第3章 ヨーガセラピーとしての身心八統道

□身心八統道

 ちょうどこのシャンカラが8世紀に、ヒンズー教と仏教の理論的統一をなしたのと同様に、仏教の「八正道」やヨーガの思想を、現代において、私達の日々の生活に生かせるようにと、自らの体験を基に組み立てられたのが、「仏教ヨーガ入門」を著した飯島貫実師(19141992)による「身心八統道」(しんじんはっとうどう)なのです。

ここでは、仏教の「八正道」は勿論のこと、現代の生理学や自然医学の成果を基盤に、ヨーガの陰陽の原理、そしてヨーガスートラの八支則、さらには、仏教やウパニシャッドによる地・水・火・風・空の自然の五大思想によって人間を総合的に理解し、又、私達の心身の健康に役に立つように、また宗教間の争いをなくし、社会の平和を願って、総合的で、調和のとれた思想を、明確にそして具体的に提示されているのです。それではこれからその「身心八統道」を検討していきましょう。 

    相乗の原理 

特に注目すべき点は、貫実師は陰と陽の組み合わせを、単にバランス原理の問題と捉えるだけでなく、健康や自然治癒力においても、その効果や力を倍化(相乗)するものとして捉えている事なのです。

 貫実師はこのように言います「二本の足で一時間で4キロ歩けた人が、片足でその半分の2キロを歩けますか?」と、又「双翼で飛ぶ鳥は、片翼でその半分を飛べるだろうか? ここがヨーガの陰陽の原理の急所です」と。即ち陰陽、双方バランスよく繋げる(結ぶ=ヨーガする)ことによって、足し算ではなく、掛け算の効果がある事・「相乗の原理」を私達に諭し、実行を促したのです。そして体と心は表裏一体であり、体が病めば心が病み、心が病めば体も病む、その双方からのアプローチによって、人間総体の健康と幸福を実現しようと、図のような「身心八統道」の理解図を示してくれたのです。

そして「体の健康」のポイントは「血の質と流れ」、「心の健康」のポイントは同じく、「心の質と流れ」にある事を見抜きそれを解決する方法を示しています。

ヨーガでは物事の理解と悟りのプロセスを @聴聞(シャラヴァナ) A熟考(マナナ) B深い瞑想(ニディディヤーサナ)そして C悟り(ギャーナ)と云います。 科学的手法で言いますと @仮説 A実験 B検証 C法則となります。

 ぜひ皆さんこの「身心八統道」の理解図を熟考・瞑想してみて下さい。

  ※ちなみにこの図と先に図示しました太極の構造の図とを比較・参照してみてください。

 

 

「肉体篇」 (息・食・浴・動)                           

それでは、「身心道理解法」の図を参照しながら、検討を進めていきましょう。

勿論、肉体篇といっても、飯島貫実師の言い方によれば、「表だけの紙や、裏だけの紙が無いように、心と身体は切り離せないものであり、陰陽をなして一体です。また、心とは身体、吸い取り紙のようなもので、表にインクがし沁みれば、裏にもすぐ沁みが出来ます。」この関係を知った上で、まずは肉体の健康の方から話を進めていきましょう。

・母なる海 

私達人間の生命は、生物発生学的に見ますと、太古の生命の海を故郷とし、32億年もの歳月を経て、その生命の海をアメーバーのように、細胞膜の中や体内に取り入れて、栄養を入れては出し、出しては入れて、生まれ代わり、死に変わりしながら、魚の時代や爬虫類の時代、はたまた鳥の時代や、獣の時代を経て、現在の身体を獲得してきたと云えるでしょう。それ故に、又、同様に、私達は誰もが個体として、母親の胎内で受精した後、子宮の中で、その32億年の歴史を、およそ40週で胎児として、追体験してこの地上に生まれ出ます。そのことを「個体発生は系統発生を繰り返す。」と生物学では云います。

また、その子宮の中の体液こそは、太古の海であり、「羊水」と云うのは、さんずいを付けて「洋水」の事なのです。即ち誰もが、「母なる海の水」に抱かれ、満たされて生まれてきたのです。ですから、宇宙から、命を産む力を与えられた女性は、成長すると、月の公転の引力によって、満ち干きを繰り返す「海のリズム」を体内に宿すようになるのです。それを「月経」、生命の「生理」というのです。まさに宇宙の神秘としか云いようがありませんね。このような意味で血潮=血液こそ私達の命の源泉なのです。

そして海には、きれいに澄んで、魚や、サンゴや海藻などのバランスのとれた生態系を持つ「生きた海」と、ヘドロや赤潮で澱んだ「死んだ海」があります。それと同じように、私達の血液も健全な血液と、不健全な血液の状態があるのです。それを見抜き、アドバイスを送るのが本来の医学の役割なのです。「自然医学」の最も重要な使命はここにあると云えるでしょう。

(A)血の質 

さてその血液の質は何によって決まるのでしょう? そうです、体内に取り入れた食べ物と、それを完全燃焼させる、酸素の補給が欠かせない条件です。酸素不足ですと、ストーブの中で石炭がくすぶって燃えないのと同じ原理です。これが私達が呼吸をしている第一の理由です。ところが、心配事や、恐れ、不安が多いと、呼吸は浅くなり、血が完全燃焼してくれません。逆に、快活で、良く笑い、物事の良い面を積極的に認める人は呼吸も深く、食べ物も良く燃え、血液が、病原菌の繁殖しにくい「生きた海」=健全な状態になってしまうのです。「笑う門には福来る」です。

 このようなわけで、身体の基=血液の質を良くするのは食べ物の摂り方と呼吸の仕方が自然に叶ったものに成っているか否かなのです。そこでもし私達が、健康な状態でないとすれば、それまでの無意識で行なっている片寄った習慣や、好みなどで行なっている間違った方法を、適正なものに修正しなければなりません。息=生き方を学ぶ事であり、食い=悔い改めなのです。それをヨーガでは、呼吸法と云い、食事法として私達に伝えて来てくれているのです。

