8月6日 晴れ 夕方雷雨 29度

毎日雨による浄化があり大きな虹が現れました。フォーラムの途中参加者全員でいのちの祭り会場にかかる虹を眺めました。毎日雨が降り虹が出るのもきっと意味がある。大いなる浄化と希望と調和の必要を いのちの祭り全ての人が響きあうために現実に見させていただいているのだろう。

連日虹がいのちの祭りに架かります。

夕焼けの鹿島槍ヶ岳

いのちのフォーラムは昨日の共生のコミュニティーを受けより具体的にどう生きたらいいかという観点に立ってみんなの英知が結集しました。この繋がりを何らかの形で残したいといのちのフォーラムの共同宣言を出そうと言うところまで盛り上がりました。いのちの祭りの共生というテーマがより具体的に話されました。きくちゆみさんの愛に満ちた会話はバラバラだった思いを一つにするだけの大いなる力を感じました。人間として崖っぷちに立っているけれど愛することによって得られる希望 まだまだ人間は捨てたものではない。大いなる希望を感じた今日のフォーラムでした。昨日の地域通貨と共生のコミュニティーで語られた事 核のないみどりの社会 戦うのはもうやめよう 自然エネルギー講座 ヘンプで作ろう地域循環社会 地球に優しいわらの家 盛りだくさんの今日のいのちのフォーラムでの共通項は持続可能な地域循環社会を作ること そしてより具体的にそのことが可能である希望を見いだせること 水本位制から見えてくる循環社会と教育 全体を見つめ 地域から行動していく 過去から学び 未来を見つめ 愛を持って行動しようと訴えた 西田清志さん 日本が守ってきている縄文麻文化を時代のテクノロジーに生かし環境に負荷をかけない生き方を提唱し地域循環社会の可能性を現実として見せてくれた中山康直さん そして自給する日本に向かって循環型社会を作るにあったっての具体的なテクノロジーが生まれているということの紹介をした河千田健朗さん 200人の参加者を得て熱い討論がなされました。この星をどんな星にしたいのか。

88の時はNOを訴え次の行動が見えなかったけれど今回のいのちの祭りではより具体的に私達が生きる生き方の提唱が形となって現れました。NOからNEVER NUKUSU EVER GREENへと考えも移行しています。21世紀への希望の種をを見いだせます。この種が芽を出し 大きな幹となり 美しい花が咲き 再び種を結び世界に広がりますように いのちある世界のために

愛に満ちた語りをするきくちゆみさん

地域循環社会の可能性を
現実として見せてくれたフォーラム

沢山の人が集まったいのちのフォーラム

人気だった地球を救うヘンプの商品


WASHのくれた贈り物と課題―核のない緑の地球をどうつくる?

