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始めてみよう、自然農

2017安曇野自然農塾

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 A草を刈る種をまく 

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安曇野の大地から 畑の様子と自然農学習会のレポートをお伝えします

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1月29日〜31日の日程で行われた、自然農の学びの会のレポートです。

明科の小田詩世さん(パーマカルチャー安曇野塾講師)レポートです。


昨年の塾で、皆さんが出してくれたレポートの素晴らしさには及ばないとは思います
が、たくさんの素晴らしい話しを聞いて来ましたので、皆さんにもお伝えしたいと思います。
(レポートの大変さを、思い知らされました!)
足りないところは、稲ちゃん、補ってね!

年に一度、全国から自然農の実践者が集まる、この妙なる畑の会は、今年で13回目だそうです。
毎年持ち回りで行われ、一昨年は福岡、去年は静岡、そして今回は徳島、次回(今年の秋)は
やっさんの通っている三重の赤目で行われます。
今回集まったのは、150名ほどで、自然農を始めて間もない人から、専業で自然農
に取り組んで十数年以上にもなるベテランの方まで、そして北は山形から南は宮崎ま
での方が一堂に会して、3日間共に学びあいました。

一日目は徳島で専業で自然農をされている沖津さんという方の田畑を見学しました。
13年目というその田畑は、去年の台風の影響や沖津さんの側の事情で、今年は農業
を始めてから一番作業が遅れているという話でした。
種まきが遅れ、手の廻っていないそんな状態の田畑を見せなければならないのは本当
に恥ずかしいとおっしゃっていましたが、ありのままを見ていただくというその姿勢
に、かえって沖津さんの、いろんな事情があった中で、精一杯やってきた自分に対す
る自信のようなものを感じ、その潔さがかっこいいと思いました。

沖津さんの所の耕作面積は畑6反、田んぼ4反。
(1反=300坪≒1000u)
夫婦2人でやっていらっしゃいます。ちなみにお子さんは3人。
もちろん、自然農ですので機械は一切つかわず全て手作業です。
3年かけてすべてを自然農に切り替えて、今年で13年目とのことでした。

いろんな方の自然農の田畑を見学させてもらうと、その地域地域で、またその人その
人で、やり方が違うんだなあと思います。
三井さんのやり方、臼井さんのやり方、前回見学した静岡の高橋さんのやり方、
そして今回の沖津さんのやり方。
決まったやり方は無い、基本的な考え方からはずれなければ、やり方は人それぞれで
す。
自分なりの方法を皆それぞれ工夫してやっておられます。
畝の作り方、種の蒔き方、草への対応の仕方など・・・
初めは教わったようにやって、だんだん自分の畑の状態にあわせて、自分やり方を見
つけていくのでしょう。
それは誰かから教わるものではなくて、お米や野菜を育てていくうちにわかっていく
ものなのでしょう。
でも、まだまだ初心者の私は、人の田畑を見て、たくさんのヒントをもらい、自分の
ところに帰って、その真似をしながら自分なりのやり方を見つけていっているところ
です。

今回は2泊3日で、1日目は見学、2日目は質疑応答と議論、3日目は川口さんのお
話し、というスケジュールでした。
2日目の質疑応答は、参加者の誰かが質問を出し、それについて参加者の中の誰
かが答えていくという形で、誰が先生で、誰が生徒でという形ではなく、参加者全員
でその問題について話し合うというやり方でした。
初めは虫害のこと、草のこと、種のことなど具体的な技術面に関する話でした
が、だんだんと、生き方についての話へと発展していき、深い深い学びあいとなりま
した。
自然農は生き方であり、思想なのだと思いました。
ある意味、迷える子羊を救う宗教のようなものです。
私自身も、救われたような気持ちになって、帰って来ました。

見学の間も、話し合いの間も、川口さんに、と質問を向けられたとき以外は、自ら前
に出ることはせず、ずっと傍らでただ黙って見守っていらっしゃった川口さんは、本
当の意味での指導者だなと思いました。
本当に偉い人は、自分のことを偉いようには振舞わないものですね。
いつも、ともに学ぶ、という姿勢でいらっしゃる方です。

以下、レポートは田畑の見学で聞いた沖津さんのお話し、2日目の質疑応答、3日目
の川口さんのお話をメモしたものの中から、拾って箇条書きします。
抜けている部分もたくさんあり、前後の流れがわかりにくいかもしれませんが、ご了
承ください。
これらの言葉が皆さんの心にも、きっと響きますように。