@    呼吸法(息) 

呼吸の目的は、まず酸素を体内に入れ血液を燃やし、生命のエネルギーを作る事にあります。勿論、その空気の中には酸素以外に窒素や幾十の元素を配していて、人間に最もよい宇宙の気(プラーナ)となっています。それで呼吸法を「プラーナヤーマ」というのである。それ故、呼吸の仕方は全ての健康法の根幹であり、癌や高血圧症、神経痛、疲労などの根本的な解決法ともなるのです。そして呼吸法とは、普段自律神経によって自動的になされている呼吸を、意識的、意志的に訓練する事により、間違って身についてしまった浅い呼吸や、短い呼吸や、無意識上の過呼吸などを調整する方法を伴っているのです。また、呼吸は、荒れた心は荒れた呼吸、落ち着いた呼吸は落ち着いた心と云うように、こころや感情と互いに繋がっているので、心や感情のコントロール法という重要な役割を持っているのです。その他に、吸う時は、体も心も緊張し、吐く時はリラックスするという働きから交感神経と副交感神経の調整という、自律神経の訓練法ともなります。基本的なポイントは長息、止息、腹息、吐息となります。

長息   長息は「長生き」に通じます。肺は気管から段々分かれてついに7億を数える肺胞に至り、そこまで行かなければ、使われ戻ってきた静脈血を清める事は出来ないのです。細い細い7億の肺胞にまで、空気を十分に到達させるには、当然かなりの時間がかかるのでゆっくりと、十分に吸い、ゆっくり吐く長息法が勧められます。そのことは、肺の気管が保護されるばかりでなく、酸素と炭酸ガスの交換がよく行なわれて全ての細胞が喜ぶのです。日々の訓練によって、無意識に1分4回の呼吸数に達すれば、聖者の境地留めるに入ったと云われている。

留息   留息は肺活力をつけます。ヨーガでは呼吸を一時留めることを「クンパカ」といい、吸う息の後、留めるのをプーラカ・クンパカ、吐息の後、留めるのをレイチャカ・クンパカといいます。健康度を高めるためにまず、初心者は7秒で吸い、7秒で止め、7秒で吐くとよい。10回づつ朝晩2回行なえば、肺活量が増し、酸素の吸収力があがってくるのがわかるようになります。人は一日のうちで何度も無意識的に止息をしているものです。物を注意して見ようとするとき、重い物を持ち上げようとする時など集中力や筋力を高める作用があるからです。また、酸素は「脳の食物」 といわれ、脳は同量の筋肉の10倍の酸素が必要とされます。酸欠になると体よりもまず脳がマヒしてしまい、大脳がやられて思考力が鈍ることもさることながら、間脳以下の自律神経が犯されて血循がとまってしまいます。カパラパティは脳に酸素を補給する呼吸法ですし、クンパカも、酸素の吸収力を高めるのトレーニングでもあります。

腹息   腹息は血循の基盤です。腹式呼吸は吐く時に腹部を引き締め、横隔膜を引き上げ、肛門を締め、吸う時に腹部を突き出し、横隔膜を引き下げ、胸郭を広げることになる。このことによって、肺臓の十分に活動させ、酸素を十分吸収するのである。それと同時に、腹筋を使う事により、腹部に鬱帯した血液の流れや、腸の蠕動など促し、加えて丹田力(生命の意志力)を強めることになる。また腸と頭脳とは直結しているので、腸の活性化は脳の活性化である。朝と晩、瞑想の前に、5分間ほど実行する事を勧めます。

吐息   吐息はくつろぎの秘訣です。心の状態と、呼吸の形とは、まったく同じものですか、筋肉が緩めば、必ずくつろぎが来るのです。顎が緊張し続けると、あくびが出る。肩が緊張し続けるとため息が出る。昼間緊張し続けるといびきがでる。みな吐息の変形で、自然は常に、過剰緊張を緩和して健康を守ろうとして余念がないのです。息を吐くと、全身の筋肉がたちまち緩む。筋肉に付着していた凝りが、吐き出されていく。病気の素因は筋肉の凝りにあるから、それが吐く息によって消えていくとすれば、「毒を吐き出した」といっても過言ではない。笑いも大自然が人間の為に 与えた、心身まるごとの健康法である。心の凝りも体もほぐれ、物事からのこだわりから解き放ち、自在観を与え、自然治癒力や免疫力を高めます。「笑う門には、福来る。」です。ヨーガでは「笑いの行法」まで考案しました。胸を広げ顔を天に向けながら、十分に吸う。吸い終わってから「ワッハッハッ」と大声で怒鳴りながら、顔を下向きに移し、息を吐き終わる。笑いの合唱の時は、拍子木を使い、ゆっくり「ハッ」と始めて、だんだん速くし、全部で13回するといい。皆ですると、天照大神の天の岩戸開きのように世界が明るくなることうけあいである。歌を歌ったり、お経を読んだりする事も吐息の行法になっている事に気づきます。  

ヨーガの伝統的プラーナヤーマ

インドのヨーガの伝統的思想では、この全世界の創造物の基本構造は、プラーナから生まれたと考えられています。ですから、この自然界のエネルギーは、プラーナの粗雑な現れであり、プラーナは心と物の掛け橋として働く生命原理となります。そして心は体内のプラーナの流れを変化させて、粗雑な肉体に影響を及ぼしていると考えられ、意思の働きが乱れるとプラーナの働きも乱れ、続いて呼吸作用が、不均衡になる、という具合です。

神経医学的に見ますと、低位脳の視床下部は、肉体中の全てを制御していますが、呼吸に関しては、その自律的機能にかえて、随意神経系に自分の意志で指示を出し、自分の呼吸数や、呼吸の形やリズム等を随意に変える事ができるようにもなっています。ですから、プラーナヤーマの目的とは、高位の脳中枢(神経系)が持つ能力をよく理解して、それらの能力を活用して外界の生気や内的心理器官である意思や、体内の主生気の働きを制御することとなります。