                  きくちゆみ

   夏至。2000年もまもなく半分が過ぎようとしている。ほんの半年前まで世界中が大騒ぎし、その対策に莫大な費用と労力が費やされたY2K(コンピュータ2000年問題)は、もう終ったのだろうか。2000年を迎えたその日、国内では原子力発電所のトラブルを含むいくつかのY2K問題が発生したが、どれも大事には至らなかった。世界各国でもY2Kに起因する大きな混乱や事故は
起こらなかった。Y2K注意日は年内にまだいくつか残っているが、テレビや新聞が取り上げることもなくなり、この問題はもう人々の頭からは殆ど消えてしまったようだ。
  一方、21世紀の日本の政治を託す私たちの代表を選ぶ衆議院選挙の公約は、景気対策ばかり。痛ましい犠牲者を出したJCOの事故があっても、エネルギー政策や原子力発電の問題が選挙の争点になることもない。日本は、「いのちのまつり」に集っている人々が望んでいるあろう方向とは全く別の方へとひた走りしているように見える。
  コンピュータには無縁、というより無知な私がY2Kに真剣に取組むことになったきっかけは、米国の原子力情報資料サービスのメアリー・オールソンさんとの出会い。メアリーがコンピュータの誤作動の問題と核兵器や原子力発電所がコンピュータで制御されているという事実を結び付けてくれなかったら、あれほどまでこの問題に関わることはなかっただろう。彼女の来日講演が「原発と核にお正月休みを」というWASH(World Atomic Safety Holiday)キャンペーンを生み、その日本発のメッセージは海を越えて地球を一周した。
 「お正月休み」は実現しなかったけれど、1999年11月欧州議会はWASHの要請とほぼ同じ内容の決議案を採択した。NYタイムズにはY2Kに起因する原発と核弾頭の事故に対する警戒を呼びかけた全面意見広告が載った。サンフランシスコでは、パッチ・アダムスとヘレン・カルディコットの呼びかけで、多くの男女が世界中の核施設の一時停止を訴えて、寒空の中でヌードデモを敢行した。Y2Kと核問題に関心を寄せて世界中から集まった地球市民たちは、インターネットを通じて新しいネットワークを築き、「核のない未来」に向かって今日も情報発信と交換を続けている。
  メアリーと私をつないでくれたのは、米国在住の画家・小田まゆみさん。まゆみさんとは、もうかれこれ10年も一緒にこの地球から核をなくしていくためにいろんなことをやってきた。彼女とのご縁は、バークレイで教鞭をとっていた数学者の男友達からいただいた。その男友達とは、1988年のいのちのまつりの年に行われた参議院選挙で「原発いらない人々」というミニ政党を支援した縁で知り合った。まだ私が米銀で債券ディーラーをしていた頃のことだ。その2年後に私は会社を辞め、今のライフワークに専念するようになった。
  まゆみさんと初対面の当時、彼女はカリフォルニアで、私は中米のベリーズでそれぞれ「原生林の保護と再生」に取組んでいたことから、すっかり意気投合したのだった。そして1991年、フランスから日本に1、5トンものプルトニウムが運び込まれるときに、それをなんとか止めようと日本政府に対して国際的な異議申立てをする運動の担い手になった「虹の蛇」という女性グループを一緒に立ち上げたのが、小田まゆみさんだった。この時の異議申立人は、17カ国、2000名以上にも及んだ。このとき集った勇敢で個性的な美しい「蛇」たちは、今も各方面で活躍している。
  私の家のトイレにかかっている相田みつをの日めくりカレンダーに「人の世の幸不幸は人と人が逢うことからはじまる。よき出逢いを」とある。本当にそうだ。数多い良き出会いに恵まれた自分は、つくづく幸せだと思う。出会いが私の人生を形作っている。その縁を取り持ち、深めてくれたのが「みどり」と「核」なのだ。

