安曇野便り NO.6 (2000年9月)
     何になりたいかを問う進路指導
                   長野県南安曇郡堀金村  稲角 尚子

 この夏、家族全員が翻弄させられた夏野菜フィーバーがようやく落ちついてき
ました。大家さんが私たち家族にふんだんに食べてもらおうと植えて下さってい
たナス、キュウリ、トマト、モロッコ豆、トウモロコシ、カボチャ、ピーマン、
スイカ・・・などなどの夏野菜。ふんだんにありすぎて食べるのに苦労するとは
!うれしい悲鳴を何度も声に出しました。植えた大家さんは5月下旬から膝を悪く
してしまって畑仕事ができなくなり、私たち家族がその後の世話をしてきたわけ
ですが、作った以上はムダなく食べなくちゃならない。糠漬けや浅漬け、酢漬け
など工夫しながら毎日食べても1日で食べられる量はどうしても限られてしまいま
すから、私は保存食づくりに本腰で取り組まざるを得ないってわけです。トマト
ストックやトマトピューレはもちろん、ナスもキュウリも大量に塩漬けに。トウ
モロコシは冷凍し、ピーマンはオイルづけにし、ミョウガは甘酢漬け。生まれて
初めてかんぴょうも手作りしました。廊下に専用のストック棚を置いて、3月に仕
込んだ味噌と共にこれらの保存食が所狭しと並んでいます。フ〜ゥとある種満足
感あるため息をついて眺めながらも、ある映像作家が書いていた言葉が私の頭に
こびりついて離れません。「魂を台所に渡した者は、創造を断念すべし」(月刊
家族第174・175号 2000年9月1日発行)・・・クーッ!!きついよなー!!
 作物を育て、保存のために頭をめぐらし、手をかける生活の中で、貴重な心の
財産が得られていると自負する気持ちも確かにあるのですが、そんな気持ちがグ
ラグラと揺れる程、あこがれの生活にほんの少し歩み寄っただけでも膨大な時間
とエネルギーがいるってことに内心アセッたりもします。
 春先にトトキ(ツリガネニンジン)の若芽を一緒に摘みながら、大家さんが言
いました。「今頃の人は、野菜っていやぁ一袋いくらで買ってくるものと思って
いる。でも、それはホントはおかしいことなんさね。自分たちの足もとにあるも
のに振り向きもせず、なんでほうれん草やレタスばっかり買うのかねぇ」。私は
深く頷きます。でも、一袋いくらって方が圧倒的に楽なんだよなぁ。
 田舎暮らしを始めて以来、いろんな人から「子どもにいい教育になるよ」と言
われます。でも、「いい教育になってる」のは考えさせられることの多い大人の
方。土地に根をはって生きている大家さんのような人は、しばしばじつに重みの
ある言葉をはいてくれるものです。そんなひとつひとつにハッとさせられてばか
りです。

 信州は急速に秋が深まりつつあります。子どもたちが大家さんからひとり一本
づつもらった栗の木もたくさんの実がついてきました。柿の実が多すぎるからと
、夏の終わりにパートナーと中3の息子が摘果作業をしました。実りの秋が近づい
てきています。小3の娘は下校途中によそのお宅の垣根に植わっているイチイの実
をせっせとつまんで食べていたんだそうです。それを見つけた近所の方が「その
実が食べられるってよく知ってたねぇ。でもそこはリンゴの農薬がかかるところ
だから止めときな。かわりにナシをあげるからおうちに帰ってお食べ」と言って
、畑のナシをもいで持たせてくれました。目についたものは何でもとりあえず口
に入れる娘に、その「生きる力」が時として事故につながることも教えなければ
なりません。また、どこまでがつまんでも許されるものかを伝えるのも難しい。
登下校の途中で庭の水道の水を飲ませて下さるお宅(コップを常に置いて下さっ
ている)や、山道を登って帰ってくる子どもたちに「もう少しだで、ガンバレや
」と声をかけながらリンゴやプルーンをカバンに詰めて下さるリンゴ園の方々。
子どもたちもいろんな大人に教えられます。

