舎爐夢ヒュッテの日記とGUESTのページ

1999年6月28日 曇り 気温 24度

ヨアヒム・ブルーネ先生のシュタイナーの勉強会がシャロムで行われました。会場は緑に囲まれたホームグランド 皆さんリラックスしての勉強会でした。 シュタイナーとの出逢い自己紹介が行われドイツにおけるシュタイナー教育の現場の声を学びました。

子供の力引き出して       1999.7.4 信濃毎日新聞
松本・穂高でシュタイナー教育学習会
音楽や詩、絵など芸術的な要素を取り入れながら、子どもの生きる力を引き出すシュタイナー教育。詰め込み教育や偏差値主義への反省から、日本でも注目を集めている。海外のシュタイナー教育の現場はどうなっているのだろうか。ドイツのシュタイナー学校で現役の教師として活躍するヨアヒム・ブルーネさん(49)がこのほど、松本市と南安曇郡穂島町を訪れ、自らの教育実践を語った。ブルーネさんは、大学の助手などを経て12年間、デュッセルドルフのシュタイナー学校でクラス担任を務めている。今回は、中信地区のシュタイナー教育を学ぶ会の招きで同市町を訪れた。「シュタイナー学校では、詩の朗読に力を入れている。詩のリズムを子どもたちが心で感じ、体でわかるようになることが大事だ」。ブルーネさんは、アルファベットを覚える時も、「ABC」の順番ではなく、母音である「A」や「E」などから始め、音の持つ響きをじっくリ感じてもらうと説明した。読み書き計算など頭で覚える教科以上に、手足や体を使った理解を重視している。知識の詰め込みはせず、一つのテーマをじっくリ学ぶのも特徴的だ。大学進学の際に知識量の少なさが問題になりがちだが、一つのテーマにじっくり取り組むことで、他の分野にも応用できるという考えに基づいている。ブルーネさんは「受験勉強は、生徒の自覚さえあればクリアできる。自分が何になりたいか。それを自分の意志で決めることが重要」と強調する。シュタイナー教育について、ドイツ国内での受け止めはさまざまだ。コール前首相ら著名な政治家の子どもがシュタイナー教育を受けたり、学校の設立が増えるなど、社会的な受容が進む一方で、偏見もまだあるという。子どもたちの受け止め方も多様だ。ブルーネさんのおいとめいもシュタイナー学校を卒業したが、おいは「人生への価値基準を与えてくれた」と肯是的なのに対し、めいは「退屈だった。もっといろいろ学びたかった」と話すなど正反対の評価に分かれたという。ブルーネさんは「自分の存在を大切にし、人生に真剣に取リ組む子どもを育てたい。子ども一人ひとりが持っているものを引き出すのが、シュタイナー教育の目的だ」と話した。

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1999年6月27日 あめ 気温 24度

カントリーウォーク安曇野 信濃追分 立足 1999.6.27.

あいにくの雨にも関わらず参加者は14名 当日長野、東京からの参加もあり雨の中のカントリーウォークになりました。追分駅は大糸線の中でも素敵な駅舎の代表です。

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雨の為 車で細野美術館近くまで移動し出発です。地元のクラフト作家の作品を集めた作家屋さんに立ち寄り森の中を有明美術館まで歩きました。

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 雨でもけっこう会話が広がりました。役場に勤めている高山さんの案内などもあり 昔の古厩、立足の様子も話していただきました。

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諏訪神社でみんなで昼食 記念写真を撮って 再び森の中を歩きました。雨でもけっこう楽しいカントリーウォークになったとの感想が聞かれました。

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1999年6月26日 曇り 気温 24度

とても素敵な絵手紙が来ました。先週絵手紙の講習をシャロムでやったのですが そのときの講師の方の手紙です。E-mailにはない暖かさと安心感があります。やっぱり愛を伝えるものは素晴らしい。

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ヨアヒム・ブルーネ先生のシュタイナーの勉強会が行われました。優しい語り口と現場で実践しているシュタイナー教育者としての威厳を感じました。

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夜は山浦さんを囲んでのカントリーウォークの紹介が行われました。穂高町の航空写真を見せていただき町づくりの話にも発展しました。夜から雨になり明日は雨のカントリーウォークになりそうです。

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1999年6月25日 雨 気温 24度

日曜日のカントリーウォークに向けて会報の印刷やなにやらで1日がすぎてしまった。カントリーウォークの掲示板もでき資料と共に掲示できるようになった。明日あさってはシュタイナーの講座があり、カントリーウォークと重なって忙しい一時です。ドイツから来たヨアヒム・ブルーネ先生の講義も楽しみです。

