インド子連れ旅日記 その13   臼井朋子

インドとお金

物価の違いはどこから来るのだろう。インド、ネパールに行くといつも不思議。だいたい普通のサラリーマンでも月給5000円とかという話しを聞き、一食20円程で食事ができる所です。当然、外国からやって来た旅人は皆、大金持ちという事になります。土産物屋等、旅人相手の商人は当然の様にふっかけてきます。現地の人に売る価格の倍から十倍、いやそれ以上で言ってくるのです。私達はそんなこと、当の承知で、「高すぎるよ。10分の1の値段だったらいいよ。」と言い、「じゃあ、200ルピー。」「いや、100ルピー。」「じゃあ、150ルピー。」「いや、120ルピー。」「仕方ないね。君は特別友達価格よ。」と交渉していくのです。ゲームと思えば、そこそこ楽しいけれど、タクシーに乗るにしてもこの調子なので、疲れていたりすると、もうやめてくれ、という感じです。

だいたい値札のついた店というのがありません。それでも近頃、ネパールではスーパーマーケットなるものが存在しだし、値段がついているので、適正価格のわかるありがたい所です。買い物でおもしろいのは現地の人の使うお店、スパイスとか野菜、雑貨等、これらはあまりふっかけられる事もなく、片言の現地の言葉と英語、身振り手振りで名前を聞いたり使い方を教わったりしながら、現地の暮らしぶりもわかってきます。おみやげはいつもスパイスくらい、荷物にしたくないのでほとんど買い物はなく、むしろ最後の日にはいらない物をすべてお菓子と交換してもらったりもしました。

ところでよく考えてみると、外国人は料金が違うというのは現地の人が言うように当たり前といえば当たり前のような気もします。私達は日本に生まれ、たくさんの富、品物とお金を持ち、何と無駄で贅沢な暮らしをしてきたのでしょう。「おまえらは、そんな無駄なお金おれらによこせ。」そう言われても仕方ないと思うのです。

でも彼らに要求どおりお金を与えるのには問題があります。お金を持っていない人間がお金を持ちすぎるとろくな事はないのです。欲望に走り、執着心、嫉妬心、高慢さを持つ様になり、また怠惰になり心が乱され、本当の幸せを失う事にもなりかねないのです。

今、ローカルマネーといって、会員相互間でサービスや生活必需品の交換を行うシステムづくりが世界的に立ち上がっています。安曇野でもそれを立ち上げようと、主人が中心となって準備をすすめています。お金に支配された競争社会から共生と助け合いに基づいた本来のお金のあり方に立ち返ろうという動きです。この試みがうまくいく事を心より願っています。

 

LETSシステムについて 臼井健二

 ラビパトラというアメリカの経済学者は資本主義の次に来る経済としてプラウド経済を予言しています。ラビパトラはインド系の経済学者でソ連の崩壊を言い当てた人として有名です。また資本主義やアメリカのの崩壊も予言しています。彼曰く 経済は現在のような巨大化したシステムがなくなり地域に密着した小さな経済が生まれるといっています。インドのアシュラムの様なものと思っていただければいいかと思います。そしてその地域がグローバルにつながった世界が構築されると予言しています。資本主義は富の蓄積により豊かさをもたらしましたが 富の集中をもたらし差別化によって自給経済を根底から変え依存型の経済を作り出しました。豊かな人はごく一部で貧しい人が大半を占めるようになりました。このことは経済を縮小し地域を活性化のない経済に変えてしまいます。貧富の差がより拡大するのは資本主義の問題点です。貧富の差は働かないから貧しいのでなく経済機構が作り出す必然なのです。そして多国籍企業がその地域から富を持っていってしまい 資金をためた人は他の地域に投資するという悪循環が続きます。その地域はますます貧しくなります。この資本主義の問題点を70%解決するのが LETS システムです。日本には結いという制度がありました。農家では田植えなどの時労力を提供します。そしてまた労力でお返しをします。現代のようにお金だけでの決剤システムではありませんでした。貧しいけれども豊かさや助け合いの精神が地域を支えていました。LETS システムはこの結いの心を数値として現したものだと思っていただければいいかと思います。

 お金を使わない、新しい経済システム

   L.E.T.S(レッツ)ってなに?