 前日からの雨で開催が危ぶまれた小学校の運動会。朝6時の段階ではまだ結構降
っていたので「無理かもねぇ」と言っていたら、小降りになってきた7時くらいか
ら、集まってきた子どもたちと先生方で雑巾でグラウンドの水取りをしていたん
だそうです。係の仕事で7時半に集合と言われていた小6の息子が登校した時には
すでに何十人もの子どもがせっせと働いていたとか。そのうち、助っ人の父親た
ちも加わって、無事開催にこぎ着けたのです。別に動員されたわけでもなく、自
発的に集まって力を出し合った子どもたちと大人たち。あとで、その話を聞いた
私たちは恥じ入りました。「運動会できるんかなぁ」などとぼや〜っとただ待っ
てただけだったのですから。5月と9月の年2回、日曜日の朝6時半から8時という時
間帯に設定されたPTA作業に参加したパートナーが帰ってきて言っていました。「
おおまかな分担場所というのはあったけど、みんなよく働くんで驚いた。誰かに
指示されてというんじゃなく、ここ汚れてるねと言ってはさっさと給食場の換気
扇を掃除する父親がいたり、あそこの煤を払っとこうと脚立を持ってくる人がい
たりでどの人もくるくるとよく働く。街に住んでると、最低限のことだけしてで
きるだけ楽をしようといった雰囲気があったけど、全然違う」・・こんな話を耳
にするたびに子どもたちってやっぱり大人の姿どおりに育つんだなぁと思います 。
 
 運動会の中で目を引いたのは、子どもたちが弁当を教室で食べることと、高松
では主流になっていた表現種目がほとんどなかったこと。2年生のダンスと3年生
の阿波踊りだけでした。そのかわりに昔ながらの騎馬戦・棒倒し・綱引き・大玉
送り・玉入れなどに歓声があがっていました。5・6年生による組み立て体操は、
一緒に見たうちの中3生に言わせれば高松の時より難易度が低いとのこと。何しろ
運動会の練習期間はどこも1〜2週間なのだそうです。6年生のかけっこはなく、1
チーム15人の全員リレー。男女混合で、トータルの距離さえ一定ならばひとりひ
とりがどれくらいの距離を走るかやどこでバトンタッチするかは自由というもの
。チームごとに作戦をたてていたようなのですが、健脚の男の子が長い距離を走
っていて短距離の女の子に抜かれることもあり、これはおもしろかった。小6の息
子が一番ノっていたのは棒倒し。敵の陣地の棒を倒すためにオトリになって守り
の子を惹きつけておいて、その隙に別の子が攻めることとか、敵と取っ組み合う
こととか、普段はできないことを思いっきりやれておもしろかったと言います。
「集団の美」を追求する雰囲気はほとんどなく、入場行進の練習も小3の娘曰く「
入場行進の係の先生がね、もっと足を上げた方がきれいに見えますよって言った
位」とのことで、厳しい行進練習がないので喜んでいました。1〜5年生のかけっ
こはタイム順にというのは同じでした。これって速い子は速い子同士、遅い子は
遅い子同士で競い合うっていうことなんだけど、そうまでしてかけっこは必要な
のかどうか?6年生の全員リレーの中で子どもたちがいろいろ工夫しながらやって
たことを思うと、そういう試みが他にももっとあっていいような気がしました。
選手によるリレーはクラス対抗ではなく1〜6年の縦割りでのリレーでした。小3の
娘によると昼休みなどに上級生からバトンタッチのことを教えてもらったりした
のがうれしかったそうです。
 
