安曇野便り NO.3 (2000年6月)
  個々の教師の取り組みや考えが見えてきた
                   長野県南安曇郡堀金村  稲角 尚子

 香川の学校と違って信州はバラ色。そんなに簡単に話は進みません。だけど、
新しい土地で暮らし始めると今までとは違うことがイヤでも目につきます。誰で
も比較されるのってイヤなものですが、比較・考察する中から新しい視点が生ま
れるというもの。これからご報告する長野県のひとつの村の小・中学校の半年近
くの体験記から何か香川の学校にとってのヒントが得られるといいなと願ってい
ます。

 こっちの学校に変わってよかったことって何?と聞くと小6の息子はすぐに「放
課後や休みの日でも運動場で遊べること」と言います。高松ではスポ少など特別
に許可された団体以外は使えなかった放課後の運動場。休日には団体使用の時間
帯以外は校門は閉められ鍵もかかっていました。松本市の校庭が市民に開放され
ている状況は通信35号(1999年12月5日発行)でお伝えしましたが、ここ郡部の村
に編入してからも休日に校門に鍵がかかっている学校というのは松本市以外でも
今のところ見たことがありません。そもそも校庭というのが非常にオープンな造
りになっているため、どこかに鍵をかけるという構造になっていないのです。従
って、小6の息子は、授業終了後にそのまま下校時間(夏は4時半)まで運動場で
友だちと遊んでから帰ってくることもあれば、親も驚くタフさで片道40分以上の
道のりを下校してきてすぐにまた自転車で遊びに行くこともあります(この場合
は親が許している5時半まで遊べるわけです)。田舎だから田畑や空き地は多いけ
れど、やっぱり一番安心して遊べるのは校庭ですものね。
 
 他には?と聞くと「書かされることがメッチャ減ってホント助かった」と言い
ます。
 いったいどれくらい書かされていたかを今回改めて聞いて驚きました。
 小6の息子曰く、
「前の学校では、お年寄りのことや幼児のことなんかを総合学習でやってたでし
ょ。だから、それについての新聞記事を毎朝当番の二人が紹介して、それを聞い
た感想を書かされた。それからあっちでは毎日縦割り清掃だったでしょ。その掃
除のあと『きょうだいっ子ノート』に掃除の反省とか、他の子ががんばってたこ
とや自分ががんばったことを書かされた。そのきょうだいっ子の班の担当の先生
がマジメ〜な先生に当たっちゃったらもう最悪。毎日書かされたもん。そのノー
トにサボってちっとも掃除しない下級生のこと書いたら、先生に『他の子のいい
ところを見つけて書きましょう』って注意された。でも、友だちのいいところ見
つけカードっていうのはちゃんと別にあるんだよ。それから水曜日の朝のボラン
ティアの時間にしたことについての感想も書かされたし、金曜日の業間(2時間目
と3時間目の間の休み時間)には『緑の時間』があって草抜きとか植物の世話とか
石拾いとか何か自分で見つけてやんなくちゃならなかったんだけど、その反省も
書かされた。火曜日の朝はクロッキーの時間で、そのクロッキーのテーマとだい
たい同じテーマで木曜日の朝に短作文(200字の原稿用紙)を書かされた。読書週
間はもちろん読んだ本の感想文を書かされたけど、他の週だって図書室で本を借
りるたびに読書がんばりカードに書かされた。遠足とか地区の運動会や学校の運
動会とか、それから音楽会やいのちの集会・みどりの集会とかの特別な集会や鑑
賞劇なんかの学校の行事がある時には、必ず『めあて』と『反省』を原稿用紙に
書かされたし、きょうだいっ子で遊ばされたあとだって感想を書かされたよ。」
 こうやって列挙されると、高松では確かに「書かされた」ことが多かったんだ
な〜!とよくわかります。その上、下の娘(小3)の場合には上記のことに加えて
「なかよし日記」というのもあって、先生ではなく親が毎回コメントを書くこと
になっていました。先生はそれを見て<すばらしい>のハンコをポン! 。
 でも、よ〜く考えてみると、これだけ子どもが書かされているってことは先生
はコメントを書く余裕もないくらい、とにかく目を通す必要だけは常にあったわ
けで、その労力を考えるとため息が出ます。子どもたちが「書かされている」と
感じているのと同じくらい、先生たちもまた「やらされている」と感じているの
ではないか?香川の先生たちは真面目で勤勉な人がホント多かった。だから不満
の声が聞こえることもなく仕事をこなしておられたけれど、ホントはこんなにた
くさん書かせるのではなく、子どもたちひとりひとりとゆっくり語り合いたいと
思っていた人も少なからずいるのでは?それを阻み、文句を言わずに「やらせて
」いたものっていったい何なのでしょう?
 