プラーナヤーマの第一ステップは呼吸の速度を普段より落とす事から始まり、第二ステップはその過程で、“気づき”を育てて行くことであり、第三ステップでは左右の鼻の呼吸のバランス保持を計り、これら段階的な訓練によって、生命の源泉プラーナの働きを、呼吸を通して、無意識での自動化運動の環を断ち切り、点、線、面、三次元空間、そして宇宙全体に遍在し、満たし、働いているプラーナの鮮明な意識化を促し、感受性の鋭敏化と意識の拡大を同時に実現させる事が重要視されているのです。

具体的な呼吸法

(1)呼吸の不均衡を正す。          カパラバーティ、アグニサーラ

(2)プラーナヤーマの実習に入る。     バストリカ  

(3)両鼻間の不均衡を意識する。      ウジャーイー、アヌロマ・ヴィロマ、                           ナーディ・シュッディー  

(4)意識の拡大を計る。           ブラマリ−、ムールチャー  

(5)点の意識を拡大させる。         ウジャーイー(喉の一点を意識する)

(6)  線の意識を拡大させる。        シ−タリー(全呼吸気道を意識する) 

 (7)面の意識を拡大させる。        シートカーリーの(巻いた舌を通した 両サ                          イドから吸う)                          サダンタ  (口腔の二面の意識化)

(8)三次元空間へと意識を拡大させる。  ブラマリー(呼気と吸気が生じさせ振動を                          全身で感じ取る。)

(9)ムールチャー(自然なケヴァラ・クンバカによる意識の拡大) 

  ※ そのほかに生命力を強めるクンダリーニ・ヨーガ系の呼吸法に バンダ(喉・横隔膜・肛門の締め付け)ムドラー(その維持の形)の行法等があります。  

A    食事法()

ヨーガでは、「食は神なり」といいます。天地自然のエネルギーを食べ物として取り入れ、身体を維持し、生命活動を行なっているのですから、食の質は体や心の質まで決定してしまいます。生命力のない食べ物を取れば、生命力のない体と心となります。また自然医学では「身土不二」といい、大地から作物が出来、それを私達が食しているのですから、その土地のそれぞれの季節に取れる旬の作物が一番健康によいと考えられています。ですから、春の七草や、竹の子、夏のスイカやナス・トマト、秋のきのこや栗、冬の豆の煮物・干し柿・もち等と、太陽の光に育てられ、酵素、ミネラル、ビタミンなど季節の「気」が入っています。又、熱帯地方では体を冷やす果物が多く取れ、寒帯では体を温める動物の肉の燻製などが尊ばれます。これらの事によって食べ物には陰と陽があることを学ぶことができます。それを食べると、体を冷やし、のんびりさせ、カリウムを多く含むもの、広がるエネルギーを持った物を陰性といい、それを食べると、体を暖め、イライラさせ、ナトリウムを多く含むもの、中心に向かうエネルギーを持った物を陽性の食べ物といいます。大まかにいいますと、果物、野菜は陰、豆、穀類は中性、鳥や動物の肉は陽となります。人は生命32億年の歴史からづっと食べ物を口に入れ、肛門から出しつづけてきた結果、その入り口の歯に、自分の健康に一番よい食べ物の比率を記録し獲得してきました。歯の種類には三種類あることをお気づきでしょう。そうです、臼歯と犬歯と門歯です。臼歯は臼ですから、穀類を挽く、こなす為の歯だと言うことがわかります。では犬歯はどうでしょう?そうです、牙です。肉食動物が獲物を引きちぎるために発達した歯です。そして、門歯はうすい刃で上下がずれていて、紙を切るハサミのようです。紙のような食べ物は野菜ですよね。すると歯の数と比率は、臼歯20:犬歯4:門歯8ですから、穀類5:肉類1:野菜2が私達人類に一番バランスのとれた食べ物の比率と言う事がおわかりになると思います。

また、人間の構造は天体的な環境を反映しているため、地球の中心に向かう天体の影響力つまり求心力と、地球の自転による遠心力の比が1対7であり、人間の諸構造が1対7の比率をもつということは、食べ物、飲み物、呼吸の形で取り入れるものの摂取量にも、1対7の比率があるべきことを示唆しています。具体的にいいますと私達の物質消費量は、重量費でいって、ミネラル対たんぱく質が1対7、たんぱく質対炭水化物が1対7、炭水化物対水が1対7、水対空気が1対7の比率であるべきだと言う事である。勿論この比率は、環境や個々人の状態によって、1対5〜10の間に変化いたします。この比率で食べ物を摂取すれば、人間は環境と最高の調和を維持できるわけです。人間の食べ物の中で、無精製の穀類(玄米など)だけが、このミネラル対たんぱく質、たんぱく質対炭水化物の比率にかなっています。

それでは現代の生理学によって食物と血液と生命エネルギーとの関係はどのように捉えられているのか見てみましょう。「血液健康法」を著した岡田一好氏によれば、「食物は口、胃、十二指腸、小腸で消化される。そして大きく炭水化物、たんぱく質、脂肪の三つに分けられ、三大栄養素と呼ばれる。炭水化物はブドウ糖、たんぱく質はアミノ酸、脂肪はグリセリンと脂肪酸に、それぞれ分解される。それらは小腸から吸収され、門脈という太い静脈を通って、一旦肝臓へ集められ、そこで人体にとって有益な様々の化学変化をうけてから、心臓によって全身へと送られる。炭水化物(糖質)はエネルギーの材料、脂肪はコレステロールやエネルギーの材料、たんぱく質は全身の各組織の材料や、各種の酵素や、糖質や脂肪が不足している時のエネルギーの材料として、それぞれ主に使われる。

ところでエネルギーの材料というと、昔はよく人間の身体を自動車にたとえ、三大栄養素をガソリン、呼吸によって取り込まれた酸素を空気にたとえ、三大栄養素こそ自動車の動力、つまりエネルギー源だと説明した。だが現代ではたしかに三大栄養素はガソリンだが人体は、自動車は自動車でもガソリンでは動かない電気自動車で、エネルギー源はATP(アデノシン三燐酸)という電気であることが証明されている。