1999年6月24日 雨 気温 23度

昨日から降り始めた雨で今日1日続きました。畑にとっては恵みの雨です。撮影がありましたが雨で大変だったようです。efの撮影です。

9時頃から飯田の医院 野口先生の所へ出かけました。21世紀を見据えた医療を実践しており共感するところがあります。詳しくはまたレポートします。

足立さんsaid

ちょいと久しぶりに、じっくりと読みました。
農作業のレクチャーは熟読玩味です。
「シャロムの時代がきた」、は気が早いかとも思いましたが、これ
までシャロムが重ねてきた実践の量と質を思えば、むべなるかなで
はあります。
実際身近なところでも、何かといえば有機農法に関心を寄せる奥さ
ん、教育の現状に不満を貯めて自主的な教育セミナーに出向く奥さ
んと、顔は皆同じ方をむいています。

KEN said

舎爐夢(シャロム)ヒュッテの臼井健二です。
高い視点で見守って下さる方がいると言うことはとてもうれしいことです。
いろんな意味で変革の時期を迎えているのだと思います
今まであまり見向きもされていなっかったことが重要であり見直されている時代なの
だなあと思います。
農業の分野をっとっても効率だけを考えると 草虫は敵で歓迎されるものではないと
されました。
しかし 全体 生態系 という高い視点に立つと人間がむしろ じゃまと思っていた
ものが役立っていたりします。
雑草も水分を保有し草マルチをして小動物のすみかとなります。そのことで作物だけ
虫に食われると言うこともなくなります。芽のでた頃は草に負けないように手を貸し
てやらねばなりませんが 少し大きくなると共生できます。それは人の成長と同じだ
と思います。子育ての頃は慈しみの心が必要ですが 自立してしまえば見守ってやる
だけで充分です。
草の根は大地を耕し肥沃の地を作ります。肥料も耕耘も必要でなかったのかもしれま
せん。
人も共生していけば生態系で孤立することもないのでしょう。
まあ人間もすべてのものの一部ですから

ではまた


1999年6月22日 曇り 気温 24度

メール送信のお手伝いをさせていただきました。

ちょうど梅雨の晴れ間にいま、安曇野に来ています。
2,3日は雨を決めつけていたのに幸せ一杯。ーーー穂高の連なる峰を一望にここは
もう20年という舎爐夢(シャロム)ヒュッテの朝を迎え、自然食を腹一杯にしたと
ころ。
こだわりのオーナーには昨日から教わることばかりです。9月の個展は楽しみにして
います。
ここは山羊とアヒルと犬が共存しています。
早い機会に一緒に泊まりましょう。素晴らしいヒュッテに泰世さんも感動しますよ。
父より

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中京テレビの安曇野の取材がありシャロムも少し紹介されるようです。6人のクルーで「心にエールふるさと夢図鑑 穂高町」7月31日朝9時25分に放映だそうです。名古屋方面の方見ることが可能です。

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1999年6月21日 曇り 気温 24度

連泊の多い1日でした。沢山の本に紹介されシャロムの時代が来たのかなあと感じます。
今月発売の雑誌です。

secsa 美味しい隠れやリゾート 婦人画報社
アルファー オリジナルの器を作る ガラスの里安曇野へ 旅行読売
ユーシーエスプレス 自然食 ユニカードサービス
ヒーリングリゾート 美味しいオーガニックホテル 世界文化社

1999年6月20日 曇り 気温 24度

雨がやんでさわやかな1日でした。

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@新たな時代は
  
ごく普通の人々(ベリー・オーディナリー・ピープル)の草の根ネットワークから

A 一人の一歩が時代を創る
     
 「新たな時代の流れを創ろう」
  ―― 脱競争・パートナーシップ社会に向けて ――

1900年代最後の年21世紀を目前にして、時代が大きなうねりを上げて変わろうとしています。表面的には不況によるリストラや金融問題、教育・医療等全ての分野でゆきづまり身動きが取れないような閉塞感ばかり目につきますが、崩壊しつつあるのは古い価値観であり、システムです。
胎動している声に耳をすませば競争原理の社会から調和的、創造的な社会へ移行しつつある時代の底流が聞こえてきます。歴史のバイオリズムとも言うべき大きな変革の波と、新たな時代の価値観、そしてすでにあちらこちらで起こっている次の時代の萌芽ともいえる動きを、多くの方と共有確認してゆきたい。そして今がワクワクするような変革の時代であり、新たな時代の流れを私達ひとりひとりが創ってゆける面白い時代であることを実感し、出合い、ネットワークの広がりでより豊かなものにしてゆけるような、脱競争社会へのもう一つのガイドラインをつくるきっかけになればと今回8月1日にシンポジウムを開催します。

