●舎爐夢ヒュッテ便りとGUESTのページ

5月は安曇野が1番輝く季節です。

5月31日土曜日 晴れ 気温22度

5月の楽しい催しクラフトフェアーにいってきました。雨上がりの会場は気持ちよく午後ゆっくりと参加させていただきました。ここ数年レベルも上がって見応えのある作品が多く、人形劇やバンドの演奏 クラフトの映画などもあり1日楽しめました。主催者の皆さん楽しい催しを有り難うございました。

個性豊かな力作並ぶ
あがたの森でクラフトフェアー

CRAFT FAIR MATSUMOTO 1998
FIELD EXHIBITION & GALLERY SPACE

全国のクラフトマンたちが集まる「クラフトフェア松本」が30,31の両日、松本市あがたの森公園で開かれた。14回目となる今年のフェアには、全国から約220人が出店。雨上がりの芝生やヒマラヤ杉の下には、色とりどりのテントが軒を運ね、陶芸、木工、染織、工芸などあらゆるジャンルの手作り品が並んだ。開店を待ちきれず朝早くから訪れる人の中には、親子連れなどの姿も目立ち、松本の初夏のイベントとして定着していることをうかがわせていた。糸紡ぎの実演やオーストラリアの原住民・アボリジニの楽器を演奏する人、カラフルな裂き織りの衣装や再生紙を使った花器などを展示する人もいて、作り手と使い手が情報交換する光景も見られた。運営母体の松本クラフト推進協会の伊藤博敏代表は「今年は385五人の応募があった。意欲的で創意のある将来性豊かな若い人たちに、出店の機会を与えるよう配慮している。フェアを重ねることで、創造の意欲が高まることを期待したい」と話していた。

       (5.31市民タイムス)

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5月30日土曜日 晴れ 気温21度

午後より中矢伸一さんの講演に出させて戴きました。中矢さんは古代神道中心に著述が多く日月神示 文明論 月刊神州などを刊行 「急成長する米国有機自然食産業から日本は何を学ぶか」という演題で講演されました。食の重要性を説かれて後 米国での自然食ブームの背景を説明マクガバン報告なども交え今アメリカで何が起こっているかを説かれました。かなり菜食の人が増え自然食がブームというよりか定着しそれに関わる産業が急成長しているとのことでした。オーガニック食品の試食もありました。

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今日の宿泊はほとんどがクラフトフェアーに参加される方でした。
夜には井上さん清瀬さんとの会話が盛り上がり楽しい一時でした。
清瀬さんは建設会社の研究室におられる方でゼネコンは自然環境の保全なくして語れないと最先端の技術を披露してくれました。

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5月29日木曜日 晴れ 気温22度

いつもすてきなメール有り難うございます。
モモからのメッセージ全く同感です。
いつも思います。もう少し誰もが魂のことを考えたら、いのちを活かす社会を創れ、あるがままの自分をゆうゆうと生きられるのにと。
少しだけ皆で痛み分けしあえば、いくらデフレになろうと経済が混迷しようと、みんなでより良い社会をつくるきっかけにできるのに、つんのめって走り続け、自分のところは生き残ろうとなりふり構わずで、あげくは何処かで小さな戦争でもあれば等という人も出る有り様。人は騙せても自分の魂を騙しつづける事はできないのに・・・
水、空気、食べ物、魂等ー確かでゆるぎないものの代名詞である筈のものがこれほど覚束なくなってしまった今どうすればネジを巻き戻せるのか途方にくれる程ですが、ひとりの力が大きな力を持っているのも今という時代と思います。便利快適がもたらした結果を少し立ち止まって考えて、魂の事、生きるということを語り合い、暴走している社会のギヤを引きたいと思います。
風の谷のナウシカが捨て身でオームの暴走を止めたシーンが目の前に浮かびます。
大好きなモモのエンデさんの文章に嬉しく拝読しました。

ほ・の・ま   鶴田紀子

前略、臼井健二様。

よくもまあ、こうやって他人(ヒト)を考えさせる材料を見つけ出してきてくださいますね。おかげで私も学生時代の再勉強で、自分のよって立つスタンスを再確認することとなりました。お礼を言うべきか、うらみを言うべきか、「一期一会」なんてェ言葉が去来します。