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第十三回 妙なる畑の会 メモ

●自然農とは、自然の営みを大事にする農業。不耕起草生栽培ということだが、その
方が土地が豊かになる。
生き物の量が増えるので、そこで育てると育てやすい。(沖津)

●自然農をしてだんだん土地が肥えてきて、米ぬかを振ってもそれが過ぎて(過剰
で)虫がつくようになったら、木酢液かけたりしないで2〜3年放っておくと、作物
が自然の姿で育つようになる。作物の健康な姿を知っておくこと。大きければよい、
また小さければよいというものではない。これでいいんだろうかと求めていればわか
るようになる。必死で求める。理屈ではなく、本にも書いていない。美の鑑賞能力の
問題。(沖津)

●いらん事しなければ、必ず育つ。(沖津)

●野菜は自然に育つ。いらん事するから育たない。いらん事している場所では育たな
い。そういう場所も時間がたつと育つようになる。最初はできないが、できるように
なる。(沖津)

●虫に食われるのは、虫がいるからではなくて作物の問題(土地の問題)。作物の生
(しょう)が狂っていると虫に食われる。作物が健康に育っていれば、隣でどんなに
虫食いの作物があってもこちらには虫は来ない。(沖津)

●自然農の畑で虫害が出るのは、浄化能力が大きいから。ちょっと妙なものができた
らすぐに浄化される。それが被害のように見える。ほうっておけば出なくなる。虫害
にたくさんあったほうがよい。虫害にあうべき作物はあわなければならない。自然の
中で勝手に育ったものが、よい、健康な作物。虫害また有難し。(沖津)

●多かれ少なかれ食べられる。一つの虫が大量発生するのはバランスがくずれている
から(刈り草の敷きすぎなど)。起きてしまったことは、そのままほうっておけば浄
化される。その虫たちの営みが調和を保つ。(川口)

●一つの畑すべて草を刈ったところ、コオロギの大被害にあった。それ以来、夏に草
をバーっと刈るのはやめた。虫の声を聞いて避ける(三井)。

●今を生きているときは、コオロギの声が聞こえる。(沖津)

●「草によって目の敵にするものがあるか」・・よく聞かれるが、ない。何が生えて
も一緒。草にもみんな役割がある事がわかる。一つ一つの草が土地を豊かにするため
に生えている。荒地には荒地の草。だんだん変わっていく。バランスをくずした土地
を浄化してくれている。ヨモギも、土地が豊かになれば消えていく。上がごつい草は
下もごつい。どんどん土地を豊かにする。セイタカアワダチソウなどは、日本の土地
を豊かにするアメリカからの救世主(!?)。邪魔になるものは抜いたり、刈ったり
する。自由。イネ科のごつい草は、管理が大変だが土地を豊かにしてくれる。(沖
津)

●家庭菜園は、場所が狭いのである程度のリスクはある。無理して作ると、バランス
を戻そうと自然界が働く。虫が出るほど肥えているところにはタマネギの苗床は作ら
ないで、窒素好きなトウモロコシにするなど、適地適作にする。(石黒)
*石黒さんは富山県の山奥で、電話も電気も無い暮らしを家族でしていらっしゃる方
で、5人いるお子さんは、学校にも通っていないそうです。

●虫害は作物の問題が一番大きい。ほったらかしで何もしていないところは虫害が出
ない。ちょっとくたびれたら草を生やして休ませる。全滅するほどの害になるのは作
物の問題。過ぎたところに出る。(沖津)

●有機農業は農薬、化学肥料を使わないというだけ。安全というのは、無農薬である
というだけではない。自然の調和を欠いた作物は安全ではない。虫が出るというのは
何かいらん事をしている。余計に与えている。(福徳)
*福徳さんは、有機農業歴40年の、徳島でも有数の有機農家の方です。
●結球ハクサイがきれいに巻いたものがよい、という頭がよくない。結球しなくても
よい。(福徳)

●教えてもらわないのも大事。畑で必死で悩むと、あるときぱっと分かることがあ
る。ちょっとくらい聞いてもうまくいかなかったりする。(沖津)

●虫をつけるのが間違いで、虫を憎いと思うのが間違い。野菜ばかり作っていると天
敵の住処がない。草が無いとだめ。虫がいろいろ出ると草を生やせばすべて解決す
る。自然が一番。作物には相性がある。例えば麦とウリ、オクラと青じそなど。(福
徳)