このホームページはそんな脱競争・パートナーシップ社会を目指したいろいろな分野の流れの一端が一覧できる新時代への目録のようなページにしたいと願っています。
新たな時代を目指していろいろなことをしている人やグループが沢山あります。
でもどこで、誰が、どんなことをしているか分野が異なると ? です。それが一覧できれば今起きている流れがより明確になり、もっとネットワークが広がり、新たな動きがはじまるきっかけになるのではという思いと、8月1日に開くシンポジウムの前にホームページ上で知り合い意見交換もできればより深まり、時代の底流を潮流にしてゆけるのではとの想いに、シャロームの臼井さんが共鳴してページ作りを買って出て下さってこのホームページは生まれました。
強者の論理で無い社会、多様な、いのちが活かされる社会を目指し、不測の折には受け皿になりあえ、未来の子供達に残せるより深い豊かな社会を創る礎となるようなネットワ−クの広がりを願っています。
なかまになって下さいませんか?
                    ほ・の・ま 鶴田紀子
                    e‐mail : honoma@mb.infoweb.ne.jp

 と き:1999年8月1日(日) am10:00〜pm5:00
 ところ:名古屋国際会議場 141会議室
    名古屋市熱田区熱田西町1−1 TEL(052)683−7711
会 費:2500円、学生及びそれに準ずる人1000円 

第一部:講演「 時代は今…」
    大和信春(研究者)、芳村思風(感性論哲学提唱者)、清水義晴(プロデュ−サー)
    和道をキーに日本人の役割の大切さを説かれておいでの三氏による講演

第二部:参加者全員でトークセッション風パネルディスカッション 
    「 時代の底流を潮流にしよう」
   参加者全員加わって時代の底流を潮流にしてゆくきっかけを作ろう。
   ホームページも開設して脱競争社会、パートーナーシップ社会を目指して
   おいでの方々の活動紹介やご意見を掲載します。
   もう一つのガイドラインを作りませんか? 
第三部:交流会「もっと知り合いたい、もっとつながりたい」
    ホームページで知ってるあの人この人も直接会ったらもっとつながれる。
    そこから何かが始まる…ヨネ!   

講師:(順不同、敬称略)
 * 大和信春(研究者、問題解決学等:著書「和の実学」「心の自立」他)
   競争原理の呪縛を超えた互恵原理により自身の周りから安定秩序を築き全体に
   及ぼす方途が確立された。異質調和的な「和」の知恵は世界の危機脱出、国際 
   平和達成への突破口である。日本人は和道を再体得して広め報復秩序から互恵
   秩序へ転換する使命がある。

芳村思風(感性論哲学提唱者、著書「人間の格」「この哲学から日本の復活が
  始まる」他)
   現代は時代の過渡期であり古い時代と訣別し新しい時代を創ってゆく時代です
   世界が抱えている問題は環境問題であれ、経済問題であれ今の人間性が作り出
   したもので人間性そのものを変えなければ解決しない。
   平和を目指し和道と悟道(道の思想)の理念を掲げ、道義と敬愛精神で人と関 
   わり新しい時代を創る時である。
   
* 清水義晴(未来デザイナー、街創りコーデイネーター、映画プロデューサー
       著書「理念空間」他 )
   会社社長を卒業後、街創りコーディネーターやドキュメンタリー映画「ベリー
   オーデイナリーピープル」のプロデュースはじめ多彩な活動を全国で展開中。
   新たな時代の萌芽を形にしたり、一人一人が活かされる社会創りに関わる人達
   のお助けマン的存在。最近は日本の伝統に新たな息吹をと,掛け軸作家として
   も活躍中。
このMAILは鶴田とホームページマスターのKENに届きます。
[ヒット カウンタ]
Last modified : 99/06/21
Edited by azumino-shalom-ken <shalom@ultraman.gr.jp >

1999年6月19日 雨 気温 22度

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大変お世話になりました。

宿は最高でした。思い描いてた以上のものがいっぱいあって、
一泊では足りなかったです。今度は絶対連泊したいです。
そうして日本晴れの穂高で自転車を乗り回したい。
雨の中の朝ご飯も楽しかったけど・・・

また来たいです。親を連れて、友達をつれて、妹をつれて。
また原田さんをつれて・・・
私の特技(生業でもある)は足踏みマッサージです。
よかったらスタッフの方々お試しください。

ごちそう様でした。有り難う。いわきり さちよ でした。

     
1999年6月18 雨 気温 22度

信州も梅雨らしくきのうから雨が続きます。畑にとっては恵みの雨です。早朝雨の中をレタス、シソの植え替えをしました。雨がやんだら畑の移植仕事が忙しくなります。

1999年6月14 晴れ 気温 27度

小谷温泉に大沢さんと山菜取りに出かけてきました。途中雪があり雪遊びもできました。水芭蕉はみんなお化けになっていましたが雪解け後はまだ可憐な花を咲かせていました。

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山ウド、ネマガリダケ、アブラコシ、フキ、ふきのとう、山ヨモギなどを採って帰ってきました。