糖質、脂肪、たんぱく質は血液によって身体中の各細 胞組織へ運ばれ、その細胞 のなかにあるミトコンドリアという発電所で、TCA サイクル(クレプス・サイ クル/クエン酸サイクルと も云う)というシステムを使ってATPという電気を つくりだす。肺から血液中 へ取り入れられた酸素が必 要なのは、糖質や脂肪やた んぱく質が、このTCAサ イクルという発電所で次々に化学変化をする際である。TCAサイクルを一回りする事によって、糖、脂肪、た んぱく質は38個のATP を生み、1モルのATPは 必要に応じて78カロリーのエネルギーを生む。」と説明されています。  

このTCAサイクルの図をここに挙げておきますが、私達が何故、呼吸や水が必要かという事も理解できすし、この体内のTCAサイクルが、自然界の、空から雨が降り、川となり、田畑を潤し、海に至り、蒸発して雲となる「水の循環サイクル」や、体外においての「食のエコロジー」のように、人も自然も完全なる循環システムの中にあることが理解できる事でしょう。仏陀による説法を法輪を廻す(転法輪)と云いますが、心においては「五蘊の循環の教え」があるように、人は心も体もこのような内界と外界の循環のシステムの中にあるという事を示している事が解ります。

さてそれでは身心道の理解表にそって、食事法をみていきましょう。

節食 節食とは余分な栄養は取らないと言う事です。現代の先進国では栄養失調より食べ過ぎで病気になっている人の方が多いのです。「腹八分目、医者いらず」といいます。一方、アフリカなど地球人口の三分の二程の人は飢えに苦しんでいるのです。フェアートレードなど、同胞愛による富の平等分配のシステムや共存の思想で経済活動を広げる事が要請されています。1人一人の生活の中では、食べ過ぎに注意をし、腸内の不消化物をためて自家中毒にならないように、間食をさけ、内蔵が休める状態を作り、快眠、快食、快便状態で過しましょう。時には断食をして腸内を大掃除する事は、病気治療上に大変効果的です。

禁食 禁食とは毒を摂らないということです。現代手に入る食料は様々な薬で汚染されている。大地の化学肥料から、殺虫剤から消毒剤、防腐剤から人工着色料、また海綿活性剤から人工調味料など細胞や遺伝子を傷つけるものに満たされている。加えて抗生物質を大量に加えた餌を与えたもの、遺伝子操作されたもの、狂牛病のウィールスに感染したものなど農業毒、工業毒、商業毒、医療毒、生物毒などが空に、海に、川に大地に満ちあふれ、世も末の状態である。当然私達の体の中はこれらのものでいっぱいである。それ故、癌、アトピー、喘息などの他、原因不明の病に多くの人が苦しみ、生殖機能も衰え、今や人類の生存の危機である。

現代に生きる人々1人一人の生命観を、自然と共存し、循環する生態系を守り、持続できる社会を築き、利潤追求を第一とする、食料生産や流通や消費者自身の根本的な価値観が変らなければ、人類は自ら作った毒によって滅びる事になるだろう。

生食 生食は体毒を一掃します。特に生野菜を中心にした生食は、ビタミンCの給源、酵素の給源、赤血球の給源、アルカリの給源となります。ビタミンCは他のビタミンの死命を制するもので、たとえ他ビタミンが十分あってもCが乏しくなると働けなくなる。また、Cが欠けると血管が破れ内出血しやすくなり、静脈瘤や脳溢血などの予防になる。また生野菜の美点の一つは酵素である。酵素は食べものを消化し、血液やエネルギーに転換する為の触媒としての大きな働きをする。生野菜は種類が異なるごとに違う酵素を持っているので、できるだけ多くの野菜を摂る事をすすめます。又、生野菜の三つめの美点は赤血球をつくることにあります。肺胞に入った酸素は、赤血球の肩に担がれて全身の細胞に配られる。呼吸も大事だが赤血球も同様に大切なのである。その生野菜の持つ葉緑素の分子構造は人間の赤血球と瓜二つ。違うのは、中心の鉄分がマグネ

シウムに変っているだけである。それゆえ青汁をとる事は輸血をするが如きの効果をもたらすのです。

全食 全食とは、その食べ物の全部を食べると言う事です。大根ならその葉っぱと根、魚なら頭も骨も、お米なら精米しない玄米でと言う事である。食べものはみな「生き物」でありそれ自身生命のバランスを有している。その自然のバランスのままありがたく感謝して「生命の気」を頂くのである。そしてそのエネルギーを社会と自然にお返しできる活動に使うのである。特に主食であるお米についていえば、糠をとった、白米はもはや生きた「種子」ではなくなってしまう。白米は、ビタミンもミネラルも脂質もほとんど奪い去られている。残った糖質、たんぱく質を食べていると栄養不良を起こします。玄米を良く噛んで食べると便がしっかりし、内蔵や顔色が良くなり、体調が変化する事を実感できるでしょう。また肉食動物ですら獲物を捕ると、肉だけを食べるのではなく、むしろ内蔵から食べる事が知られています。どうぞ全食に心がけてください。

総じてみてみますと日本の伝統的な和食がいかに素晴らしいものであるかを再認識されることでしょう。現在、西洋の人々がマクロビオテック(食養法)で和食に憧れる所以です。 

(B)血の流れ

さて、体の健康は、血液の質が良く成っても、血循が悪くては何もなりません。「澱む水は腐る。」と云います。心臓から動脈に流れ出る血液は綺麗な赤い色をしていますが、体をめぐって帰ってくる血液は青みがかった濁った色をしています。比とめぐり22秒ばかりでたちまちそんな変わり果てた色になるのは、酸素や栄養を細胞に配達して、その代わり二酸化炭素や老廃物回収してきたからです。

