●夢中勧進言


夢の中の勧進のことば

「万物の中にて、己にのみ光映りて見えるものあり。汝、志あらば北へ向かえ…」

(季刊ダアマ7号 1992.10.30.)

上野玄春


この話は20年程前にさかのぼります。私がまだ中学校の美術の教員をしている20代の頃のことです。その頃、私は芸術的関心から、人間の心理、自分の心の奥を知るために夢日記をつけておりました。その中で、今から思えばとても私に影響を与んた印象的な夢があります。ノートには「夢中勧進言」と題されて記録されておりますので紹介してみましょう。


自分の部屋でしょうか、あるあばら屋で、青年がこれからの人生の行く末を悩み、思案に暮れておりました。すると、その戸口に、擦り切れた僧衣をまとった老人が立っているのに気が付きました。破れた編み笠のすき間からわずかに見える顔立ちは、どこか私の祖父に似ておりました。その勧進(乞食)は塵にまみれたガラクタに埋まった部屋の中に立って、無言で、やおら埃まみれの靴をひとつ取って、かたわらに移したのです。私はその振るまいを怪み、僧に、その所作の訳を尋ねますと、答えていわく「万物の中にて、己にのみ光映りて見えるものあり。汝、志あらば北へ向かえ」と。私は次のようにこの言葉を理解致しました。

「この世界で、特別なものでなく、足元や身近にある平凡なものと思える事柄の中にも、自分の心にとっては何か光輝いて映るものがあるのです。その事実に注意深くありなさい。そして、もし将来について何か志あるのならば、北の方角へ向かいなさい」と。私はその夏、東北から函館まで旅をし、函館山で教会をスケッチしながら、いずれ教員を辞めようと決意し、札幌まで足を延ぱさず帰って参りました。その後、長髪の頭を坊主刈りにして、二年後、教員を辞めて、心に光る世界・印度へと寝袋をもって旅立ったのです。


印度では、まずニューデリーからバスで北へ七時間程上ったところのヨガの聖地リシケシのシバナンダアシュラム、そして歓喜像に飾られた寺院のあるカジュラホ、アグラのタジマハール宮殿、ヒンズー教最大の聖地ベナレス、そして仏陀成道の地ブッダガヤに辿り着いた頃は、下痢と日射病で一週間程も食べ物も口に入らず行き倒れ寸前の有り様でした。何時間も待った満員のバスの中では気を失いかけては少年に励まされ、路端で数珠を売っている露天商の人にお湯を沸かしてもらい、日本から持ってきたインスタントみそ汁を口に含み入れ、やっと菩提樹の下の金剛座に辿り着き、この場に、現実におられた若き仏陀の姿をありありと感知し、印象された仏足跡に深く礼拝をして、そびえ立つ大塔の中へと入りました。

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その薄暗がりの正面には、金色の身体で、右手を大地に接する降魔成道の触地印の仏陀に出会ったのです。その逆三角形の痩せた金色の身体は闇の中に光を発し、青く塗られた螺髪とその鋭い眼差しを見つめますと、何か強く私に問いかけています。「汝は、生きることが苦しいと言うのか?・・・しかし、汝がこれまでに、人に、そして世間に何をしてきたかをわかるであろうか?−その所業がそのまま汝に結果してきただけのこと、今の苦しみはあたりまえのことであろうが?…如何?」その瞬間、私の目から涙があふれ出し、静寂の中で、私の苦悩の源泉を説く厳しい表情の仏陀を前に、頬に伝わる心の汗をぬぐいもせず、そのことばをかみしめておりました。やがて、私はうつろな足取りで塔の外へ出ました。日ざしは変わらず強いのですが、何故か別の風景のようでした。そして何か深い病根が溶けたように感じられました。


日本に帰ろう、光りと水と緑あふれる日本に帰り、一からやりなおそう。人との出会いも、世界との触れ合いも始めからやり直そう。汽車の中では、唯一、口に入りそうな市場で買ったざくろの実で、口のかわきをいやしながら、一粒、一粒、種を窓の外にはじき飛ばしていました。


その後、日本にて、ヨーガや自然医学を学び、再び印度のプーナや中近東のパレスチナを訪れ帰ってきた頃、伊豆の妙法華寺というところで、ダアマヨーガ道会の合宿に参加し、飯島貫実尊師に出会いました。尊師は尼さんのようで気品があり、そして又何と祖父に似ている僧だったのです。その合宿では法華経と「一木万葉」を説いておられたのが印象的でした、合宿より帰って、下宿の庭先にあった名も知らぬ木の梅雨の季節に、いっせいに若葉がそれぞれ天に、そして光に伸びる姿に感動して、キャンパスに向い「万葉」と名付ける大作が生まれました。後にこの木の種類が白木蓮であることを知り、木の蓮ならば、なるほど法華経に縁があったのだと気付きました。この作品は、私にとっては初めて日本画的表現を洋画にとり入れ日本芸術家協会のJAG展というところで金賞を受賞したものです。その後私は貫実尊者の導きにより、玄明先生や石井上人のお世話で、法華経道会運営のお手伝いをし、ヨーガと僧と絵描きの道を歩み始める事が出来たのです。


今から思いますと、あの夢のおかげで現在の自分があり、又「一木万葉」を説く、貫実尊者に出会うことができたのだと思います。又、このヨーガのお道で出会った現在の伴侶が函館生まれであり、当時は札幌に移り住んでいたことを知り、あの夢をいまさらながら不思議なことと思われるのです。そして、啓示の光は、夢の中にても、現実の世界にても、いつも様々な姿をとって、私達を導いてくれているようです。                                                 

合掌

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