 今、こちらでは小6の息子は書くものと言えば家で書く日記だけで、それがまた
先生との交換日記みたいにうれしそうに書いています。内容は他愛ないもので、
たとえば
“今日は家のしきち内の畑に石かいをいれました。そのためにくわを使いました
がとてもつかれました。お兄さんは前にその畑全部を耕したのでなれた手つきで
した。でも前全部耕した時はつかれたと思います。ぼくもだんだんなれてくると
いいです。今日、ぼくはバカなことをしてしまいました。お母さんにカツオブシ
をけずるようにたのまれたときに、指までけずってしまったからです。こんどか
らは気をつけたいです。”
といった具合なのですが、それでも
“お兄さんは畑仕事慣れているんだね。畑でどんなものを作るのかな。指は大丈
夫だったかい。”
などと書いて下さる先生の返事がうれしくてしかたがないようです。そしてまた
、次回以降にお伝えするつもりなのですが、先生を信頼しているからこそ学校生
活についての疑問や意見をこの日記に書くこともあり、問題の解決に一役買う場
合もあります。

 信州に引っ越してから出会った教師の方はまだそれほど多くはありません。フ
ツーの生活をしている限り、出会うのはわが子と直接的に関わりのある方に限ら
れてしまいます。それでも、いろんな人がいろんな試みをやったり、いろんな発
信をしてるんだなーっとつくづく思います。香川では「もの言わぬ教師」がやた
ら多かった。個人的には、と前置きをして率直に話をしてくれる人もたまにはい
ましたが、あくまでも「個人的には」のレベルの話だけに留まり、決して教師の
ひとりとして何かひとつでもこだわって実践するとか変えていこうとかそういう
ことではありませんでした。

 たとえば、半年前に下の子が編入した時のこちらでの小2のクラス担任は、(学
校のシステムとしてすでに男女混合名簿が定着しているわけですが)名簿や靴箱
の並びなどにとどまらず、男の子にも女の子にも「〜さん」づけで名前を呼んで
いて、子どもたちにもそのことが自然な形で影響していました。(ちなみに中学
校でも男女混合名簿は当たり前。体育の授業も混合。「高松の教師は運動能力に
男女差があって混合は到底無理と話しておられたけど」と言ったら「それはそう
だけれど、要は工夫次第。体育は楽しむことが一番。そのことに男女差があるで
しょうか。バレーボールなんかでも子どもたちは混合チームで楽しんでますよ」
と中学の保健体育の女性教師はきっぱり。私は思わず「香川に講演しに行って下
さい」と言ってしまいました。だって男女混合名簿はとっかかりであって、文化
的性差について身近なところから見直すことこそが大切なわけですから。)