この血液循環で大切な事は、血流を促しているのは、心臓よりもむしろ毛細血管であるという事実です。大地に生える木や草には心臓が見当たらないのは何故でしょう? そのヒントは木や草は末端に行くほど枝葉が分かれかかわらず、水や養分は木の根から葉の先まで循環している事に気づかれる事でしょう細くなっています。その事によって毛細管現象が働き、末端の細胞の活動と協力して、養分を吸い上げ、行きわたりやすくなっているのです。人の血管も同様に末端に行くにしたがって細くなり、末端で各細胞組織に開放され、再び末端の毛細血管で回収して静脈を通してして心臓に戻ります。このように末端の毛細血管や各細胞組織は「見えない心臓」となっているのです。

ですから、末端の毛細血管をコレステロールや老廃物で詰まらせず、各末端の細胞組織の代表である皮膚付近の細胞を刺激し、活性化する事が、血循を促し、身体の健康に大変重要なことがわかります。この心臓と「見えない心臓」の関係は、「自我」と「見えない神」との関係を暗示していませんか?

さて、それでは、「身心八統道」の図にそって、血循のポイントを見て行きましょう。ここでは血循を促す方法として、体外からの刺激と、体内からの刺激の方法に分けられている事に気が付きます。それで、前者を「皮膚法」、後者を「運動法」と云っています。

B皮膚法(浴)

 私達の外側は皮膚で覆われています。そして、その皮膚の機能は、汗をかく=腎臓の働きをする。毛穴で呼吸をする=肺臓の働きをしている。毛細血管を開け閉めする=心臓の働きと呼応して血循を促す。栄養を吸収しエネルギーをつくる=消化器系と各細胞の働きをしている。そして末梢神経で外の刺激を感じ反応する=脳の働きをしている。など「皮膚は外に出た内臓器官であり頭脳」なのです。 このことにより飯島貫実師はこの見逃されやすい皮膚機能の刺激を、私達の健康に、ことのほか大切な事と説いています。  

光浴 光浴は骨と歯を強めます。骨も歯も主成分はカルシュウムです。カルシュウムはビタミンDがなければ骨や歯になることが出来ませんが、日光にあたると皮膚のところにビタミンDが合成されて、骨を作るのです。人間も草木も日光に当たりませんと強くは生きられません。現在では、オゾン層に穴があき午後には紫外線が強すぎて皮膚を痛めますから、午前中、できれば日の出の光を浴びましょう。ヨーガの行では、スーリヤ・ナマスカールと云って、毎朝、あさひに向かって太陽に感謝する連続した立ちポーズが伝えられています。これは全てに優先する朝の行です。日光浴の時間は度を過ぎては外になる事があります。素直な気持ちがあれば一番良い程度が自ずと判ります。

摩擦 摩擦は静脈を鍛えます。皮膚はどの一点を刺激しても体全体が反応するようにできています。ですから、鍼や灸が効くのです。また非常に敏感な組織ですので、真光などの手当法や、スキンシップなど心や感情をも癒す力を持っているのです。摩擦は主に静脈にそってすると効果的です。温冷浴の後の乾布摩擦が効果的ですが、自身の手の平で心臓に向かって、概して両側より中央、下より上へといたします。体毛の並び方と逆の方向が静脈の流れです。病身の時は生姜湯を薄めて手拭を絞って皮膚を一箇所20回程往復させるといいでしょう。

水浴 水浴は禊(みそぎ)といって日本の神道や修験道の大事な「行」になっています。このことは、霊力のある、先人達が「皮膚は外に出た内蔵であり頭脳」ですから、それを鍛える事は、頭脳を明晰にし、直感力をもたらし、新しい息吹を与えられることを十分に知っていての事でしょう。私達一般の日常生活に勧められるのは「温冷浴」です。これは「血管のヨーガ」ともいうべき健康に大変効果のあるお風呂の入り方です。良く温まった後に、水風呂か冷水シャワーを浴びた後、良く乾布摩擦をしてでるのです。断食などの時や、正式には冷から始まって5回ほど温冷を繰り返し、又、冷で出るのですが、日常では、短く省略しても十分な効果があります。体調がいまいち優れない人や、健康法やヨーガを学ぶ人は是非体験し、日常に取り入れて欲しいものです。グローマスを鍛え風邪をひきにくい体質を作り、生命の潜在能力を高めることがわかるでしょう。

風浴 風浴は皮膚呼吸を高めます。人は着物によって肌を隠し、保護し、飾る動物ですが、それに反比例して、皮膚の毒素の排出力がなくなり、風邪もひきやすく生命力が弱まってきています。できるだけ肌を空気が触れて流れるような衣服が勧められます。そして、日光浴や薄着に心がけましょう。近代健康法の先達・西勝造師は「空気浴」を高唱された方です。特に重病の人に元気をつけ、心臓、肝臓、腎臓、腸を甦らせる方法として勧めました。その具体的な方法は、窓を開けて裸になる時間と、蒲団をかけて窓を閉める時間とを交互に繰り返すのです。裸になる時間を20秒から始め順々に30秒、40秒と10秒づつ増していきます。蒲団をかぶせる時間は必ず裸になる時間より多くし、1分ないし2分暖めます。病人の容態と相談して長短を決める事を忘れてはいけません。この容量で1日2回ほど実行します。以上、これらの日光浴、風浴、温冷浴、そして摩擦や湿布などの皮膚法は、効果が絶大なので、日常の健康法としてのみならず、針や灸、そしてビワ湿布や生姜湿布、里芋パスタなどの応急処置とともに、病気の手当法にも応用されます。

C    整体法(動)

 皮膚法に比べ、内側から血行を促す方法は,一般には運動法といい、骨格や姿勢、筋肉や神経を整え、血行を促すので飯島貫実師は整体法としています。

骨格が狂って神経が途絶えたから筋肉に凝りができるというのも本当ですし、筋肉が疲れて凝ったから骨格を狂わせるというのも本当です。筋肉と骨格とはやはり「陰陽」の関係にあります。