このあたりの臼井さんの提示にたいしては、わたしは、「衣食足りて礼節を知る」の東洋唯物論の味方です、と言ってしまいます。

朝日新聞社のエンデ好きは有名ですが、エンデはドイツ系ではセンダックと並んで注目される児童文学作家で、絵本の世界ではわたしは英国のバークレム(のばらの村のものがたり)などとともに注目していました。このような啓発が社会のあいまいな大枠をかたちづくり、人々の潜在的な意識を触発したり引き出したりするという大切な役割も評価しています。しかしなおかつ今一歩距離を置きたいと思わせるのは、その社会批評の神学的色彩のためでしょうか。神も魂もなくとも、人がゆるやかに生きていくことは可能だし、人にはその権利と能力があると思っている私です。

以下は、この件で思い付くままに書きなぐってみた一節です。メールになるようなまとまりにも至らなかった
のですが、「どうせ他人のメモリーだ」と割り切って送り付けさせていただきます。冒頭の言説の理解の一助となれば、と思いつつ。
一点だけ山屋として了解しやすいことが朝日新聞の記事の中にありました。水場の近くに村を移さないという村人の考え方です。これはごく当然ではないでしょうか?利便性とかの問題ではなく、天場(村)は安で、エスケープしやすい所にあるのが望ましいですよね?地元の人々は歴史的に現在の村の位置が相対的に好都合であると知っているのではないでしょうか。さらには昔々便利だからといって村を水場近くに移して何らかの災厄に遭ったことが有るのではないでしょうか。


文明人という言葉は自虐の響きがあって、とても好きな言葉です。この言葉を使うと、人は自動的に、未開の中に捨ててきた何かを懐かしみ、時間や道具、複雑な社会機構に追い回される自分たちの姿に嘆息する、という仕組みができているかのようです。
わたしたちが便利な道具(携帯電話)や快適な機械(エアコン)を使うのは、自分で使いたいと願って使うというよりは、それによって社会との接触が容易になったり、困難な状況下でも働くことの負担が軽減されたり、あるいは明日の仕事のために
自分を再生産(リフレッシュ)するスピードが上がったりするからです。新たな指示命令が届くのが遅ければカードをしてそれを待ち、暑すぎるなら昼日中は働かない(スペインは優雅にもそうですね)、という自分の体と心本位の仕事ができるならこういった道具、機器の少なからぬ部分は無用となります。こういった道具・機器を思いつき、製作しはじめた人たちも、それらが直接的に労働者の快適に役立つことよりは、生産のスピードが上がり、少ない人数でより多くの仕事が消化でき、労働者の怠業や病欠勤を抑止する効果を狙っていました。個々の労働者に、そんな目新しく高価な商品を購入する力がなかった段階では、大資本や官庁といった所から最初に導入しはじめるため、そのような物として製造・販売するしかなかったのです。

私自身、パソコンを使う理由はメールを楽しんだりするためではありません。 近年では家屋の設計図面を引くのもパソコンによってずいぶんと身近になりました。設計の専門知識が無くとも引くことも可能です。高価な設計図機もいりません。3D図化してお客さんにプレゼンテーションしてみせるのも、
パソコンを頼れば楽ですし、やり直しが何度でもできます。また、スピードも手書きの時代とは比較になりません。部材価格のデータベースをつくっておけば、その物件の価格見積もりも一発です。要は、これまで設計屋さんや、絵コンテを描いていた人たち、それをチラシにした広告屋さんと印刷屋さん、積算見積もりを担当していた部門の人たち、そういった人たちをお払い箱にして、私一人で何でもできる態勢として、コストの大幅な圧縮が可能となったということです。私はパソコンのこの「活用」によって潤うでしょうが、広範な知識を学習し、より忙しくなることは避けられないでしょう。そうして、お払い箱となった各専門職の人たちは、
狭くなっていく市場をめぐって今まで以上にコストの軽減をもとめられる訳です。