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現地で作って食べた鯖かんの入った山ウドのみそ汁は6杯もお代わりするおいしさでした。温泉で汗をながし夕食は大沢家でご馳走になりました。ご馳走様でした。

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東北出身の近藤 駿至(こんどう たかし)さん大学4年生がまとめているページです。NHKの番組と共に素晴らしいページですので紹介します。

【ごあいさつ】

NHKのドキュメンタリー番組は構成がしっかりしていて、ナレーションも、よくできた論文のようですよね。社会に示唆を与える、このような優れた番組がただ一方的に放送されっぱなしで非常に残念。1回きりの再放送はあっても、それ以後人々の記憶、そして形として残されることはまずありません。


ですから、大学生として閑人の私が「クローズアップ現代」をはじめとする優れたドキュメンタリー番組をテキスト形式にして保存することにしました。自分のためにもなりますし、またみなさんのためにもなるでしょう。ぜひ有効に活用していただきたいと思います。

インターネットは個人にここまでさせてくれるのですから、情報革命は本当に凄いですね。それを実感する今日この頃です。著作権は「映像を使用しなければ」とのことなのでご心配なく。

監督野村克也  阪神再建 63歳の挑戦
(4月9日 NHKスペシャル)



●長嶋への想い


ダンダダダダン、ダンダダダダン…(ピアノの低音部ばかりの密室的なBGMから番組は始まる。)

阪神タイガース新監督、野村克也63歳。

極貧の中で育った。

波の荒い日本海に突き出た、丹後半島の網浜町で生まれる。幼い頃、食料品店を営んでいた父が戦死。家業は廃業せざるを得なかった。病弱な母を助けるために、毎日新聞配達をしながら学校へ通う。

セピアの色あせた写真が一枚残っている。

昭和24年、網浜中学野球部。皆が立派なユニホームを着ている中、左端にちょこんと座り、一人だけランニングシャツと本宮ひろ志のマンガにでてくるようなようなボサボサの学帽を被り、くったくのない笑顔でニンマリしている野村少年が写っている。

野球は誰よりも好き。しかし、ユニホームやスパイクを買う余裕など全くなかった。

「劣等感という言葉は大嫌いなのですが、私は少年時代からそれをバネに頑張ってきました。丹後ちりめんのお坊ちゃんたちはみんなちゃんとした服を着ているのに、私は毎日ボロばかりで…惨めでした。『羨ましい』、常にそう思っていました。

でも、それが『大きくなったら絶対金持ちになってやる』という反骨心に結びつき、少年時代、そして未だに自分支えとなっています」

はるか 日本海の向こうにある大陸を見つめるようにそう語る。

中学3年の時、母フミさんに「高校進学は諦めて働いて欲しい…」と頼まれた。それだけ貧しかった。しかし野村少年の野球への想いは断ち切れない。なんとか地元の峰山高校(今年春のセンバツに出場)へ進学。

昭和29年、テスト生として南海ホークスに入団。チームとしては「そんなに野球をしたいんだったらしょうがないな」程度のものだった。「やっぱりキミ、プロには向いていないよ」たった1年での解雇通告だった。しかし、野村は球団へ必死に頼み込み、何とかチーム残留を許される。励ましてくれたのは毎週届くフミさんからの手紙だった。

昭和32年、野村がようやく一軍に定着し始めていたとき、立教大学から鳴り物入りで長嶋茂雄が巨人軍へ入団。1年目から本塁打・打点王、打率2位の輝かしい成績を上げる。一方、同い年の野村も同年パリーグの本塁打王。

それ以来、二人のセパに分かれてのタイトル奪取合戦が続く。長嶋はいつも満員のスタンドへホームランをかっ飛ばす。対して、南海の野村はいつもガラガラのスタンドへ。スポットライトはいつでも派手な方、見栄えのする、華のある方ばかりに向けられていた。

花形ミツルと左門豊作。朗らかな、カッコイイほうがいつでも目立っていた。悔しかった。

「長嶋がヒマワリだったら、私は野に咲く月見草です。もし彼がいなければ私がヒマワリになっていたのかも知れません。でも、私はいつでも2番手。私の価値は彼によって落とされていました。

長嶋のことは監督になってライバル視しています。つまり、彼から“気”を頂いているわけです。『長嶋だけには負けてなるものか!』というね。長嶋への気持ちは私の心の状態の一部を形成しているといってもいいでしょう。ライバル心というのは上手く利用すればこれほど価値のあるものもないかも知れませんね。」