  Y2Kでたいした事故が起こらなかったのは、全世界がこの問題に真剣に取組み、事前に対策を講じたからだ、というのが定説になっている。しかし、果たして本当にそうなのだろうか。確かに周到に対策を講じた国もあったが、それどころではなかった国も沢山あった。中国やロシア、中東や東欧諸国や第三世界は、その対策の遅れが指摘されていた。これらの国にも数多くコンピュータが存在し、Y2Kに関する数多くの書籍や専門家が指摘することが事実なら、その1%程度のマイクロチップはY2K問題(四桁の西暦を二桁処理する)を有していて、それを使ったコンピュータは誤作動を起こすはずだった。マイクロチップに問題がなくても、プログラムそのものが西暦を二桁処理している場合も無数にあり、その全ての修正は不可能だろうというのが、大方の予測だった。
  しかし、実際は殆ど何も起こらなかった。巨額を投じて対策をした国々と、そうではない国々とで、結果的にはたいした差がなかったのだ。これをどう解釈すればいいのだろうか。私の疑問はいまだに解決していない。
  それなら、私たちがやったことは何だったのだろうか。全く無意味なことにエネルギーとお金を費やし、政府や電力会社を困らせ、人々に誤解を振りまいてしまったのだろうか。それとも、Y2Kをより持続可能な社会を創造するきっかけにすることに寄与したのだろうか。もちろん、WASHに関わった殆どの人が、後者を望んでいた。
 「WASHのお陰で、原発の事故が未然に防げたのですよ」「Y2K問題があの程度で済んだのは、あなたたちが警鐘を鳴らしてくれたからですよ」と言ってくれる心優しい人もいる。しかし、世の中心優しい人ばかりではない。キャンペーンに中心的に関わった人の中には友人と信頼を失ったという人もいれば、長年かかって貯めたお金を使い果たしてしまった人もいる。Y2K以前と以降では人生が全く変ってしまった人もいる。私自身もそんな一人だ。
  しかし原子力発電所は今も増設への動きが続き、この瞬間も核廃棄物は増え続け、世界433基の原発各地やウラン採掘現場では被爆労働が続いている。Y2Kで何事も起こらなかったからといって、核の危険性が減ったわけでも、今後の事故の可能性がなくなったわけでもない。先の国会では自民党が原発立地現地にさらに手厚い税制優遇をする法案を提出する動きがあり、相変わらず金の力を使った増設への動きも衰えていない。電力自由化が進めば原子力の競争力はなくなるはずではあるが、まだまだ原発は「国策」として保護を受け続け、この国では生き続ける可能性が高い。
  5月31日に環境新聞が発表したアンケート調査では、今後のエネルギー源にいて、原子力をベースロードと考えているのが、自民党、民主党、自由党。原子力以外の代替エネルギーを柱にすると考えているのが社民党、公明党、共産党だった。今度の選挙で原発やエネルギー問題は議論にもなってないし、その他の争点も曖昧だ。一体日本人はどういう選択をするのだろうか。連立与党を組んでいる自民党と公明党のエネルギー政策が一致していないことに注目したい。
  また、炭素排出の割合に応じて課税する環境税(炭素税)に賛成なのは、社民党、民主党、公明党で、賛否両論で結論がでていないのが、自民党、自由党、共産党。この二つの項目から「核のないみどりの地球」を実現させる政策を期待できるのは、社民党と公明党ということになるが、選挙結果はどうなることか。読新聞の見出しは、自民党の単独過半数も有り得ると報じていたので、あまり良い結果は期待できない。環境より景気、いのちより金が優先する社会は、いましばらく続きそうだ。
 「原発と核にお正月休みを」という呼びかけを、今「原発と核に永遠の眠りを」と変えて、もう一度世界に呼びかけたいと願うのは、私だけではないはずだ。その願いが一部の少数派の声として、実現できないままかき消されてしまうのは、いつまで続くのか。私たちはもう一度チェルノブイリを経験しなくては目覚めないのだろうか。核戦争が起きるまで、核の増殖(核兵器の生産と原発の稼
動)を許し続けるのだろうか。
  いや、しかし、たとえ少数でもいい。全てはひとりから始まることを、私たちは知っている。マーガレット・ミードが言うではないか。「ほんの一握りの思慮深い、コミットした市民達が、世界を変えることができることを決して疑ってはなりません。実際、世界はそうやってのみ、変わってきたのです(Never doubtthat a small group of thoughtful committed citizens can change the world; indeed it's the only thing that ever has)」と。
  絶望的な状況に陥ると、私はこのマーガレット・ミードの言葉に続けて、次のような言葉を自分に言い聞かせる。「夜明け前が一番暗い」「陰極まれば陽に転ずる」「落ちる所まで落ちたら、後は登るだけ」「七転び八起き」「全てはよりよくなるために、起こっている」「生きているだけで素晴らしい、生かされているだけで有難い」「絶望こそが希望である」などなど。もう何年も言い続けてい
る感もあるが…。
  それでも21世紀を目前にして、新しい力強い動きがあちこちで芽吹いているのを感じる。国会には自然エネルギー推進法案の提出の動きがあり、超党派の自然エネルギー推進議員連盟も結成された。風力、ソーラー、バイオガスなどの自然エネルギーを町おこしの目玉にして成功している市町村も増えてきた。企業はエネルギー効率をこれまでの2倍にできる技術群を続々完成させ、効率が悪くて電気と放射性廃棄物しか作れない原発をますます魅力のないものにしている。
  湯水のようにつぎ込まれていた補助金や税制優遇をやめれば、原発は経済的理由で一気に廃炉に追い込まれるだろう。その日を一日でも早めるために、このことに気が付いた人が決して諦めずに声を上げ続けることが大切だ。今日も鴨川の山の中で、エネルギー節約型の自給自足的な暮らしを楽しみながら、「夜明け前が…」と、呪文を唱えている私である。

 きくちゆみ
 

本部前のインフォメーションを見入る参加者
沢山のインフォメーションで埋まっています。

台所では男性もボランティアで参加

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