   L.E.T.SはLocal Exchange Trading Scheme=LETS 日本では地域経済振興システムと訳されています。LETSは地域のコミュニケーションを活性化し、お互いが助け合い、生き甲斐を持つ地域づくりを目的にした、地域経済システムです。LETSの特徴は、参加者が地域内で利用できる地域通貨をつくり、現行の通貨と併用して利用できるしくみになっていることです。LETSのメンバーは会報などを通して、自分が援助できるか、または他のメンバーが求めているサービスや物品を見つけて取引きをしますが、その時の支払いに地域通貨を利用できるため、現金の支出が少なくてすみ、また支払う料金も当事者同士が話し合って自由に決めることができます。つまりLETSは、地域で暮らす人々が相互援助できるための、大きなコミュニケーションボードのような役割をしており、お互いが困っていることや求めていることを、地域内で助け合って生活していくための支援システムといえます。

インド子連れ旅日記 その14   臼井朋子

インドと死

先日、うちの子供達の友人でもあった子供の死を見送りました。生まれたときから病と共に生きた子でした。彼も3歳の時、インドに出かけておりその話がきっかけで私達もインドに行くことになり交流を持つようになりました。私達は彼がこの世での役目を終えて光の元に帰っていったことをお祝いしてささやかな葬儀を仲間で執り行いました。

僧としての玄春先生は、彼を送るとき 体温は太陽に、水分は海へ、肉体は土に還し、息は風に 魂は光の元に返っていくのだとおっしゃったと思いますが、インドのベナレスの火葬場で 人が焼かれ、川に流されるのを見た時、まさにその言葉を実感しました。この世で生を受けた限り、魂の乗り物である体を大事に扱い健康であるのが一番のように思います。その上で体をどのように使うのかが一番重要なのでしょう。彼にとっては、病の中にあって、母を愛し、家族を愛し、友を愛し、それが一番尊かったのではないかと思います。私の知る限り、少しも病気を患っている様には、見えませんでした。そして彼を見送ったとき、本当は彼は、今まで生きているだけで良かったのだと思えました。私達の心には永久に彼は生き続けます。そして 私達も 生きているだけで価値があるのだと。

ネパールで音楽隊が練り歩いているので、何かと聞いたらお葬式だと聞きました。それはけっして悲しい音色ではなく華やかなものでした。私達もまた太鼓をたたいて音楽を奏で彼を見送りました。バリでもそうして音楽で送るのだそうです。死は魂の側から見ればまさに喜ばしい事でお祝いなのでしょう。

時々元気だった彼の姿を思う時切ない思いが募ります。私も妊娠6ヶ月で流産し、どうしようもなく悲しい思いをしましたが、この世で修業する必要のない魂であったのだと思い乗り越えることができました。でもお腹にいただけであんなに辛かったのだから彼の母親の思いはもっと辛いものがあるでしょう。

沙門玄春先生は、葬儀に及んで

   母なるダアマ、父なる釈迦牟尼世尊

   更にこの道場を護る尊き神々のお力の下

   今ある生命と、今は亡き生命と

   姿ある生命と、姿なき生命と

   そのすべての生命が

   あらゆる時を越え、あらゆる処を越えて

   一つに結ばれる世界

   安らぎと喜びにあふれた世界に

   私達の魂をお導き下さいますように

 おっしゃられました。

本当に心のこもった暖かい葬儀に慰められました。わたしも死んだらお祝いとして皆が見送ってくれるよう、ちゃんとこの世での役割を終えて死にたいなと思いました。   

長い間、ご愛読有り難うございました。インドに出かけたのも 日常に耐えられなかっただけでした。そんな私の感じたことでも誰かの心に響いてくれれば幸いです。今は心の中に幸せがあると思っています。たくさんの気づきに感謝するインドの旅と日常でした。

                      有り難うございました。2000.1.16記

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