●梓通信 エッセー

 

市民タイムス 1995.1.3

あづさ梓通信@「大地の星」


恒河舎  上野玄春


私達が埼玉県の浦和から信州へ移つて二度目のお正月を迎えることになります。以前から〈山があり、川のそばで、少し畑のいじれるところ〉で暮そうと、妻といくつかの候補地を尋ねようやく松本の近くのこの地、梓川村へ落ちつくことになりました。

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18年程前、都内で勤めていた中学校の美術の教員を辞め、寝袋をかついで羽田より飛行機に乗り、ビートルズも影響をうけたというインドのヨーガを知りたくて、辿り着いた聖地リシケシにどこか印象が似ていたこともあつたのでしよう。かの地はヒマラヤから流れ出るガンジス川の上流ですが、信州のこの地は北アルプスの上高地から人里へと梓川が流れ、その近くに建てられていた土蔵風の民家を譲り受け、二階をアトリエに、一階はヨーガや印度舞踊の仲間が集まれるようにと改造し、どうにか住めるようになったのが昨年の春、そして暮れに引つ越し、初詣では大晦日の深夜、大宮熱田神社へ参りました。

何度か車で寄ったことはあるのですが、今度はどうしても村への移住の記念に、妻が歩いてみようというのに賛同して、小雪舞う中、慣れない山裾の夜道を歩き始めました。しかしどうでしよう、目標の森陰に近づくと、お寺であったり、リンゴ畑の続く夜道は行けども遠く、淋しい窪地を越えてようやく神祉の焚き火を見つけたころには、年が変わっていました。いつもは車で十分もかからないところ、いかに日頃車の恩思を受けているのかを知らされました。夜は又、違った村の姿が現れるのですね。本殿前で祝詞を唱え、いよいよ村の住民になったことを神前にご報告し、ご加護を祈り柏手を打つ、隣で手を含わせている妻にも心からのありがとう。梓川村・上野玄春と記帳するとひそかな充実感と、いよいよの緊張感で心引き締まる。思えば妻の旧姓は熱田であり、車のナンバーはいまだ大宮で、ここは大宮熱田神祉、村の住所も大字上野で、これも私の姓と、何か不思議なご縁で、この地に呼び寄せられたようにも思え、境内で仲良く寄り添う相生の杉や、日本一という樅の大木にご挨拶をし、足取り軽く家路へと戻った。

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春には、ほんの一坪程、土を耕し、トマト、ナス、キャベツ等の苗を二本ずつ植えてみた。しばらく、個展や踊りのイベント等で家を留守にしている間に、トマト等は葉や茎を伸ばし、地上にのたうち回っている様子、急いで支柱を立てたりで、“鼠の額”農園には、たいそう楽しませていただいた。そういえば、この夏、二階の窓から澄んだ漆黒の夜空に浮かぶ天の川や、きらめく星座を見ていると、地上でも、何と星が光っているではないか!やがてその光はふいに左右に移動した。そう、とうに忘れていた大地の星・蛍の発見であった。

かつて、歌の上手なダアマヨーガの友人がギターを手に♪地上に花あり、夜空には星、そして人には愛がある♪と歌つていたことを思い出す。彼は後に家族と共に自給自足の集団農場の村民の道を選び、その後の便りで「ここでは地上の人々の苦しみや困難は皆で解決し、楽しく暮らしている」との手紙が届いた。私は、かの人々の営みを敬いながら、自由という誘惑と、夢と、困難をも糧にした、ありのままの道をゆっくり歩んで行こうと思つている。              合掌

あづさ梓通信2 

「季刊ダアマ」 1995.12.1

「宇宙のパン種」

梓川村「恒河舎」の東側には近所の人の耕す水田がある。遠く美ケ原の青い山並を背景として、田植えから、苗の成長と、季節の移り変わりを楽しませていただいている、昨年の「大地の星」蛍を見つけた所でもある。先日まで黄金の穂がたわわに実っていたが、今は刈り入れが終わり、いよいよ秋も深まつてくる気配である。私の絵の制作も2月頃から下描きが始まり、田植えの頃には色を置き始め、稲の成長と競うように、時には、ヨーガの教室や合宿、そして印度舞踊の公演などで寸断されながらも、どうにか少しずつ完成へ向っている。私の収穫祭はいつになるのだろうか、収穫祭といえば、昨年は村の運動会で、校庭の真中で印度舞踊を披露したのだが、今年は文化祭でのステージ公演を依頼され、村で踊るのは老人福祉の会を含めてこれで三回目になる。松本市や東京の公演の時と比べてなんとものどかで、その度に少しずつ村の知り合いができて、道など思わぬところで声をかけられることになる。