 活動のあり方について問題を指摘する声は以前からずっとあった中学校の部活
動。高松にいた頃は、親子で話し合って試合の日以外の休日は部活を休むことに
して、あくまでも「わが家の方針」として個人的に防衛するしかありませんでし
た。ここでは休日の練習はありません。平日も水曜日はノー部活デー。学校があ
る日の土曜日も午後1時から2時間だけ(土曜日も自校方式の給食が小・中学校と
もにあるので、給食を食べてから練習する)。試合で勝ちたいからもっと練習し
たいと、子どもたちが校長先生に交渉して新人戦や総体の試合前1ヶ月だけ日曜日
の練習を認めてもらったということです。「もっと、もっと」と望む子どもたち
に、校長先生は「休日は家族と楽しんだり、からだを休めたり、手伝いをしたり
、ほかのことを楽しんだりする日です」と答えたとのこと。しかし、これは教育
委員会の方針とか、この地域は一斉にとかいうことではないらしいのです。中に
は子どもたちの声に押されて、結果的に過熱気味の学校もあるとのこと。ここの
校長先生が子どもたちの休日の過ごし方についてもきちんと考え、それを毅然と
した態度で表明し、そしてまた一方で子どもたちが要望を出して交渉し、試合前
の1ヶ月だけでもと妥協案を提示して要望を実現させていく・・そういったことに
私は感心してしまいます。必要なのは校則による「禁止」でもなければ「上から
の方針」でもなく、個々の教師の試みとか方針とか信念、そして子どもの意見を
聞く耳ではないでしょうか。
 中学校の校長先生は先日の小淵さんの内閣・自民党合同葬儀の際に前もってお
会いしたところ「実際どのような通知が学校にくるかはわからないが、少なくと
も生徒たちに強制ではないと説明するつもり」と明言されました。「でないと、
憲法違反になります」とのこと。翌日の新聞報道によると黙祷をさせたところは
なく、半旗を掲げた学校もあれば掲げない学校もあったということでした。みん
な一斉に、ではないところがうれしい。卒業式でも君が代斉唱の際に「賛同され
る方はご起立ください」というアナウンスがあったところとなかったところがあ
ります。個々の学校での職員会議や管理職の腹の据わり方、そして苦悩のあとが
垣間みえます。

 学校からは実に様々なお便りが届けられます。学級通信や学年通信は「誰が書
いてもそつのない、ありきたりの、どおってことない、ちっともおもしろくない
」(すっごい悪口?)ようなものではなく、書いた教師の個人的な想いや感想が
率直に語られています。17歳の大きな少年犯罪について「せいいっぱいの努力を
している子に『もう少しがんばれ』の言葉は悪い結果しか生まない」という犯罪
評論家がホドホドとボヤボヤの価値について話していると紹介した教師自身が、
ある程度厳格に物事を進めなければならない学校生活との狭間に立つ自分を見つ
める文章を学年通信に綴っていたりもします。こういった文章から伝わってくる
教師自身の心情にふれる時、私の心の中に「信頼」が芽生えます。
 中3の子どもは進路指導係の先生が書いた進路通信というのも別に持ち帰り、「
進路を自分で決める」ための情報を得ることができます。進学を前提とした進路
指導ではないところに(理想に過ぎないと見る人もいるかもしれませんが)私は
好感を抱きます。
 給食の献立表にも情報が掲載されます。加工食品が無添加のものを使用してい
ることや、和風のだしが煮干し・けずり節・昆布でとっていることなど細かなお
知らせもありました。学校給食用の米の補助金が打ち切られることについても折
りにふれて情報は伝えられてきたらしいのですが、正式決定以前の1月下旬に年間
一人当たり約70円の値上がり(中学校の場合)にはなるけれども平成12年度の給
食費値上げの予定はないことが伝えられました。そこには学校給食会の基本物資
だよりの抜粋も一部掲載されていたのですが、香川でPTA歴8年の私が学校給食会
のお便りを目にしたのは長野県に来て初めてでした。
 「ほけんだより」には村内の保健関係者が一同に会して、子どもたちの健康に
ついて話し合ったという保健協議会の内容報告が書いてあったり(香川でも学校
の中に保健指導委員会というのがありますがそこでどんなことが話し合われてい
るか知らされたことありますか?)、文部省の研究開発学校(英語)に指定され3
年間の英会話教育を実践してきたここの小学校では保護者へのアンケートもまと
めてプリント配布されました。小6の子が陸上記録会に出ることになって1ヶ月ほ
ど早朝練習をすることになったら、その担当の先生からお便りが出るし、小学校
の金管バンドに入ったらその様子もお便りで知ることができるようになりました 。
 
 私たちが「香川・PTA問題ネットワーク」の活動を通して主張し続けてきたこと
のひとつが学校の中の情報を共有したいということと、「上からの方針」ではな
い個々の取り組みや実践を支援したいということでした。それが、この小さな村
ですでに行われています。もちろん、そこには「問題ある実践」もあり得ます。
だからこそ情報公開は欠かせないのです。これについては次回にお伝えしたいと
思います。


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