そんなビデオメッセージを長嶋監督が受け取った。

「うーん、つまり何が一番ハッピーなのかと申しますと、つまり、時代時代に大きなライバルに出会っているかどうかでしょうね。野村監督がそのような気持ちをどのように阪神に根付かせ、そしてどのような変革をしていくのか楽しみですね。」

長嶋監督のしゃべり方は、どこか緊張した、抑揚の少ない面接の口調。しかも思いっきり真顔。

「これは貴重な資料ですね。私についてあれだけしゃべるというのも珍しい。いつも一生懸命意識して無視しようとしているのに。私をライバル視しているということなんですかね。フフ…。」と苦笑いの野村監督。

長嶋監督が「野村監督」「野村さん」と敬称をつけているのに対して、野村監督は「長嶋」と呼び捨てだった。お互いをよっぽど嫌いなのかも知れない。陰と陽、月と太陽、日本海と太平洋、密室と大広間、雑草と温室育ち、たたき上げとエリート、セイウンスカイとスペシャルウィーク、努力家と天才…そんな感じの二人。あまりにもタイプが違いすぎる。育ってきた環境も全く違う。

みなさんはどちらに好感を持たれるだろうか。


●人間くささ

井川慶投手19歳。1年目の昨年は二軍でわずか一登板。全くの無名選手。

VTRでは、泥まみれのユニホームに、苦しそうに肩で息をしながら、必死になってノックを受ける井川投手の姿が流される。古き良きスポ根、そんな言葉がぴったりだった。

「人間で何が一番カッコイイかといえば、『一生懸命』に頑張っている姿なんですよ。茶髪にピアス、いくら着飾ったとしても、一番感動させ、そしてカッコイイ一生懸命な姿には到底及びません。そこには人間としての美しさがあるんですよ。」 野村監督は40年以上前の自分を思い出す。

今は大スターだが、ヤクルトの古田捕手もノンプロ時代は相当に苦労したという。

キャンプ中のブルペン。

「9回二死満塁フルカウント。バッター高橋!」大声でそう檄を飛ばし、ライバル巨人の同期入団選手を意識させる。

井川は必死の形相で投げ込む。ズバァーン、とボールがミットに吸い込まれる。

「よーし!センターフライ!空振りまではいかんけどなぁ」

オープン戦の初登板。あの松坂大輔と投げさせた。マダム殺しのさわやかな笑顔。まさにスーパースター街道まっしぐらの化け物である。井川と松坂、無名なたたき上げと有名なエリート…何かに似ていないだろうか。

そう、若き日の野村と長嶋の姿である。

井川はファーボールを連発しながらも、苦労に苦労を重ね、なんとか3イニングを無失点に押さえることができた。松坂とは対照的ではあった。

「若い子はいいですね。このチャンスを活かそう、活かそうと必死になって頑張っている。でも顔を見ると真っ青。人間くさくていいですね。松坂みたいにいつでも堂々としているようなヤツは一つもかわいくない。昔の自分が重なります。」

野村監督の期待を背に受けながら、今日も井川はブルペンに立つ。


●再建に向けて

「憤」

この一字が今年の野村監督のキーワードだ。

いきどおる、自らを奮い立たせる

そのような思いが込められている。

阪神タイガース―

かつては名門といわれたこのチームも、ここ10年間で最下位5回、監督は4回も替わっている。

対して野村克也。数々のタイトルを獲得し、昭和48年には選手兼監督として日本一にも輝いている。以下は野村監督の生涯成績。

三冠王1回(S40) MVP5回(S36.38.40.41.48) 首位打者1回(S40)
ホームラン王9回(S32.36-43) 打点王7回(S37-42.47)
ベストナイン19回(S31-43.45-48.50.51) ゴールデングラブ賞1回(S48)

生涯打率2割7分7厘 3017試合 10472打数 2901安打 657本塁打
1988打点 1509得点 1252四球 1478三振 117盗塁 122死球 273失策

ロッテオリオンズを経て、昭和55年西武ライオンズを最後に現役を引退。解説者を経て平成2年ヤクルトスワローズ監督就任。長年低迷のダメチームを立て直し、9年間で3回日本一を経験する。

「阪神の監督を引き受けるといったとき、猛反対する友人知人もいました。阪神再建なんて、何でそんな不可能に近いことをやるのだ、なぜ華々しい野球人生にそんな惨めな終わりかたを選ぶのか…とね。

しかし、今の野球は間違った方向に進んでいるんですよ。楽しけりゃいい、そういう風潮に無性に腹が立ったものですから。」

「憤」は阪神の選手たちのためだけなのではなく、野村監督自身への言葉でもあるのだ。

今年一年では優勝はおろか、Aクラス入りすらできないと思っている。それだけダメトラは手負いになっているのだ。契約期間は3年。今年は徹底して基礎を作り上げるつもりでいる。