姿勢 姿勢法とは常に姿勢を正しくおいて筋肉に無理な負担をかけないようにする事です。正しい姿勢とは、骨格についてと、筋肉についての姿勢と二つあります。骨格は、その角度が大切ですし、筋肉はその柔軟度が大事です。

正しい骨格のポイントは

1.両足は垂直で内側の線は平行。

2.恥骨を後ろに強く引く。

3.背骨は真上に向かって伸ばす。

4.胸骨を前に出す。

5.顎を引く。

6.腰、肩の左右は平行。

7.鼻先と臍とは垂直。

正しい筋肉のポイント

1.足の親指に力が入っていること。

2.アキレス腱が伸びていること。

3.腰の筋肉と、お腹の筋肉との力が均衡していること。

4.みぞおち、胸、肩、顎の筋肉は柔軟であること。

5.丹田の力に力が入っており、肛門は引き締まっていること。

このようにして全身の372肩の筋肉が協力していれば、血液はよく循環して、疲労が生じないのです。  

体操 体操法とは筋肉の均衡鍛錬と、狂った骨格を矯正して筋肉の凝りをとる事です。ヨーガの体操を飯島貫実師は基本体操、修正体操、徐実体操、本能体操の4つの部類に分けています。

基本体操とは、ヨーガでは一般に基本ポーズ(アーサナ)といっているものを指します。

その要領は@丹田に力を入れる事A動作は概して緩やかにし、動作の進行中は息を吐くことB体操の目的とする骨と筋とに心を集中し、移行性体操ならば、その移行に従って心が移行することC回数は概して二回し、一日朝晩二回することD体操が終わった時、必ず一分間、仰臥のまま全身弛緩する事です。

本来ヨーガの体操法(アーサナ)は身体の健康の為にだけあるのではなく、呼吸法と共に、心の調和を計り、身体で行なう「祈りの行」でもあります。

伝統的なヨーガおいては、体位法 (アーサナ)が中心になります。神話では、シヴァ神は8400万のアーサナを説いたと云われますが,その中でもハタヨーガの教典では84種が優れているといい、また「ゲーランダ・サンヒター」では人間社会に有用なものを32種挙げています。貫実師はその中から16種を基本ポーズとしてとりあげ、その機能的種類を「かがみ,反り、横曲げ、ねじり、足に首、逆さにシャーバでめでたアーサナ」と言い習わし、私達に実行を促しました。今回はその中から12種類ほど図解で挙げておきました。手術の後や、身体に損傷があったり、あまり血圧が高く不快な時等はどうぞ無理をせず、気持ちよく実行して下さい。 

ヨーガでは「肉体は神殿であり、アーサナは身体を使った祈り」といいます。貫実師はこのアーサナのコツを「息に沿い、身体のびのび,言葉向け」と詠いました。ゆっくりと、息を吐きながら移行し、身体を緊張させずのびのびと、祈るようにします。「言葉向け」とは、言葉を述べる=意を宣べる=イノル=祈ることです。

ヨーガスートラによるアーサナに対する記述は@アーサナは安定していて快適なものでなくてはならない。A弛緩に努め、無辺なものと合一させなくてはならない。Bその時、二極の対立物(マーヤ)によって害されない、と述べられています。

そして運動法において、飯島貫実師が最も大切にしたのが、本能法です。馬が、一日の激しい農耕などをして、疲れや歪みが生じると、背骨を土間に打ちつけ、骨格を修正したり、猫が起きる時,全身で背伸びをするように、動物は身心の異常や不調を自分の内なる生命の趣くままに身体を動かし修正しているのです。子供の寝相が悪いのも、実は本能的に体の歪みを治している作業なのです。これらの運動は、いわば「神ながらの体操」と言えるでしょう。そのように、本能的に運動する方法を、岩田有示師は本能法として実行を促し、野口晴哉師は活元法として取り入れています。かつて空也や一遍上人らの踊り念仏や、若者達が、自由に音楽と共に踊るフリーダンス等もこの領域に入ります。

指掌 指掌法とは、指や掌をもって、筋肉の凝りを和らげ、その本能力を復活させて骨格を整えること。この領域で代表的なものは指圧法や手当法や合掌行があります。指圧のよさは、誰でも簡単に出来る事ですが、指圧の大家、浪越師の説によりますと、疲労素、つまり乳酸は、指圧することによって五分の四までがグリコーゲンに還元されて、また元のエネルギーになるといいます。またヨーガでは「手は第二の頭脳」といいます。合掌をはじめ多くの「手印」が伝えられているのも「手の姿」が直ちに「心の相」を作り、表わすからです。また指掌法の中に「手当」の行法があります。痛むときには思わず手を当てたり、子供は手を当ててあげると不安が解消され泣き止みます。手には癒す力と心が宿ります。ドイツの解剖学者マイスネル師が百年程前に、顕微鏡で掌の放射線を発見したと言われています。それは一種の酵素であり、一本の指には五万台ばかりの砲座のような小体があり、音響をたてながら酵素の弾が発射されているといわれています。しかしそれは人によって多少があり、また、感情の持ち方によって発射度が変り、愛の心を持ったときに最も良く発射されるといいます。これら、いずれも人間の手の持つ不思議な力を活用したものです。

触手は、合掌行の延長です。合掌によって体験できる功徳が、そのまま掌と体との間に流れて、」治療力を発現するのです。それ故に原則として、与え手の健康以上には、受け手の健康度は上がりません。ですから、与え手はまず自らの合掌行を行じて、おのれの健康度を引き上げておくべきです。

触手療法はまた同様に足裏の持つパワーも見逃す事は出来ません。インドでは聖者の御足に触れることはその偉大な力を頂くことであり、その習慣は、仏足石やサンダルプージャとして伝えられています。現代では山内宥厳師の足圧による「楽健法」が多くの病める人を救っています。

