気温が13度という
肌寒い日もあって、要するに気温の変化についていけないのです。それなのに、
どうして子どもたちはへいちゃらなのか?ハイ、親はついつい車ばっかり乗って
て身体を鍛えてないからです。スミマセン。

 中3の息子がこの春、自力で鶏小屋をつくりました。動物好きな子どもたちが何
か飼いたいというのですが、単にペットというだけでなく実益のあるものがいい
という強欲な母親の主張を取り入れてのことです。大家さんに許可をもらいにい
ったら「ほう、自分でつくるんかい。まっ、何でもやってみることだ」と肩を叩
かれ、以前家族で旅行した時にお世話になって以来親しくしてもらっている穂高
の自然食のペンションのオーナーに廃材を提供してもらい、ほんとにやるの?と
半信半疑の私の心配をよそにホントにつくり始めてしまったのです。ペンション
を自分で建てたオーナーに、水平かどうかを見るには、水平器がなくてもホース
に水を満たしてサイフォンの原理で水平をとるこ

とができるよと教わったり、時々様子を見に来てくれる大家さんに「なかなかや
るなぁ」と褒めてもらったりしながら、結局、幅3メートル・奥行90センチ・高さ1
メートル80センチ(大きさは廃材に合わせてこうなったそうです)の堂々たるも
のがホントに出来たのです。完成した時の14歳の少年の顔がどれほど輝いていた
ことか!!!
 この時、私は「『13歳の力』について思う」と題した朝日の論壇(1998年2月24
日付)を思い出しました(通信14号所収)。それは、あの神戸の事件の時に「13
才という中学生でありながら何と残虐なことを!」と多くの人が驚き様々に論じ
た中で、「幼いはずの中学生がなぜこんな事件を起こすのかと問うのは、問い方
が逆転している。13才には力がある。もっと社会と切り結べる力として再評価す
べき時代にきているのだ」と論じたものでした。
 子どもが13歳や14歳になっても、大人の方が子どもの力を認めずにいたいだけ
なのだと、鶏小屋を前にして私はつくづく思った次第です。子どもだって大変な
力を持っている。それなのに、家庭でも学校でも何と「幼き者」として扱われて
いることでしょう。
 大家さんは、まるで自分の孫の手柄のように近所の人に触れ回りました。そう
したら、何人もの人がきつい坂を登って(おまけに畑のアスパラガスを両腕にい
っぱい抱えて)わざわざ見に来てくれました。そうして「たいしたもんだがや」
と褒めてくれました。こうしたことが14歳の少年にとってどれほどの自信になっ
たことかと思います。
 と同時に、子どもが力を発揮する影には様々な大人の支援が必要なのだという
ことも今回思い知らされました。肩を叩いて励ましてくれた(そして自慢までし
てくれた)大家さん。廃材といってもりっぱな柱やベニヤ板、トタン板を14歳の
子どもに「好きに使いな」と提供し、知恵は授けるけれど決して手を出そうとは
しなかったペンションのオーナー。金網も結構値が張るので無駄になったらもっ
たいないなと思いつつ、口には出さずに(ちょっとは出したかな?いえ、結構し
つこく「ほんまに出来るんかいな」と言ってたそうです)資金を出した私。仕事
から帰るとすぐに作業場所を覗いて「おっ。たいしたもんやん」と毎日褒めちぎ
る父親(この人はたとえばテストで子どもがどんな点を取ってきても「たいした
もんや。これだけ出来れば上等上等」と言うのが口癖)。そうしてわざわざ見に
来て褒めてくれた近所の人たち。・・こういった大人たちに子どもは育てられる
んですね。
 3週間近くあった春休みのすべてをこの鶏小屋づくり(企画、下調べ、設計、制
作)に費やし、新学期が始まって久しぶりに鉛筆を握ったら「手が震えた」とい
う中3生ですが、ひとつのことをやり遂げた自信は何にも代え難いものになったと
思います。
 
 柱を建てる時に支えたり鋸を引く時に材を持たされたりして、時々否応なしに
助手にさせられた弟(小6)と妹(小3)だって、「助手」じゃなくて自分が「親
方」で何か作りたいらしく、鶏の世話や観察用という椅子(小6の子)やずっしり
重たい大型の船(小3の子)を作りました。子どもが「手伝い」ではなく、自分で
考えたことを実行しそれが完成する。それこそが満足につながるということがよ
くわかりました。

 さて肝心の鶏の方ですが、茶色の卵を産むという(食べてもおいしいらしい)
イサ・ブラウンという鶏の雛を雄1羽・雌5羽で飼い始めた子どもたち。毎日庭で
放し飼いをするものですから、草取りをする私たちの手元に突進してきてミミズ
やヨトウ虫などをついばみ、それはそれは幸せそう。特に鶏小屋を造った上の子
は雛たちと同居しかねない勢いで、登校前に世話をし、下校したら玄関に入る前
に鶏小屋を覗き、そして放し飼いにしながら草を刈って小屋の中に敷いてやった
りと忙しく・・・と、ここまではよかったのですが、4月下旬から飼い始めて3週
間経った日曜日の朝起きたら雛たちがいません。ベニヤ板が破られており(かじ
ったような跡があった)、鶏の羽根が散乱していました。なんとキツネにやられ
たらしいのです。どうも近くに巣をつくっているキツネが4匹の子どもを連れて来
た様子。庭のドウダンツツジの下で声も出さずにうずくまっていた1羽の雌の雛だ
けが助かりました。どこかで同じように恐怖のあまりピヨとも言えずにうずくま
っている雛がいるかも?とさんざん探したのですが見つからず。
 イタチがいるから気をつけて隙間のないように小屋をつくるんだよとは言われ
ていたけれど、まさかキツネにやられるなんて。子どもは父親にコンパネを買っ
てもらい、黙々と補修していました。助かった1羽の雛を抱いてそっと涙を拭って
いたのを私は見て見ぬふりをしたのは言うまでもありません。
 すぐ裏の林には猿がいて(しょっちゅう面会します)裏山に分け入るとイノシ
シの糞もそこここにあります。上の子がヒメギフチョウの卵を見つけ、幼虫がエ
サにするウスバサイシンの葉が足りなくなって父子で取りに行ったら20メートル
も離れていないところにカモシカがいたり、物置に1メートル50センチほどもある
シマヘビがお出ましになったり・・・ここは確かに自然を身近に感じることが出
来ます。でも可愛がっていた鶏をキツネに奪われたりするというのも、もうひと
つの豊かな自然の現実。親子共々本当に勉強になっています。
 では、学校のこと次回は必ずお便りしますね。
 
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