 さて、名前をつける時にのんびり人生を楽しんでと願ったら、願った以上にの
んびりと育った中3の息子も、そろそろ進路を決める時期になりました。以前から
パートナーも私も「みんなが高校に行くからって自分もいかなくちゃと思う必要
は全然ないからね。いったい自分が何をしたいか、何になりたいか、よ〜く考え
てごらん。その上で高校に進学することが本当に必要かどうかを考えるんだよ。
高校は必要ないというのなら、そういう生き方を応援するからね」と言っていた
のですが、こちらに来て幸いだったのは、中学校の進路指導もそういうところか
ら出発してくれたことです。1学期最後の学年通信にはこんな生徒の文章が掲載さ
れていました。
「今学期、明けても暮れても進路のことを考えていました。自分がどのような進
路に向いているのか。そして、自分はどうしたいのか。そんなことをずっと考え
ていました・・(後略)」
 「そんなの建て前でしょ」とか「中3で考えた通りに人生進むわけない」と言う
人もいるかもしれません。でも、私はこういった出発点なしの進路指導はあり得
ないのではないかと思っています。何になりたいかというとりあえずの将来像を
自分に問うことなく高校に進学することの異様さを感じます。確かに人生わから
ない。でも、だからといって「勉強しないと高校受かんないぞ」という脅しから
進路指導が始まるのは正常とは言えないでしょう。第一、子どもにとって不幸で
す。
 1学期が終わろうという頃、息子は「建築家になりたいから高校に進学したい」
と初めて言ってきました。建築家ね〜!正直、最初は言葉を失いました。私たち
夫婦にとって全く予想もしなかった未知の分野だからです。でも、言われてみれ
ばなるほどとも思いました。鶏小屋づくりって、それくらいエキサイティングな
ことだったのですね。鶏小屋をひとつ作って「建築家になりたい」なんてまるで
「少年よ、大志を抱け」の世界そのものではありませんか! でも、そんな経験か
ら進路を選ぶなんて、なんと幸せなことでしょう。それでも学資保険の丸儲けを
たくらむ私は「進学せずに大工さんの修行をする方法もある」とか「必ずしも大
学に行く必要はないのでは?高専とかでも2級建築士になるための道があるはず」
などとさりげなく、企みを悟られないように抗戦したのですが、敵は「大工さん
になって実際に家を建てるというだけではなく、どでかい建物の図面も書けるよ
うになりたい」とか「学校で調べてきたけど、長野高専に建築科はないよ」とか
言って攻めてきました。