昨年末の休暇はハワイで過ごした。しかし部屋にはこもりきり。一日7時間以上

“野村の考へ”

と題した、負けグセのついたダメ選手に配るための教科書を著していたのだ。

野村監督の代名詞である“データ”や“ID野球”といった言葉は見られない。そこには「人生」という文字が数多く使われている。

「幸せな人生を送ることが人生で最大のテーマだと思っています。選手たちにはなんのために野球をするのか、ということをまず考えて欲しい。それがプロとして生活をしていく上での最低条件だと思います。」

キャンプ初日、夜のミーティング。

報道陣をシャットアウトしたのち、野村監督はあるベテラン選手を名指して厳しくとがめた。

「おい、お前、マスコミに『監督が替わっても、僕らのやることは同じ』なんて言ったそうやないか。アホか?そんなことやからいつまでたってもダメなんや。“老犬芸を覚えず”とはお前にぴったりの言葉やな」

阪神生え抜き、うつむいた15年目の和田 豊(35)内野手に返す言葉はなかった。

「誰でも同じ。うわべだけ変わってもダメや!強くなりたかったら、技術や体力云々より、まずその基礎となる考え方を変えなアカン!」

阪神再建はまず意識改革から始まった。(監督のセリフは推測)

番組では二刀流挑戦の新庄選手(27)、若いときと同じようにホームランばかり狙う大豊選手(35)、投手から外野手、そしてまた投手にカムバックした安達選手(25)らの野村式選手改造が紹介されていたが割愛。ご了承下さい。大豊選手は台湾の人であるが、日本語の文章が非常に上手。しかも意外に達筆だった。

頑張れ!野村克也。頑張れ!阪神タイガース。嫁はんごっつ美人のブロワーズ、打ちまくって野村監督を喜ばせてやってくれ!

どうでもいいけど、藪の声って渋いよなぁ。

ダンダダダダン、ダンダダダダン…(ピアノの低音部ばかりの密室的なBGMで番組は終わる。)

★おまけ 名球会のHPより  http://www.meikyukai.co.jp/member/member.htm

野村克也

”生涯一捕手、ハードなポジションで大記録”
テスト生で南海に入団、2年間ファーム暮らしだったが鶴岡監督に認められレギュラーに。32年に本塁打王、4番捕手として37年から8年連続パ・リーグのホームラン王なる。40年には日本初の三冠王に輝いた。

44年からプレイングマネージャーとなり4年目の48年優勝を遂げる。プロ野球史上初の一万打数の記録も作る。「生涯一捕手」に徹する野球の虫、努力で打った657ホームラン。「ヒットの延長がホームラン」がモットー、一見ヌーボーとしたなかバッターボックスに立つ打者にボソボソとつぶやいて心理的に罠にはめる「ささやき戦術」は有名。


長嶋茂雄

”燃える男、ミスタージャイアンツは不滅です”
燃える男、ミスタープロ野球、ミスタージャイアンツ、チャンスに強いバッティング(天覧試合サヨナラホームラン他)さわやかなイメージで日本プロ野球史上最高の人気を博した。

立教時代、神宮で当時としては大記録の8ホームランを放ちゴールデンルーキーとして巨人に入団、デビュー戦VS金田に4連続三振を帰したが、徐々に力をだし新人王、ホームラン王、打点王を獲得。近代野球の旗手といわれ、スター街道をあゆみ17年間の現役中にリーグ優勝13回、日本一10回に輝いた。

天性のバネとリストの強さで勝負に燃えた野生味あふれる、攻・守が魅力、引退時「巨人軍は永久に不滅です」の名文句を残した。

kensaid

この番組はパソコンのテレビコンバーターを通じて見ました。感動したことを覚えています。また現在 阪神が同率首位だと聞きました。テレビも新聞もないので良く状況はわからないのが実状ですが。
野村監督の野球哲学は人生哲学にも共通する部分があります。NHKの番組のすばらしさと共に野村監督
近藤 駿至さんのこれからの活躍を期待します。
阪神がんばれ!
野村監督
近藤 駿至さんにエールを送ります。


1999年6月13日 晴れ 気温 25度

今日も12名のゲストを迎えています。2度目以上の方の多い日でした。八戸さんは5回目 上高地に行って来ました。松井さんは2回目でお友達と サマンダールさんはインドのサイババのアシュラムで出逢った方で訪ねてきてくれました。下田さんはインターネットを見て 小岩井さんは群馬の片品でペンションをやられている方で以前から是非シャロムに泊まりたかったのだそうです。