一人一人の事情を離れて俯瞰してみると、「文明の利器」(と、それを突き動かす社会システム)が私たち一人一人を快適にするために誕生したわけではないことは自明と思えます。
エンデの説とは逆に、私たちは「本質的なこと」から引き離されて、この、生産性の向上に欣喜する者だけが切望する「便利な道具」の世界に引きずり込まれてきたと言っていいでしょう。救いに至る門と同様にここからの逃げ道も狭いのです。ペンションでもやってみましょうか。(私は真剣にコテージの開設と農産物の加工販売を準備しつつあります)。しかしそこでも、提供するサービスの質をめぐる競争があるでしょうし、差別化という課題もさけられそうもありません。結局ここでも生き残るためには、高品質をより低コストで提供するという中心課題をめぐる競争へとあまりにも単純な単純化が強要されていると見えます。
しかしわたしはこれらの道具や状況を全面否定する気はありません。マルクスが述べたように、これらの困難な条件は、資本主義を超えて生まれ出るシステムの中で真価を発揮する、「資本主義自らが内に芽生えさせた」「道具」です、(旧ソ連の非効率と非人間性と対比すると)。「要は使い方さ」という言い方は多くの誤解を招きますが、「使い方」をマスターするまでの長く、長い道のりを考慮して猶そう言えるのならば、それはまったく正しいと思います。
今日、看護婦の夜勤労働の軽減を求めて、また労働基準法の改悪に反対し、あるいは35時間労働制の導入を求めてストライキやデモや請願に訴えることは、中米のインディオが座してsehleの追いつきを待った状況と同じ平面にあると私は感じています。未開やゼーレにこだわるなら、まず身近な「魂の追いつき」を願う人々に共鳴せずには居れません。

「文明」の行き詰まりが鮮明になると、未開を賞揚する説がそのたびに湧き起こりました。わたしが多くを依拠するアメリカの古代史家、ルイス・H・モルガンも、19世紀後半のノスタルジックな学芸風潮に一石も二石も投じた人でした。彼は未開人の徳性の高さ、勇敢さ、無私性を賞揚したことで世間的な耳目を集めました。パリコミューンの前後の社会的頽廃や、工場労働者の苦境とプライドの喪失は
欧米圏での大問題になっていたのです。(パリコミューンが虐殺の中に敗退したことで、この頽廃はさらに世紀末の頽廃へと肥大していくのですが)。ここに世間的には絶賛された、アメリカインディアンの高貴さを
詳述したモルガンの「古代史」は、学会からは、また上品な上流階級からも非難、黙殺、軽蔑されました。
なぜならば彼はそこで、未開時代には固定した家族制がなく、
共同体全体が一つの家族であって、そこでは一種の「乱交」が存在したとか、あろうことか未開時代は貧富の差、性の差、能力の差は問題とならない原始共産制であったと明言したからです。
今日、モルガンもそれを高く評価したエンゲルスも、未だ少なかった史料のなかで幾ばくかの誤った推論を行ったというのは定説となっていますが、彼らが描き出した文明以前の社会形態の大枠と、そこに暮らした人々の精神生活のデッサンはなおも生き生きとしています。

モルガン 「古代社会」

「文明の開始以来、富の増加は非常に巨大で、富の形態は実に多様に、富の利用は非常に広範囲に、そうしてその管理は富の所有者の立場からみても非常に巧妙になったので、この富は人民にとって統御できない力となった。
人間の精神は、自分自身の創造物(富)を前にして立ちすくんでいる。にもかかわらず、いつかは人間の理性が富を支配できるまでに強まって、・・・・。もし進歩ということが、過去においての法則であったように引き続き未来の法則でもあるとすれば(安立などはこの謙虚さに涙が出てしまう)、たんなる富の追求
は人類の終局の使命ではない。・・・・。富を唯一の終局目標とする歴史的行路の末路には、社会の解体の脅威が待ち受けている。・・・・。
行政における民主主義、社会における友愛、権利の平等、普通教育は、経験と理性と科学とが達成しようと不断に努めている、次のより高い社会段階をひらくであろう。それは、古代氏族の自由、平等、友愛の復活、ただし、より高い形態における復活である。」

5月28日木曜日 晴れ 気温24度

信州安曇野からのカントリーメール 5月28日
カントリーイン舎爐夢(シャロム)ヒュッテの臼井健二です。

初夏を思わせる風が安曇野を吹いています。北アルプスの山並みはすっかり夏山の装いです。田植えの終わった苗もすっかり根付いて緑を増しています。夏までの間 気候的には1番良い季節でさわやかな風が吹き抜けています。