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今年は土手の向うに少し畑を耕した。元は河原であった所なので、ほとんどが大石小石でシヤべルでも間に合わず、工事に使ったツルハシで、石炭を掘るように耕すのだが、残る土が少なくて凹みができてしまう程である。そこに台所の残飯等を少しずつ土の中に埋めて肥料にと思っているのだが、何といってもまだ栄養不足で育ちも実りも小さいのだが、それでも野菜達のひたむきで、いじらしい程の生命の働きを見せていただけるので私達にとっては十分すぎるほどの恵みと思っている。ジャガ芋等は、半分に切った種芋に土をかぶせ、今日か明日かと芽が出て来るのが待ち遠しく、芽が出てからはぐんぐんと葉や茎を伸ばし、夏が近づくと薄紫の可憐な花を咲かせ、もうこれだけで納得してしまった。そういえば今年は野菜の食べられる部分にはあまり期待ができなかったけれども、その咲かせる花に初めてお目にかかる機会となった。ブロッコリーなどは放っておくと、そこからいつの間にか菜の花のように黄色い花が咲き、花瓶に差して観賞した。ナスやキウリ、大根の花も本当にきれいで、吾が畑では、「野菜は花の草」であった。河原に茂るアカシヤの木も又、六月の短い期間に枝一杯に白い藤の花のような花をたわわに咲かせていて、その蕾を天麩羅にできるということで、ときめいてこの花の精を合掌し、味わさせていただいた。

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こうしてみると、今年の暮らしのテーマは、日頃食べるものをできるだけ身近に、そして手作りしてみようと心がけてきたように思える、例えばヨーグルトも、カスピ海の種を手に入れていつも冷蔵庫で待機しているし、玄米を煎ったコーヒーも愛用の飲み物となり、カレーもいただきものの玉ねぎを30分も妙めているともうエスニツクな香りがただよい、本に従ってたっぷりスパイスを入れると本場そのもののカレーべースが出来て、その味の良さに妻と歓喜の声を上げる程であった。梅干も玄米菜食には欠かせないもので近くでリンゴ畑と野菜を育てている川上さんが、朝の行をしていると「おーい、梅を取りに来な!」と声をかけてくれたので、たわわに実る梅の木から手篭一杯いただいたのをきつかけに、梅ジュースと梅ジヤム、梅酒、そして手引書を見ながら梅干にも挑戦してみた。紅シソの葉の季節を外していたので、北海道から来る妻の両親にたのみ飛行機に乗せて信州の梅とのドッキングでかろうじて問に合い、今は二階のアトリェの片隅で色よく梅を染めて、時折、私達の食卓にお目見えしている。

何より嬉しいのは念願の自然酵母のパンが焼けたことである。近くの穂高町で、自然食のペンションを営む、ヨーガの友人であり、田舎ぐらしの達人、、臼井さんに、パンの作り方を聞くと、「玄春さんだったら、全く初めのパン種を作るところから始めたほうが、自然の勉強になるよ」と言われ、舎爐夢(シヤロム)のクッキングノートを見ながら、まず、干ぶどうから天然の発酵酵母を取り出すところから始めた。干ぶどうをタッパーの中で水に浸して一週間もすると、ブヅブヅと泡が生まれ、少し甘酸っぱい香りが漂い発酵が始まつてくる。そのエキスに全粒粉を混ぜて練り、6時問程寝かすとパン種ができる。そのパン種の半分に小麦粉や少量の塩、干ぶどう等も好みに入れて、発酵させ、2倍程にふくらんだら、210度で40分程オーブンで焼くと、薫りのよい、こんがりとした一週間分の田舎風ぶどうパンが出来る。残った半分のパン種に、全粒粉を使った分混ぜて、又冷蔵庫の中に保存しておくと、半永久的においしいパンが作れることになる、発酵作用という、目にはみえないところでの、自然の生命現象が、絶えることなく、私達の日常を豊潤に満たしてくれるサイクルを作っているのだ、これに、近所の人達の分けて下さるリンゴや、友人達の育てた、見るも見事な野菜の差し入れ等で、田舎での暮らしを味わっているところである。

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思えば、かれこれ20年近くもたったのだろうか。中学校の美術の教員を辞して、インドを旅し、辿り着いたヨーガの聖地、リシケッシのシバナンダアシュラムで、耳にして以来、常にヨーガを行じる際に唱える不思議な響きをもつマントラ「プールナマダ」のお祈りの心が、この自然発酵のパンを作ることによって、ふいに、実体をもつて感覚されることになった。
「それは完全である、これも完全である。完全なものから完全なものが現れる。完全なものが無に帰したとしても、やはり完全なものが残る」 シバナンダアシュラム・サダナハンドブックより)そして最近、屋久島に住む山尾三省さんの素敵な本「屋久島のウパニシャッド」では、アーラニヤカ・ウパニシャッドの中の一部として、「彼界は充実(プーナム)す、此界も充実す、充実せるものより充実せるものは生ず、充実せるものより充実せるものを減くに、剰れるものもまた充実せり」として、現代ヨーガの先達・佐保田鶴治先生の訳が紹介されていた。さて、私達この世界のパン種は、どこに、だれによって蔵されているのであろうか?


「オーム プールナマダ プールナミダン プールナート プールナムダッチャテー プールナシャプールナマダーヤー  プールナメヴァーヴァシシャテー  オームシャーンテ シヤーンテ シヤーンティヒ」
                              合掌

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