1999年6月12日 晴れ夕方雷雨 気温 25度

何度目かの人の多い日でした。ようやくサーバーの設定が終わり挨拶を送ることができました。

お隣の籾山さんとサーバーを立ち上げましたのでアドレスが変更になりました。

大変お手数ですが下記のアドレスにアクセス変更していただくと助かります。

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1999年春。ある晴れた日のことでした。舎爐夢(シャロム)ヒュッテのおじさん
と、籾山家具工房のおじさんが散歩の途中で立ち話。そこからすべてがはじまりまし
た。しかも、あっという間に・・・。

「ちかごろインターネットがおもしろい。」
「専用線でやれたらなぁ〜。」
「そのと〜り!」
「まずは2軒をLANでつなぎましょう。」

さっそくユンボを借りてきて、10base/2のケーブルを地下埋設しましたとさっ。その
距離、およそ130m。

引っ越しが終了しましたが不都合がありましたらご連絡いただくと有り難いです。


1999年6月11日 晴れ夕方雷雨 気温 23度

テレビ放送のロケハンで来られた中京テレビの丹波さん谷崎潤一郎の陰影礼賛 を映像にしてみたいという神田さん
明日は上高地の徳沢に泊まる松下さん。人数が少なくのんびりした1日でした。朝の朝食でのスナップです。

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1999年6月10日 晴れ 気温 23度

昨日今日と山梨に出かけてきました。21世紀の農業は自然農だと肌で感じてきました。川口農法のビデオも入手してきましたので勉強会でみんなで見ましょう。以下報告です。

自然農   川口由一実践、学びの会  山梨長坂 野風草 1999.6.8,9

野風草の館野さん中心で始まった 学びの会に35名の参加で行われ若い人が多いのが印象的でした。

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苗代の稲の生育は順調 オケラとモグラの害があったようですがいい苗が育っていました。田んぼの畦塗りは まずシャベルで溝を入れて鍬で耕し泥状にして畦塗りをします。

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陸稲の田植えをするために田んぼの草刈りをします。水田の場合は草刈りはしませんが水に強いセリなどは稲が負けないように刈ってしまいます。苗代より苗を鍬で土を付けて掘りとります。稲列は40p 稲間隔は25〜30程度で植え付けます。     

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畑の様子です。トマト 大豆 ニンニク サヤインゲン作物の近くは鎌でかってやり草に負けないようにし 刈り取った草は敷いておきます。すべて刈ってしまうのでなく1列おきに刈り 小動物のすみかを奪ってしまわない配慮が作物も共存できる環境を作ります。

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タマネギの収穫 草の間で良くできていました。苗が小さな内は苗の周りを草に負けないように鎌で刈ってあげますが作物が大きくなれば草と共存させます。日照りが続いたときなどは草の保水力が水分不足を補います。人参 キャベツが草の中で育っていました。耕さず草も抜かない農法ですが見事に野菜が育っています。雑草も虫も敵としない21世紀の農法を目の当たりに見た感じです。近代農法はきわめて川口 福岡農法に近づいてきています。田植えも不耕機となり畝もそのまま使う方法も実践されています。草むしりもせず共存させる農法も一部では行われています。21世紀は自然農がメジャーになる予感がします。

農夫が種を蒔き、目的とする作物が元気に一生を全うできるように見守ります。収穫のために必要な物は、人が加えずとも、そこに用意されているのです、用意されていくのです。不耕起、不施肥の田畑、その実り。
農だけにとどまらず、巡り続ける完全絶妙な自然の営み。
草々が見せるいのちの世界は農を越えて私達に語りかけます。

本当に大切なものは何かを…………

臼井さんの中に何か変化が起きたようですね。川口由一さん,初めてお目にかかった
時,「えっ,あの方があの有名な川口さん?」と一瞬思ってしまったくらい豊田さん
が持った印象と同じく漫画に出てくるようなへんてこりんなおっちゃんだなという印
象を私も受けました。すごいこと言ったりやったりしているのに全然すごく見させな
いという川口さんの存在がすごいなと思いました。中庸の人と思いました。川口さん
が自然農をどのようないきさつでやるようになったのか,今度聞いてみたいですが,
きっと優しい気持ち,それがベースにあってこのような農法になったのではないかと
思います。また自分のやっていることを主張しない姿勢がすごいなと思います。こう
でなくてはいけないということはなく,なんでもあり,すべてを許すという気持ちが
彼の言葉の端々から感じられました。「害虫も益虫もない」という言葉もなるほどと
私にはズシンと来ました。私は,2日間,子ずれだったのでスライドも話しもほとん
ど見てないし聞いてないというくらいだったけど「生命の営み」という言葉も常に耳
に入ってきたような気がしました。
"ムッレの森"の本に書いてあったのですが,「地球上の全生物は依存しあいまた,自
然の循環の中で何らかの欠かせない役割を果たしています。ところがひとつだけその
動物がいなくても地球は生存していける動物がいます。それは人間です。」とありま
した。謙虚さを持っていたいものだと思います。
体も小さくそんな力持ちにも見えない川口さん,鋤でひょいひょいと軽々固い土をい
じる姿は力がどこにも入っていないようで美しかったです。自然農,いろんなことを
体で知り尽くしていないとできないような気もするし,逆に知らなくても自然と向き
合えば知らない私達を育ててくれるそんな優しさもあるなと思いました。
臼井さんを連日山梨まで飛ばせてしまうくらいすごい気を持った川口さんだったと思
います。
田んぼの取り組み楽しみです。ますます,気合いの入った臼井さん頼もしいです。シ
ュタイナーのメンバーもこれからどこに導かれていくのかそれも楽しみです。   
  高橋 喜代