今回は朝日新聞で正月掲載された文章を紹介します。とても考えさせられるメッセージです。
  
     考えさせられるふたつの「答え」
        モモからのメッセージ

 何年かまえ、中米奥地の発掘調査に出かけた研究チームの報告を読んだなかに、こんなことがありました。調査団は、必要な機器等の荷物一式を携行するためにインディアンのグループをやとった。調査作業の全行程には完壁(かんぺき)な日程表ができていた。そして初日から4日間はブログラムが予想以上によくはかどった。運搬役のインディアンたちは屈強で従順で、日程どおりにことが進んだのだ。ところが5日目になって、彼らは先へ行く足をぷっつり止めた。だまつて全員で輸になり。地べたに座りこんで、もうテコでも荷物をかつごうとしない。調査団の人たちは賃金アッフを提案したが、だめだった。叱(しか)りつけたり、ついには武器まで特ちだして脅したりしてみたが、インディアンたちは無言で車座になったまま動かない。学者たちはお手上げの状態で、とうとうあきらめた。日程には大幅な遅れが生じた。
 と、とつぜんー2日後のことだったーインデイアンたちは同時に全員が立ち上がった。荷物をかつぎあげ、予定の道を前進しだした。賃金アップの要求はなかった。調査団側から改めて命令したのでもなかった。このふしぎな行動は、学者たちにはどうにも説明のつかぬことだった。インディアンたちは、理由を説明する気などまるでないらしく、口を閉ざしたままだった。ずっとあとになって、白人のグループの数人と彼らとのあいだにいくぶんの信頼関係が生じてから、はじめてひとりが答えをあかした。
「はじめの歩みが速すぎたのでね」
 という答えだった。
「わたしらの魂(ゼーレ)があとから追いつくのを待っておらねばなりませんでした」
この答えについて、私はよく考えこむことがあります。工業化社会の文明人である私たちは、未開民族の彼らインディアンから、学ぶべきところまことに大きいのではないでしょうか。私たちは、外的な時間計画“日程をとどこおりなくこなしていきます。が、内的時間、魂の時間にたいする繊細な感情を、とっくに殺してしまいまし
た。私たちの個々人にはもはや逃げ道がありません。ひとりで枠をはずれるわけにいきませんから。私たち自身がつくってしまったシステムは、容赦なき競争と殺人約な業績強制の経済原理です。 これをともにしないものは落伍(らくご)します。
 昨日新しかったことが、今日はもう古いとされる。先を走る者を、はあはあ舌を出しながら追いかける。すでに狂気と化した輪舞なのです。だれかがスピードを増せば、ほかのみんなも速くなるしかない。この現象を進歩と名づける私たちです。
 が、あわただしく走り続ける私たちは、はたしていかなる源から遠ざがりゆくのでしよう?
 私たちの魂からですって?そう、私たちの魂は、もうはるか以前に路上に置き捨てられました。それにしても魂を捨て子にしたことで、肉体が病んでいきます。だから病院や神経治療施設は、ひとびとであふれています。魂不在の世界 これが私たちの走りゆく目的地だったのでしょうか? もうほんとうに不可能でしょうか、私たち全員が狂気の輪舞をいっせいに中止して、おたがいに車座になって大地に座る、そして無言で待つ、ということは?

 もうひとつの「答え」のことは、文化人類学者の友人から最近聞いたばかりです。
これもひとりのインディアン女性の口から出ています。 
 その友人が旅先で出かけた山の頂上にインディアンの村があった。その地方一体には水源がたった一カ所にしかなくて、それは山のふもとの井戸だった。村の女たちは、毎日半時間の坂道をおり、帰りは重い水がめを肩にして一時間、山をのぼっていく。友人は、女たちのひとりにたずねた「いっそ村ごと、ふもとの水源近くに移したほうが賢明ではないかね」 女の答えはこうだった。「賢明、かもしれませんね。でも、そうしたら私たちは、快適さという誘惑に負けることになると思います」
 私たち文明人には、この答えはさきほどの答え以上にいぶかしく聞こえるのではないでしょうか?快適であることが、なぜ誘惑と呼ばれるのか?私たちが手にした洗濯機、自動車、エレベーター、飛行機、電話、ベルトコンベヤー、ロボット、コンピューター、要するにおよそ現代社会を構成するすべてのものは、快適な生活のため
につくられたはずです。
 それとも?
 これらのモノは、暮らしをらくにします。骨の折れる仕事から私たちを解放し、もっと本質的なことのために時間をめぐんでくれる。そうではなかったでしようか、
私たちを解放するんでしょう?
 そうです、確かに−。
 ただ、何から解放するのでしょう?ひょっとして、まさに本質的なことから?だと
したら、いったいどうなっているんでしょう?
 私には、あの奇妙な言葉を口にしたインディアン女のほうが、ほんとうはこの私たちのだれよりも、ずっとはるかに解放されて自由なのだ。という思いがつきまとって離れません。 
 聖書にも、これに似たふしぎな言葉があります。
「人は、たとえ全世界を手に人れても、自分の魂(ゼーレ)を失ったら、何の益があろうか。(マタイ伝16・26)」
 何、言ってる、魂がどうのこうのだって!
そんなもの、我々はどこかの路上にとっくに置き忘れてきたよ。未来の世の中は徹底的に快適で、完全に本質不在の世界になってるさ。
 あなたはそう思いませんか?ま、新年に乾杯!
 