●状況、状況が違う。かかわっている人も違う、天候も違うので、それぞれやり方は
違うが、思いが答えを見つける。しかし根本のところの答えが必ずある。一枚の田畑
の中の環境だけではなくて、周囲の環境にも影響されての虫の問題。でも環境は変
わっていく。問題も毎年変わっていく。
作物同士の相性は、いいと思っていても悪かったり、悪いと思っていても、よかった
り。見えないところでの働きがある。(川口)

●有機物(人糞尿)をどこへ捨てるか
米、ご飯一杯よりも、排泄物の方が土に近い。自然農の田畑はそのくらいは浄化する
能力がある。何ぼでも浄化できる。好きなようにしたらいい。食べた分は入れたらよ
い。でも取れた分より余計に入れたら養分過多になる。度を過ぎたらダメというだ
け。自然界には捨てられる場所がある。浄化してくれる。(沖津)

●自然農でやっている田んぼに排泄物をやると問題ない。耕起すると、できすぎるの
で控えた方がよい。うちは
3ヶ月に一度汲み取る。3反分、2人。(有田)

●命の世界ではどうなっているか。どのように食べ、出し、死んでいくのか。私達も
一枚の田んぼの中で生かされていると考えればよい。専業農家の場合は、少し問題を
生じる。
一人は一人、一家は一家、地域は地域、国は国。生かされているところで食べて出し
て死んで・・・巡る。一切問題は起こらない。
冬の間に巡らせるというのは、本来の自然からは外れている。本来は田畑に行ってす
ればいいが、そういう訳にはいかないので。
回中の問題は、耕して、虫をじゃまものにすると問題だが、草々、虫々がいて、そこ
へ巡らせると問題ない。巡らせる場所を少し配慮して。作物を作っていない、休ませ
ているところへ巡らせる。(川口)

●月や星を見てやる農法(シュタイナ―農法)について。月や星の影響もあるが、そ
れよりも太陽の影響が一番大きい。暦にとらわれると楽しさが減っていく。やがては
暦から離れて私の感覚で畑へ行って種を蒔く。(川口)

●収入について、子供の教育費について(自然農でどのくらいの収入が得られるの
か、
子供の教育費が高いので不安)
子供の最高の教育は親の生き方。親がどれだけ胸をはって生きていられるか。子供の
教育を考える前に親の生き方を明らかにすること。親が今日の一日をどう生きるか、
そこをあいまいにして子供の教育は無い。
親が幸せに何の問題もまねかずに生きていれば、親の真似をすればよいといえる。先
のことは心配しなくていい。先のことを心配し始めたらきりが無い。そのときは何と
かする。台風でも一緒。来る前からあたふたしてもしょうがない。来たら来たときに
対処する。受け入れる。何がどうあってもいける。何が起こってもたいした事ない。
家が壊れたらそのとき考える。その時その時精一杯、一番いいようにやる。(沖津)

●お金が一千万あれば安心というものではない。お金がいくらあったらいいかは分からない。
お米がたくさん取れることと、百姓が豊かに生きることは別。
ここで自分が自分をちゃんと生きているから安心。上手に農作業ができる。お客さん
を思いやれるからお客さんが喜んでくれて、お金をくれる。お金がついてくる。起
こったことは受け止める。十全に生きる。それで地位が保証される。一日一日自分を
生きつくす。それを重ねていく中で地位もお金も保証される。
このごろは、お客さんの数なんて何ぼでもいいと思う。毎日毎日精一杯。農業で、日
本の国で心底豊かに生きていける道はあると思う。(沖津)

●行き当たりばったりと、今を生きるということは違う。将来に向かって必要なこと
を今、全部した上で起きたことを受け入れる。沖津さんは、やるべき対策を全てやっ
た上で台風を受け入れている。(石黒)

●本当の教育が何なのかをまず考えた上で、高校へ行かせるか、大学へ行かせるか。
教育費がかかるというのはどういうことなのか・・・。子供は親に金がなかったら、
金を
出せとは言わない。(石黒)