揺振 揺振法とは、四肢、または全身を振動させては血液の循環を促し、筋肉を回復させる事です。皮膚法のところでお話しましたように、血循は心臓と「見えない心臓」である全身の毛細血管が陰陽協力して営まれているのです。全毛細血管の数は51億本、毛細血管の直径は、萎縮した時が0.002ミリ、拡大した時が0.009ミリ、その長さは0.17ミリ。そのような莫大な数の細い血管に水の五倍の粘度を持つ血液を通過させるためには、果たしてどれだけの圧力を必要とするでしょうか。心臓の大きさはこぶし大、重さは250グラムばかり、その圧力は400グラムほど、柔らかい筋肉の塊です。毛細血管一本を通すだけでも大変な圧力を要しますが、それが51億本、か弱い心臓のできる仕事ではありません。もし一つの圧力で通すとすれば100トンばかりの圧力を必要とするといわれています。このような訳でいかに毛細血管の働きが全身の血液の循環不可欠であるかが理解された事と思います。「血循さえつけば、どんな病気でも好転する。」これがヨーガの教えです。

そこで血循を良くしようと願うならば、まず血循の動力源である「毛細血管」を鼓舞しなければならないのです。逆に心臓を鼓舞しても血循は良くならないばかりでなくむしろ大いに危険なのです。

この血循の原理を集大成した方が西勝造師です。そしてその原理に随順して奨励されたのが、「毛管運動」、「金魚運動」、「背腹運動」の三つでした。

毛管運動法  仰向けに寝て、四肢を垂直にのばして四肢を振動させます。腕と足とには全身の毛細管の75%が集まっています。それを一斉に鼓舞するのですから、全身の血管は一度によみがえります。一分間は続けて振らないと効果は出できません。

金魚法  仰向けに寝て両手の指を組んで後頭部に当てます。全身を真っ直ぐにしアキレス腱を伸ばすように足先を引き両足を発動源として全身を左右に揺するのです。これは特に、脊髄の副脱臼を修正するのに役立ちます。これも一分間以上続けぬと効果がでてきません。

背腹法  これは準備運動としてまず顎と肩を動かして緩めます。正座して両手を膝の上におき、背骨の最下部を軸として、体を右に、左にと傾けます。脊髄と頭とは一直線にしたまま揺振し、体を傾けた時、丹田に力をこめ、体を垂直にしたとき、丹田の力を緩めます。一分間50回往復の速さまで上達するように心掛け、一回10分間を限度と致します。この運動は腰部の筋肉を強くし、脊髄を支えている両側の筋肉を整調し、脳髄の毛細管現象を活発にし、丹田力を作るものです。この「背腹同時運動」は交感神経、副交感神経の均衡、血液の酸とアルカリの平衡とという大事な効果をもたらします。

以上、整体道に関して、姿勢法、体操法、指掌法、揺振法を説き、姿勢、体操は「骨二道」、指掌、揺振は「肉二道」となります。  

 

 

「精神篇」 (覚・心・愛・修)  

 それではこれから身心八統道によって説かれた私達の心のありかた・精神篇に移っていきましょう。

・五大について 

先に、太極の図でも表わしましたように、自然の根源としての太極は、まず天(陰)と地(陽)に分かれ、天(陰)は日(陽)と風(陰)に分かれ、地(陽)は大地(陽)と水(陰)に分かれていきます。「太極」とは仏教的にいえば、陰・陽を生み、陰・陽を調和させる「空」なるものと云えます。又、ヴェーダンタ・ヨーガ哲学ではアーカーシャ(虚空)といいます。

そしてヨーガや仏教では「空」からはじまる 「風」・「火」・「水」・「地」の要素を「五大」 と云い、それらの要素が、生命の基となり、生命 を支え、生命の中に入り、生命を生かし、生命を 自然に還元していると考えています。 先の肉体篇の「生命の海」で述べましたよう にこれら「五大」から始まる生命発展の過程 (天地創造の記憶)を、神道では「ひふみの祝 詞」として伝承されています。これは、今でも子 供のお手玉で遊ぶ時など「ひぃ・ふぅ・みぃ・ よぉ〜」などという数え方としても、伝えられて います。これは即ち、まず初めに光=日(ひ)あ りき、そこから風(ふ)が起り、水(み)や海がで き、大地=世(よ)が生まれる、そこに命(い) の草・イグサ・稲が生え、それを食べる虫(む) が繁殖する。虫は水の中で魚(な)となり、空を 飛ぶ矢(や)のような鳥となり、股(こ)のある 四つ足動物になり、光の旅がここで止(と)=留まる。そして人間(ひ・と)は最初の「ひ・日」=「1」から、「と・止」=「10」の全ての過程(ひ→と)から成り、それら自然界全てを宿し、又、それら全てのバランスのとれた生態系の中にこそ生存できる生き物であるとの教えです。仏教のストゥーパ(卒塔婆)や、五重の塔や、石灯籠はそれを訴えし続けているのです。

さて、「身体の健康」は、血液の質と流れによって決定されるので「呼吸法」(息)=風の要素、「食事法」(食)=土の要素、「皮膚法」(浴)=水の要素、「整体法」(動)=火の要素があったように、「心の健康」も、心の質を高め、心の流れを良くすることです。心の質は「解脱法」(覚)=「風のココロ」、と「唯心法」(心)=「土のココロ」、心の流れは、「愛行法」(愛)=「水のココロ」と「修行法」(修)は「火のココロ」となります。そして身体の四大(土・水・火・風)とこころの四大(土・水・火・風)をバランスよくつなげる(ヨーガ=結ぶ=産霊)のが「空」の要素となります。

■「解脱法」 風のココロ=自在無碍になる。 (覚)