ミヒャエル・エンデ1929年、西ドイツ生まれの作家 主な著書に『モモ』『はてしな
い物語』『サーカス物語』『鏡のなかの鏡−迷宮』『森の賢者ヒダエモン』など。

とても素晴らしいメッセージで額に入れて掲示しています。改めてこのメッセージの重みを感じています。

5月26日 24度晴れ

シュタイナーの勉強会です。今日は外に出てぬらし絵の体験です。
シュタイナー教育の最終目標は、「自分の人生に、自ら意味を与えることのできる人間を育てる」ことです。
 この教育はまた、「自由への教育」という言葉で言い表されることもあります。おとなになった時、何者にもとらわれたり依存したりすることなく、自分の判断を自信をもってくだせるような人間、そのような「自由」な人間を作ることをめざすのです。

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5月23日 24度晴れ

数日前からイチゴがなり始めましたが 烏が来て食べてしまいほとんど収穫なしです。以前はこんなにも烏がいずに被害もなかったのに ここ数年からすの被害が大です。烏もテリトリーがなく畑に出没するのかもしれません。パオパオのおおいがあったので仁と2人でイチゴにカバーを掛けました。
これでイチゴを食べれるようになります。

5月22日 24度晴れ

毎日たくさんの手紙が来ます。その封筒は捨てられて ゴミが増えるだけなのでゴミにしない方法を考えました。これはとても良い方法です。リサイクル用の封筒に貼る用紙を作ります。用紙も失敗した用紙を使います。使われた封筒や用紙が無駄にならなくとても良いことです。住所も印刷しておしゃれにできました。便せんも罫線を入れてリサイクル便せんができました。裏の文章も読むのもまた良しです。無駄がなくなるととても気持ちがいいものです。

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5月21日 23度晴れ21日 23度晴れ

今日は愛美のおっぱいのバイバイの日です。朋子がお人形を作ってあげました。シュタイナーの人形を参考にとてもかわいらしい人形ができあがりました。シュタイナーでは自然の中にある素材を使っておもちゃも作ります。以前からプラスチックのおもちゃには抵抗があったのでおもちゃ箱を片づけてスッキリしました。木や竹でおもちゃも作ってやりました。自然素材で作ればほとんど無料です。少しずつシンプルな暮らしに近づきつつあります。お金を使わない暮らしはとてもシンプルで21世紀の暮らしかもしれません。

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5月20日   23度晴れ20日   23度晴れ

緑がいそう濃くなってきました。蝶ヶ岳の残雪も胴体が割れて雪型もそろそろ終わりです。ほとんどの田圃で田植えが終わり安曇野は緑の季節です。気温は昼間 18度から25度 初夏の装いです。

5月19日   22度曇

大学時代に針ノ木小屋で小屋番のアルバイトをしていましたがその時の仲間のお子さんが泊まりました。もうそんな年なんだと改めて感じました。おじいちゃんは針ノ木にも来られた山男で76歳 今回はテレマークのスキーを立山でする途中で寄られました。ネパールにも良く行くそうでいい年の取り方をされているなあと感心しました。しばし針ノ木時代を懐かしく思いました。

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毎週火曜日のシュタイナーの勉強会です。今日は神秘学について学びました。学ぶほどにシュタイナーの魅力に引き込まれます。21世紀を生きる智恵が学べるような気がします。でもこの神秘学の本はかなり難しい。睡眠薬代わりにはもってこいですね。今日は2ページ進んだだけですが。

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5月18日   22度小雨

例年恒例の山菜取りに小谷温泉に出かけてきました。10時に出発 大沢家と一緒に出かけてきました。山ウドネマガリダケ、ヤマヨモギ、ウドブキ、コシアブラ、タラノメ2日かけての山菜取りです。小雨の降る天気でしたが山菜味噌汁を作り楽しい2日間を過ごしました。