●三井さんのレポートの中に、「地震、大津波など様々な出来事についても、それを

服しようという考えにはついていかない生き方もある」とあるが、それについて。
都市というのは人の手に負えない作りになっている。地震のあと重機が無いと片付け
られない。人の力だけでは何もできない。常に大型機械を用意しておかないといけな
いシステムになっている。新潟にしても、地滑り地帯に住んでいるという意識があっ
たのか。地球のやわらかい表面に私たちは住んでいる。
トラクターを使っていたときはトラクターを使うようなシステムの中にいた。トラク
ターを手放した時、虫の声が聞こえた。コンクリートでわざわざ固めなくても、崩れ
るところは、崩れる。(三井)

●不安ゆえに次の一歩を踏み出せない。不安ゆえにいろいろな対策を立てる。しかし
本当に不安があるのかを明らかにする必要がある。不安が無いなら、不安にならない
ようにしなければならない。
不安への解決の仕方は、自然の理に沿ったやり方でなければならない。例えば、コン
クリートで固めるのではなく、石積みにする。コンクリートで固めたから絶対に崩れ
ない訳ではない。崩れたとき、石積みなら積み直せる。石油に頼らないで農耕生活を
するのに必要な道具は、すでに用意されている。自然の恵みを上手につかって手作業
でできる。その道具はすでに用意されている。
生きていることそのものが、うっかりすると不安になることがある。お金があって
も、周囲が整っていても。
周囲が整えば整うほど、精神が弱くなる。周囲を整えずに、自分に力をつければ不安
はなくなる。何にもすがらず、私が一人で強く生きていけるようになる力は、不安に
陥ったときに養われる。人間社会の中ではなくて、大自然の中で私の命を一人で生き
ることができるかどうか。(川口)

●不安な気持ちは有難い。その気持ちをあいまいにしないで、正面から受け止めたと
きに成長して行ける。本当はどうあるべきなのかということを考える。(沖津)

●私のありようを正すことをしなくて、他人を正しくすることなどはできない。(沖
津)

●向こう側の不安を解決しても、不安になる私がそのままだと不安はなくならない。
動物的本能は退化している。ある部分では発達しているが。不安は一生つきもの。
(川口)

第三日目 川口さん講演より

●夜が明けるのを目で見なくても体で感じられる。自然と一体なので。今朝、昇る太
陽に雲が赤く染められていた。染められる雲と、染める太陽と、私も一体となってい
る。

●一枚の田んぼの中でお米だけが育つのではなく、他のたくさんの命があって、その
中でお米も生きていることができる。どのような草が、どのような小動物がいればい
いかなど考える必要はない。草々、虫たちとともに私達も生きることができる。生き
るに必要なものは自ずからその場にもたらされ続ける。他の命をじゃまにしなければ
自ずから用意される。

●肥料分というのは次の命が生きるのに必要な一つの要素に過ぎない。それは耕さな
ければ表面の土にすべて用意される。養分も、微生物も自ずから命の営みによって用
意されている。肥料分以外にも必要なものがある。耕さなければ動植物の死体がかさ
なっている。死体を食べる生き物がそこに存在する。その死体は朽ちていく。その朽
ちていっている場所にお米は根をさして生きていく。過去の命の営みを舞台にして
育っていく。肥料、水分、酵素の働き、微生物、水はけなど必要だがそれ以外にも必
要なものはあり、それは耕さなければすべて用意されている。他の命が生きているか
らお米が健康に生きていける。空気や水や肥料分だけでもキャベツやお米は育つが、
十全に生きることはできない。

●過去の命の続きの上で私達は生きている。耕すことは過去の命の舞台を壊すこと。
耕さないことによって、次の命が約束される。

●草は欠かすことのできない存在。足元を豊かにしてくれる。草は命を全うしてあげ
るのが本来。
田畑に於いても全うしてあげる方が田畑はいい状態になる。一生まっとうさせてそこ
に寝かせば、そこは次の命を育てるのによい状態になる。例えば途中青いうちに刈っ
て寝かせば、バランスは崩れる。アブラムシが作物をおかすのではなく、アブラムシ
に侵されるような余計なことをした。青葉が茂っている頃に刈った草と、一生を全う
したあとの草では違う。一生を全うした草は、若い頃に無かったものが作られてい
る。また、いろんな種類の草があると、調和を保つ。いろんな成分がある。わざわざ
マメ科の草を育てて、窒素を持ってこなくてもよい。
マグネシウムも鉄分もカルシウムも、自然にしておけば全て用意される。