さて心の質はどのように高めていくのでしょうか? こころもヨーガでいえば、プラーナ(気)の働きであり、気の現れです。ですから心の質とは気質(かたぎ)です。職人気質とか、親分気質などといわれる、その人の性質を作ります。何ものにもとらわれず自由自在な気質とは、「風のココロ」です。風の特質は一切無障碍といって、障害物があってもさっとどこでも自由に空間の中を流れ広がり、こだわりや執着がないことです。このこだわりのない自由自在な気質を得るには、私達が何物で、どこからやってきて、この世界ででどのように存在し、生かされ、去っていくのかを理解する事から得ることができます。それは私達が宇宙のエネルギー(神)によって生かされ、その宇宙のエネルギーの分身であり、その宇宙のエネルギーそのものである事を悟ることです。その方法は学問からでも、体験からでも、直感からでも、瞑想からでもあらゆる方法か理解していくことです。自分が「神」(宇宙のエネルギー)そのものである事を知ること。現在の自分の限定された環境や条件や苦悩から一旦解き放たれた視点を持つこころです。それを「解脱法」=地上的束縛からの「超越の原理」と云います。それはたとえば、お腹の中にいる一粒のイクラが母なるシャケの愛を感じる事であり、私達の血液が海の水と等しい事を知ることであり、太陽と地球の関係を知ることであり、エネルギー不変の法則や量子力学など物理学の法則が心の法則と通じている事を知ることでもあります。それは即ち、火(か)・水(み)の原理を知ることであり、自分を知ることです。仏教ではそれを「三法印」の教えと云い、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静を悟ることとなります。「諸行無常」とはこの地上に生まれたものは滅び、一切のものは変化するという事を悟るということであり、「諸法無我」とはこの地上の全ての物が相互に関係し合って変化しているのだから、自分もまたその中に組み込まれていると悟る事です。「涅槃寂静」とはしかし、命は本来、宇宙からやってきて宇宙によって支えられているのだから地上の原理を超えて、自由自在、一切無障碍の力を無限に秘めている存在である事を知ることです。

■「唯心法」 大地のココロ=安心立命を得る。 (心)

 地上を超越し、宇宙の原理の存在と力を自らのうちに発見できましたら、まずは自分の足元(大地)から天国(常・楽・我・浄)を一歩づつ作り出すという作業に入ります。「常」とはいつも健康な生活をおくる道を実行する。「楽」とはいつも楽しい生活をおくる道を実行する。「我」とはいつも自由な生活をおくる道を実行する。「浄」とはいつも清らかで、美しい生活をおくる道を実行する、ということです。この唯心法を「創造の原理」と云います。世間は自らの「想い」の現れと知り、世界を変えるにはまず中軸になる自分をまず変えることから始め、他を批判するより、自分を変革し、力をつけ、自己教育して、自分の足元の身近な環境から変え、理想の世界を創造して行くことです。仏教では「無明」から始まる「十二因縁」による、「因果の法則」の教えであり、個々人においては「五蘊」の教えになります。法華経では「十如是」の教えになっています。即ち、この地上の相互関連の法則=原因と結果の法則=「因縁の法則」を学び、使い、世界を創造する事です。「十二因縁」とはブッタが最初に鹿野苑で五人の弟子に説いたといわれるもので、私達はどのようにして宇宙からやってきて、心と体を形成し、世間を作り、また宇宙へ戻っていくのかを無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死と示し説いています。また「五蘊」の教えとは私達の心は色→受→想→行→識のサイクルの中にあるので、それをよく知りその原理を応用してより良い世界に生きなさいという事であり、「十如是」の教えとは物事の実相から実体へ、実体から影響力へ、影響力から結果への流れを、如是相→如是性→如是体→如是力→如是作→如是因→如是縁→如是果→如是報→如是本末究境等と述べている所のものです。  

■「愛行法」 水のココロ=平等博愛の行為。 (愛)

 さて、心の質から心の流れにはいります。心の流れを良くするのは、心の広がりを実感する事と、心を常に磨く事によります。命の根源は宇宙の一なるももからやってきたのですから、他者はたまたま違う条件から生まれた自己の現われとなります。ですから、他者(他己)の中に自分の異なる姿を見て行動することです。また「世間は鏡」ですから、人を助け、人を愛する言葉や行いをする事が、まわり回って、良いエネルギーが自分に還流されて、心の質や流れを良好なものとし、生き甲斐や喜びを生みます。人を生かし、自分を生かす生き方です。アッシジの聖フランシスの祈りの中でも「自分が愛されようと思うより、相手を愛しなさい。なぜならば、人は、人に与えるものの中に、自分が受け取るものがあるのですから」とあります。仏教では「四無量心」の教えと云います。即ち、他の自分として現れた人(他己)の幸福を共に喜び(慈)、不幸を共に悲しみ、又励まし(悲)、人から受ける助けや親切を素直に喜び(喜)、他己の自分に対する不愉快な行いや、悪口に対し、こちらからの悪意を手放し、捨て、忘れて行為すること(捨)です。  

■「修行法」 火のココロ=情熱使命を生きる。 (修)

 情熱を持って、自己実現に向かって努力すると言うことです。宇宙から、この地上へ生まれてきた意味を尋ね、発見し、理解し、その与えられた使命を自覚し日々精進し、実現へと歩みつづける事です。仏教では「八正道」の教えです。正しい視野を持ち(正見)、正しい思考で決断し(正思)、正しい言葉で語りかけ(正語)、正しい行いを積み重ね(正業)、正しい職業につき(正命)、正しい努力を怠らず(正勤)、正しい願いを持ち(正念)、正しい安息の時を持つこと(正定)です。しかし、「正しい」という事はどういう事なのでしょう? 私はこの事が中々解りませんでした。そこで、飯島貫実師は言います。「吾よし、人よし」、「今よし、後よし」と…。

 さあこれで、「身体の健康」は、血液の質と流れ、「心の健康」は、心の質と心の流れ、これを結ぶ(掛け合わせる)相乗原理の「身心八統道」の全体像がつかめました。この「人生航路の海図」を手に入れましたら、これから、生き

生きと、伸び伸びと、ライフワーク実現に向けて、これらを実行し、楽しく、健康に、この人生を過ごしていきましょう。そして、いつでも、この世界から自由になり、いつでも、新たな世界を再創造して行きましょう! 何故なら、全世界は私達一人一人の内にあり、私達自身は世界の全ての中に宿っているのですから…。 そうです、世界は「色即是空」であり、「空即是色」なのですから…。

               (了)

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