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5月15日   22度晴

朝の畑仕事の折りに撮影 畑の葉物類もすっかり大きくなってきました。カリフラワー ブロッコリーを植え替えました。

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毎日、本当にいい出会いがあります。昨日泊まられた小林さんに送ったメールです。

有り難うございました。出会いに感謝します。もっと小林さんの考えなどうかがいたかったなと思っています。
またきっと逢えると思います。一つのチップがCDが世界を帰ると思います。変えると打ちたかったのですが還るでもなんでもいいですね。答えは自然の中にあるのです。
ルソーは不平等起源論の中でいいます。農耕 土地所有が不平等を生んだのだと。そして自然に帰るしかない。しかし我々は火のないくらしにはもどれないんだという認識から現代社会を考えなければならないと。人間の英知は捨ててものではないと思います。人間は知(リンゴを食べることで)を持つことでエデンの園を失ったかもしれません。でもリンゴが地球を救うかもしれません。楽しみです。

シャロム・ヒュッテ 臼井 様 及び スタッフご一同様

昨日お世話様になりました国立の小林憲郎・ひで、です。
すばらしい、時空をありがとうございました。
早朝に植えた野菜を訪れた方々が、「うん、おいしい!」と召し上がる時を想像しています!
母も、殊のほか御満悦で、慣れない親孝行も無事完了しました?
次回は、駒沢君も誘って伺いたいと念じております。
皆様のご健康とご発展(ポリシーにもとずいた)を心より祈念いたします。
また、御会いできる日を心待ちに・・・          では。

5月12日   23度あめ

2年ぶりに来ました。オーナーに結婚したことを報告しようと思いつつ時間が作れず今日になりました。今回で4回目何回来てもゆっくりした気分でいい時を過ごしています。また来ます。 さんぺいよしひろ

朝の農作業にも参加していただきました。有り難いことです。宿冥利につきます。

5月11日   20度 晴れ

シャロムは一杯だったので、有明の「青いやね」さんにお世話になって安曇野のにおいを嗅いできました。農業遺跡の積み重なりが作り出したこの景観は、期待を上回るものでした。複雑な水路系を、さらに多層に利用していく技術と人的資源の蓄積がこの地方の「豊かさ」と「先進性」を支えていると感じました。北海道では味わいにくい、歴史の重層性を子供たちに見せつけたくての遠出でした。散在する古墳群、威圧的な神社仏閣も、また町中の、しっとりとしてよく地域の生活に馴染んだ古刹や商家も十分にインパクトを与えてくれました。さて、いくたびかメールをいただき(興味深く、また楽しく読んでいます)感じたことですが、この件での臼井さんの懸念と探索、挑戦はどうも本気、おおまじめのようですね。この件とはつまり自然環境の損壊と、人間の行く末、子孫に伝えるべき価値と健康、文化、美意識といった広い範疇の問題を含んでいるのですが。わたしも同様の問題を同様な危機意識から、しかし若干異なる視点から、マルクス主義の視点から考え続けています。あくまで考えているだけですが。臼井さんたちのように行動に移すだけの力を欠いている、と言うべきで、この件でご高説を垂れる意図はありません。にもかかわらず敢えてメールを認めているのは、この件での期待が大きいから、と言っていいでしょう。絶えず発信と組織を進めるその熱意に敬意を表しつつ、勝手なお願いがあります。ひとつは、「政治的な言動となることを恐れないでいただきたい」、ということです。「日本の常識」とは落差があるかもしれませんが、問題を政治的に消化するのがデモクラシーの基本スタイルです。これを回避するなら、問題は非合理的に、あるいは金銭的に、あるいは暴力的に解決されるしかなくなります。(もうひとつありました。情緒的にという奴です)。もうひとつは、国民、市民が経済をどのように動かせるか、どう動かすべきなのかという、経済学に関心を持っていただきたいというお願いです。懸念されている全ての問題は、犯罪や悪意や政治的陰謀の側面がありつつも、経済現象としてうみだされています。ここから逆のぼって問題を究明していかなければ、この件での努力も善意も力とならないように思います。

 