●田んぼのいろんな小動物は、他から持ってこなくても、条件がそろえば自然にそこ
に誕生する。たくさんの小動物の死骸は次のお米の糧になる。草だけではだめ。小動
物もいなければ。小動物の排泄物も落ちる。その排泄物を食べる生き物もいる。

●生かし合いの関係は殺し合いの関係。作物が小さいときは草を抜く=死に追いやる
=殺す。このことをやらなければならない。きれいに殺す=きれいに草を取る。お米
を食べる=お米の命をもらう。お米を殺して、自分が生きる。草も私も一体であり、
別ではない。最小限度の他の命をもらって生きる。

●人間の体の中で、皮膚・内臓・骨・・・個々別々であるが、一体の営みをしてい
る。両方が真実。
両方見えてこないとだめ。自然農の田畑に立っていればわかってくる。自
ずから知るようになる。思い巡らせるだけでは納得が入らない。自然界に身をおいて
それを体得する。言葉を通して理解すると同時に身体を通して、経験を通して納得で
きる。認識が欠落すれば、体が知っていてもわからない。体得がなければ認識があっ
ても、納得が入らない。
野に立つ人は自信を持てる。どんな偉い哲学者でも、野に立っている体験の無い人は
本当のことがわかっていない。今に信を置けない。私に信を置けない。自然界に信を
置けない。野に立っていない人はすぐわかる。

●野に立っていれば、その定めの中に入るので、どうしたらいいかとか考えなくても
自ずからわかるようになる。
基本のところのものを手に入れることができる。必ずしも田んぼに立たなければいけ
ないことは無いけれど。

●「問いを生きるのではなく、答えを生きる」とは?
問いは大事。命の本質に基いた問いは大事。例えば、食べ物の安全性、環境問題、資
源の問題・・・と言う問いを発する事は大事。でもいつまでも警鐘だけではいけな
い。
答えが明らかになったら、少なくとも私はその答えを生きなければもったいない。全
ての人がその答えを生きられるかどうかはわからないが、少なくとも私は答えを生き
る。人の命は短い。もったいない。
喜びのうちに一生を全うしたい。道筋が明らかになったならば、そこを生きないと
もったいない。状況がいかであれ、私は私の答えを生きる。


さいたま丸ケ崎自然農の会の山本さんもレポートをアップして下さっています。
田畑見学の様子や沖津さんのコメントが詳しく出ています。


詩さん みなさんへ

いねこです。
こんにちは。詩さんすばらしいレポートありがとうございます


あの3日間が蘇ってきました。

学習会は、農業として専門にされておられる方や、自然農の会に参加
されているかたがたくさんおられ、パーマカルチャー塾とはまた異なった
雰囲気でしたが、とても有意義な学びの場でした。

最初学習会がスタートするときに、沖津さんが、自己紹介を兼ねて
ご自身のレポート(学びの会の自己紹介レポート)を読まれ、
私はそれだけで、じーんとなって、学習会では、
熱いパワーの沖津さん、暖かく見守るような川口さんの
お話を聞き入るばかりでした。

そして、なんだか、シャロムの朝の臼井さんの
畑ツアーを聞きたくなったのでした。

以下少し沖津さんの言葉を紹介します。
「自然農をやるのはよいなぁと思います。年を重ねて益々です。・・・
自然の営みを大事にする、他の命を大事にする農のありよう、自然農。
作物なんて、はじめから健康に育つようになっていました。
そんな田畑で働いていますと、自然の営み、生命の営みの素晴らしさ
を思います。各々の生命が、各々の生命をただ全うしているだけの
自然界、生命界。その素晴らしさ、架けることのない完全な営み。
なるほど、私もただ私をまっとうすればよいのだということに気が付きます。・・・・・・・・・・
私を思いやることは、他を思いやることと同じでした。
執着を超えて、私が私をいきられるかどうか。今、今、今を生きることができるかどうか。・・・・・・・・・・」


畑の見学では、沖津さんは野菜について、
「健康な野菜であればよいのです。小さかろうが。
健康であれば虫もつかない。虫がでるのは
生態バランスをとるためなのです」
とよく強調されていました。

第13回妙なる畑の会のテーマは
「今を生きる」でした。
会の最後は、「問いを生きるのではなく答えを生きる」
という言葉でした。
自然農は農を超えたところに本質があるのですね。


臼井さん、詩さん、スタッフの五日市さん
こんなすばらしい機会をありがとうございました。

いねこ

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