1999年6月8日 晴れ 気温 25度

自然農   川口由一実践、学びの会  四賀村洞光寺 1999.6.7,8

耕さず、肥料、農薬を用いず、草々、虫たちを敵にしない 自然の営みに沿った農。

草々が見せるいのちの世界は農を越えて私達に語りかけます。

本当に大切なものは何かを…………

 

      

お米の苗代は4月14日に種を下ろしたもの 今年は生育が悪く田植えの稲は温床で作ったものを植える。土手周りは耕して土手塗りをして大豆を蒔いてある。

田植えは南北に40p間隔で35p離して植える。耕さないところに鎌の先で穴をあけて一株ずつ植えていく。

         

草は決して敵としないがセリなどは除草しておく。苗の小さい頃は草に負けることもあるので除草も必要。草をかき分けての田植え 移植となる。

         

畑の畝の作り方の指導を受ける。まず草を刈ってどけておき 畝の溝を掘り少し真ん中が高いくらいのアーチ型にし 掘りとった土は砕いておく。刈った草などを畝の上に置き土が裸にならないようにしく。野菜の苗は穴に水をやりしばらくしてから移植をして刈り取った草を寄せておく。

人参大根などは草の部分を鍬で削り種を下ろしてやる。鎌などでたたいて土を覆うか けずったはじの土を寄せてやる。草に負けないように最初の頃は除草が必要。

  

小麦やソバなどは草の上からばらまきその後で草を刈ってやり 全体を草で覆う。 

山菜ずくしの玄米食が用意され食事を食べながらの交流会ももたれました。

 

1999年6月7日 小雨 気温 25度

川口さんを迎えての自然農の学びの会でのスナップです。3年ぶりの川口さんですが相変わらずの謙虚さが印象的でした。

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1999年6月6日 晴れ 気温 28度
昨日に増して暑い1日でした。日曜日だというのに11人の宿泊連日忙しい日が続きます。


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1999年6月5日 晴れ 気温 25度
今日はとても暑い1日でした。初夏を思わせる気候で夏がやってきたようでした。連日忙しい日が続きます。今日のゲストは若いカップルの多い日でした。

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1999年6月3日 晴れ 気温 23度
安曇野は春から初夏の装いへと姿を変えています。稲もすっかり緑を増し 北アルプスの山々も夏の山へと変わってきています。夏までの間 気候的には1番良い季節でさわやかな風が吹き抜けています。6月には麦の収穫がおこなわれ 栗の花やムシトリナデシコ 夏そばの花やハーブ類が花を咲かせます。ハーブ園ではカモミール ダイヤーズカモミール コーンフラワー セージ ラベンダー ルバーブ タイム チャイブなどが咲き 花の香りに包まれます。信州ももうすぐ梅雨の季節です。気温は18度から25度です。 

1999年6月2日 晴れ 気温 22度
舎櫨夢ヒュッテ御中 臼井 健二様
          スタッフの皆さん

・5/29.30はお世話になりました。
 PM7:30無事、京都の自宅に着きました。
 天気にも恵まれ、自然を満喫し行く先々で人との出会いが有り、
 有意義な二日間でした。

 なんと言っても約1年ぶりに聞く臼井さんの名調子!

 癖になります。

 そして昨晩の後かたづけの際、スタッフのお二人にいろいろ穴場を教えてもらい
 今日は半日、レンタサイクルでのんびり安曇野を走っておりました。
 「あざか」でおやきを買い近くの川辺でほうばり、藤屋でわさび漬けと
 丸山菓子店でごまだれ餅を買い、昼食には大梅でそばを食し、
 安曇野の名店?のはしごをした二人では有りました。

 安曇野に来るたび「又、来たい。」という思いがますます強くなる、
 そんな場所ですね。来年もまた来ます。そのときは宜しくお願いします。
 では…。


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