長いメールを有り難うございました。政治的解決の点ですがその前に経済 利潤の追求 お金が諸悪の根元だったように思います。幸せを求めながらその手段であるお金(経済)が目的の社会を作りだしてきた点に問題があるように思います。バブル絶頂期のアメリカ経済も後数年で崩壊するはずです。ソビエトが崩壊したように資本主義の終とうのつぎに来る社会はお金以外のものに価値を見いだせる社会となるでしょう。非常にかけ離れているように感じますがここ数年できっと起こるでしょう。環境破壊の問題、エネルギー、酸性雨、フロン、原発、etc。私たちはそろそろ生き方を変えなければいけない時代に来ているように思います。効率だけでなく、その後ろに隠れている問題も見つめていかなければいけません。そして使い捨ての循環の無い生活を改めない限り問題は山積し人間も地球の癌細胞でしか有り得ないように思います。そして経済を拡大しても 第二の地球は買えないのです。 そんな意味でシンプルな農的田舎暮らしは21世紀に望まれる生活でもあるように思います。経済を肥大化していくよりも規模を小さくしていく自然循環のある自給自足的な生活は、資源を無駄遣いしない公害も出さない生活を可能にします。拡大から縮小に、我々は再び大地に還らねばならでしょう。21世紀は本物がみとめられる時代です。そしてきずきの時代です。生命の智恵を深め伝え協力する時代です。人の英知が可能にします。つながる命の時代です。お互いネットワークを通じて伝え合いましょう。大いなる命(宇宙)と我々命がつながっているように テクノロジーの進化はメインコンピューターと個々につながるコンピューターのように 進化をとげました。21世紀は人として幸せに生きれる時代のような気がします。


5月10日   20度 晴れ

今日は母の日で仁が夕御飯を作りました。母の日のプレゼントは似顔絵とカードでした。

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掃除を早く済ませみんなで『タイタニック』を見に行きました。昨日の高木さんのセミナーとだぶって宇宙船地球号のことのように感じました。死を前にしたときの人間の尊厳 そして登場人物が一人一人自分とだぶり 自分だったらどんな行動をするのか思いめぐらしながら見ました。

『タイタニック』

監督:ジェームズ・キャメロン
出演:レオナルド・ディカプリオ
   ケイト・ウィンスレット

これまで何度も映画や小説で取り上げられ、半ば伝説と化しているタイタニック 号沈没。今また『ターミネーター』シリーズなどを手がけたジェイムズ・キャメロ ンにより、制作費2億ドルと5年の歳月をかけた大作としてスクリーン上によみが えった。 タイタニック号に乗り合わせた貧乏な画家志望の青年ジャックと、意にそまぬ結 婚をひかえた娘ローズは、身分の違いを越えて激しい恋に落ちた。周囲が二人を引 き裂こうとするなか、運命の日がやってくる…。  ジャック役は先日の東京国際映画祭にも来日したレオナルド・ディカプリオ。『ボ ーイズ・ライフ』、『ギルバート・グレイプ』(アカデミー賞助演男優賞候補)、 『ロミオ&ジュリエット』などでその天才的な演技は高い評価を受けてきている。 またローズ役のケイト・ウィンスレットは『いつか晴れた日に』などで急成長の女 優だ。『タイタニック』は12月20日より日米同時公開される。 松本ではまた東映セントラルでやっています。

5月9日   25度 晴れ

高木善之さんの1デイセミナーに参加させていただきました。まずこの企画を計画してくれたガイヤメッセの方に感謝します。また土曜日で忙しいのにセミナーに参加させてくれた家族とスッタッフにもありがとう。
インドのサイババのアシュラムで高木さんの本を読ませていただきました。再生可能な暮らしが必要なんだと意を強くしたことを覚えています。そして今日を迎えられたのだと感じています。途中ジョンレノンのイマジンの曲が流れました。涙なくして聞けませんでした。今私たちにできること このままの暮らしが続けば20年後には地球の存在はあり得ない この事実を認識しない限り 美しい地球を未来の子供達に残すことはできません。