 ところで、こちらでは進路指導の一環として、高校体験入学というのがありま
す。「進路選択の際、今回参加する学校(学科)が自分に向いているかを確かめ
、最終的な進路を決定していく上での参考となるような機会にする」ためだそう
です。面積の広い長野県は全日制普通科高校は12の通学区があり、全日制専門学
科と定時制高校は4つの通学区があります。その通学区分によると、ここ堀金村か
ら通える県立の全日制普通科高校は9校・専門学科のある高校は7校・定時制高校
は4校です。さらに、隣接通学区といって隣の通学区の高校に行くこともできます
から(但し隣接通学区の高校に行く場合10%条項という規制が適用されます。そ
の学校が募集する定員の10%以内に入らなければならないというものです)ここ
の通学区に隣接する通学区の学校の数は全日制普通科高校だけでもさらに29校増
えることになります。こうなってくると、いったい自分がどこを選んでいいもの
やら・・というところでしょうか。
 香川でも今回調べたら県立高校34校中23校で学校見学が実施されているそうな
のですが、その多くは専門学科や職業学科のようです。そのうち体験学習をやっ
ているところも19校あるそうですがその詳細はわかりません。長野県の場合は6〜7
年前から普通科高校でも実施されていること、授業見学だけではなく、体験授業
まであること、保護者にもオープンになっていること等が香川県との違いでしょ
うか。背景には高校中退の増加ということもあるのでしょうが、各学校がそれぞ
れの学校の特色づくりを真剣に考え始めたということだと思います。偏差値で決
めるのではなく「行きたいところを選ぶ」。おそらく親のほうの意識が遅れてい
ることでしょうが、それでも確実に変わりつつある進路指導だと感じます。
 何事もそれぞれにという感じの長野県。高校体験入学も7月から10月にかけて各
校バラバラに実施されています。平日にあるところもあれば休日の土曜や夏休み
中にあるところもあるし、模擬授業があるところもあれば授業参観のところや実
習を体験させてもらえるところもあります。中学生は一覧表の日程を見て複数の
学校に行ってみる子もいるし、目星をつけたひとつの学校にとりあえず行ってみ
るという子もいるようです。もちろん、体験入学は実際の入試に何ら影響は与え
ないそうです。
 ということで、うちの息子も9月の第2土曜に実施された体験入学に参加しまし
た。どの高校も保護者や付き添い者の参加は自由で、息子の中学校からは先生が
ひとり参加され、私も保護者として参加してきました(ここにレポートするため
に!)。午前中は講堂で全体会。学校長は学校の沿革を含めての紹介、生徒指導
の先生から高校生活の概要、進路指導の先生から進路状況、そして教育課程の説
明があり、生徒会長の話もありました。学校長の話が「伝統あるわが校は・・」
で始まるのではなく、「初めて高校に来た人も多いことでしょう。緊張してる人
もいると思います。気分が悪くなったりトイレに行きたくなったりしたら遠慮な
く言って下さい」ということを真っ先に話されたので好感を抱きました。印象に
残ったのは生徒指導の担当の先生の話。「この学校は自由な校風として知られて
います。自由という言葉の持つ可能性には、外からの束縛がないという消極的な
意味での自由と、自分のことは自分で決めるといった積極的意味があると思いま
す。私はこの学校には本当の意味での個人主義が根付いていると感じています。
ここでいう個人主義とは利己主義ではなく、他人との協同の中に自分自身を生か
すということです。この学校にはいろいろな生徒がいます。勉強や部活動に励む
生徒がいるのはもちろん、数学オリンピックを目指して頑張っている生徒や社会
人に混じって難しい登山に挑戦している生徒もいます。私はそういった様々な生
徒を擁する学校を、饅頭を入れる箱にたとえて話したいと思います。饅頭を箱詰
めして輸送する際に最も効率よくやろうとすれば、饅頭を同じ形、同じ大きさに
して箱詰めする方がいいに決まっています。箱は小さくて済むでしょうし、経費
も少ないことでしょう。形が崩れる危険も小さくなると思います。しかし、君た
ちは同じ形、同じ大きさの饅頭ではありません。○や△、大きかったり小さかっ
たりする饅頭のそれぞれの味を最大限生かすために、私たちは規格化された箱で
はなく、大きな空間を用意したいと思っています・・・」この話を聞きながらそ
の時脳裏に浮かんだのは、重度の「障害」があってもみんなと同じ高校に行かせ
たいと主張し続けながら毎年門前払いされている香川のYさんのご両親のこと。学
校がもっともっと大きな空間になれば、「障害」児の「障害」など問題ではなく
なるでしょうに。
 生徒会長の生徒はTシャツに綿パン、青いチェックの綿シャツを羽織って登場し
ました。そうなのです。ここの学区は多くの公立高校に制服がありません。その
生徒会長は「中学と比べて全く違うのは生徒会活動に制限がないことです。たと
えば、7月に行われた4日間の文化祭では模擬店の収入なども含めて500万円ものお
金を動かしてやりました。ペットボトル10万本を使ってのモニュメント制作など
、様々な準備に燃えたことが本番よりも大きな思い出になりました。準備期間は
ほぼ毎日終電で帰宅していましたし、最後の何日かは学校に泊まり込んで準備し
、ボーッとしながら授業を受けたこともあります。何かを自分で企画してやろう
とする時、よほど危険なこと以外は何でもやれる。この学校はそんな学校です」
と話していました。図書委員会の自主活動のひとつとして先日開かれた図書館ゼ
ミでは、上野千鶴子さんを講師に招いて「考えることってどういうこと?」とい
うテーマで熱く討論したということです。テーマの設定から講師との交渉、すべ
て生徒たちで企画運営しているといいます。高校生だもの、やれるんだよね。
 教育課程を説明した先生は「中学時代、ムダなことでも何でもいっぱいやって
きてください。ただ覚えるだけの勉強はやめることです」と檄をとばしておられ
ました。
 午後から子どもたちはあらかじめクラス分けされた教室でそれぞれ授業を体験
していました。ちなみに息子が受けた授業は生物の授業で「DNAを取り出してみよ
う」というもの。魚の精巣を塩化ナトリウム溶液に溶かし、結合しているタンパ
ク質を変性させて取り除きDNAを分離させたそうです。ちょこっとだけ、中学より
も高度な雰囲気を味わったかな?
  何になりたいかを問う進路指導。それは自分はどう生きるかにもつながって
きます。そして、それは大人にとっても必要な心の作業だと感じています。

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