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会場では玄米のおにぎりが用意されており好評でした。

私たちは畑をつぶして自動車道路や工場を作りました。
森を破壊してゴルフ場やリゾートを作りました。
土をアスファルトやコンクリートで覆いました。
川や海岸をコンクリートで塗り固めました。
みんな経済のためでした。
でも、畑が減れば食べ物がなくなりました。
土をアスファルトで覆い、工場が増えると地下水が減りました。
工場や自動車が増えると、大気が汚染しました。
私たちは経済(お金)のために食べ物、水、空気(生命)を犠牲にしたのです。これ以上何が必要なのでしょうか。
大量生産、大量消費、無限の経済拡大は不可能です。
私たちはかけがえの無いものを犠牲にしながら、経済拡大を続けてきたのです。
この経済拡大を見直さない限り、環境破壊と資源枯渇、破局は避けられません。
世界を変えるために、私たちに何ができるでしょうか。

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美しい地球を子供達に
ネットワーク地球村代表 高木善之

ネットワーク『地球村』事務局
〒542 大阪市中央区島之内 1-14-14 TEL.06-281-0309 FAX.281-0321

【最近の身近な問題】

ダイオキシン

環境ホルモン

遺伝子組み換え農作物

電磁波

【地球環境の現状】


オゾン層破壊

地球温暖化

森林破壊

以上は氷山の一角です。
大切なのは、まず事実を知ることです。
できることから始めることです。
そして事実を知らせることです。
意思表示をすることです。

美しい地球を子供達に
ネットワーク地球村代表 高木善之

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一声かけて著書にサインをされる高木さん
ネットワーク『地球村』事務局
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5月7日   30度7日   30度

安曇野では田植えが終わりツツジが満開です。ニセアカシアの白い花も咲き始めました。木々の緑がいっそう濃くなってきました。午前中タウン情報の丸山さんがカントリーウォークの取材で訪れる。5月のカントリーウォークには参加して取材をされるとのこと 少しずつカントリーウォークの環が広がっていく感じです。5月のカントリーウォークは5月23,24日と行われます。時間をとって是非参加して下さい。6月の安曇野サテライト通信には半ページほどカントリーウォークが紹介されます。シャロム周辺のカントリーサイトも紹介されます。いろんな人に参加してもらって安曇野の良さを感じてもらいたいと思います。昼から長峰山に登り安曇野を眺めてきました。晴れ渡りたんぼには水が張られ息をのむ美しさでした。池田のハーブガーデンにより ちひろ美術館を通り帰ってきました。安曇野は今日真夏日です。

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5月6日   25度

新潮社からでるSINRAで「癒しの宿」という本の取材で香取さんとカメラマンが泊まりました。7月の発売号だそうです。香取さんは世界文化社や暮らしの木 ブルータスの編集に携わった方でエコロジカルな物の見方やベジタリアンということもありすっかり話が盛り上がりました。楽しい一時でした。

5月5日   24度   24度   24度

毎日朝6時から畑仕事です。今日は仁とお祖母ちゃんが手伝ってくれました。大根 春菊 ラディシュ トウモロコシ インゲンの種も蒔きました。早朝の畑はとても気持ちがいいのです。連休も今日で終わりまた静かなシャロムに戻ります。今日のゲストは8名です。

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5月4日   24度   24度   24度

連休は本当に何度も来て下さる方にご利用いただきました。中川さんは今回は3泊してくれました。家族4人で満願寺まで歩き おまけに穂高駅まで約11qほどを歩きました。のんびりとしたいい連休を味わったようです。

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5月3日 雨  25度

朝から激しく雨が降り午後まで続きました。雨に新緑が洗われていっそう緑がきれいです。連休で今日も満室です。連泊が多く2度目以上の方がほとんどです。

5月2日 はれ  25度

連休は満室ですがスタッフも多いのでいつもの土日よりも余裕です。連休のさなか畑仕事なんかをしています。9割が2度目以上の方で宿冥利につきます。夏休みの時よりも常連の方が多く毎日が楽しみです。シャロムをめざして何回となく来て下さる方がいて有り難いことです。小栗さんは今回は2泊 LEEの取材が縁で何回も来ていただいています。TANTOなどにも何度か紹介いただきました。中川さんも毎年来て下さる常連です。お子さんが一人増え家族4人でのお泊まりです。安中さんは大学時代に泊まり今回は家族3人で2泊の宿泊です。星野さんも2回目です。春木さんはアップルマラソンに参加する予定です。山小屋時代からのお付き合いで台湾勤務を終えて来て下さいました。太田さんは結婚されてお子さんを連れて2泊の宿泊です。石橋さんはキャンピングカーを買われて高山経由できて下さいました。シャロムだけはキャンピングカーに泊まらずにシャロム泊だと嬉しいことをいってくれます。有り難いことです。


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