BeGood Cafe Azumino Vol.1

テーマ『オーガニックな生活入門』 

BeGood Cafe安曇野では、
パーマカルチャーを中心にした持続可能な社会に向けたワークショップを年4回開催しています。
テーマは、『オーガニックな生活入門』

会場は、循環型社会モデルを先取りしている舎爐夢(シャロム)ヒュッテ。
ご一緒に緑の風をを感じながら、豊かな社会へのキイワードを学びませんか?

今回もゆったりした雰囲気の中でプログラムが行われました。
食事の時間を長めに取ったことにより、
たくさんの会話や交流の輪が生まれました。

森谷博さん、谷崎テトラさんの講義はコミュニティーについて
広く、俯瞰した視点を与えてくれました。
またシャロムの臼井さんからは今回もユーモア溢れる
独特の人生哲学が語られました。
その他のプログラムも少人数グループに分かれ、
和気藹々とした時間を過ごしました。

参加者の皆さんも個性的な生き方、多彩な職業を持った方々が多く集まり、
テーマの「パーマカルチャーとコミュニティー〜共に生きる〜」に相応しい
みんなで作り上げていることを実感する2日間のワークショップとなりました。


今年はこれでビーグッドカフェ安曇野の開催は終了です。
また来年もたくさんの人と人とのつながり、
ネットワーク型のコミュニティーをビーグッドカフェ安曇野は作っていきます。



・・・ということで今回はコミュニティーがメインテーマだったのですが、
イギリスやオーストラリア、ニュージーランドのエコビレッジ、
エココミュニティー、パーマカルチャーサイトやアマゾンメイナク族の
コミュニティーについてたくさん学びました。


どこのコミュニティーにも共通して言えることは、
自分と他者を分けて考えていない、ということでした。
特にメイナク族においては「幸せ」「自然」「職業」というような概念すらありませ
ん。
「幸せ」という概念を持った瞬間、「不幸」を知るようになります。
「自然」という概念を持った瞬間、「不自然」を知るようになります。
自分と分かれている別のものを知ることになってしまいます。
彼らは自分が幸せそのもの、自然そのものであるのでしょう。

メイナク族において「幸せ」に近い意味の言葉を探すと、
「みんな賑やか」「みんな喜んでいる」ということになるそうです。
誰かが困っているのに自分だけ幸せなんていうことは
有り得ない、信じられないのだそうです。
いったい現代人とどちらが文化的なのでしょうね・・・(泣)。



11月12日(土)
13:00−14:00 受付

画像をクリックすると大きな画像になります。


13:30−14:00 ビデオ上映『パーマカルチャー』

オーストラリアにあるパーマカルチャーを実践するエコビレッジの取り組みを紹介した、恒例のビデオ上映。印象に残っているのは、自分の庭からレタスや他の野菜を摘んできて、手作りのドレッシングをかけて、家族のランチを用意するシーン。何度見ても、素敵だなと思います。農薬を使わずに自分の庭で作った野菜を食べることが出来るなんて、最高の贅沢ですね。農薬や化学肥料を使わないということは、環境にも健康にも良いし、庭に野菜があるのなら、ガソリンを使い自動車に乗ってスーパーに行き、過剰に包装された野菜を買うこともなく、化石燃料を無駄に消費せずにすむ。なんといっても、おいしいだろうし、楽しい。それに、平和的だ。私も、そんな暮らしをデザインしていきたい。パーマカルチャーは、ビデオの中でも強調されているように、決して、昔の生活スタイルに戻ることを提唱しているわけではなく、昔から伝わる様々な知恵を取り入れて、地球にも人にも負荷の少ないオルタナティブな暮らしのスタイルを、それぞれの場所で探しながら実践していこうと呼びかけている。今の世の中、何かがおかしいと思い始めている人たちは、そこに惹かれるのではないでしょうか。一つひとつ、自分の足元から見直して、本当の意味で気持ちの良い暮らしをしていきたいものです。

                                                                        内田真紀子

 http://www.tv-asahi.co.jp/earth/midokoro/2002/20020303/index.html


14:00−15:00 オリエンテーション

もうすっかり肌寒くなった安曇野 今回の予定とが伝えられ日だまりに出て固い心と体をほぐします。


15:00−15:30 「パーマカルチャー基礎講座」
          〜自分にとってパーマカルチャーとは〜
         コーディネーター/森谷博(映像作家、パーマカルチャリスト)
          ・臼井健二(シャロムコミュニティー代表)
          ・杉本晴美(自然案内人)
          ・竹前成知(ビーグッドカフェ安曇野チーフ・ディレクター)

18回を数えるようになったBeGood Cafe安曇野 スタッフの感じているパーマカルチャーを語って戴きました。
          


15:30−16:30 「コミュニティーを考える」
          

発展とは何か〜ラダックから学ぶこと〜』

 パーマカルチャー安曇野塾2期生 レポート 渋谷正和 今回はパーマカルチャー安曇野のレポートを掲示します。

「Ancient Futures(懐かしい未来) 〜発展とは何か?〜
懐かしい未来へのホームページ    http://www.adf.jp/~af/
  
        スウェーデン出身の人類学者による本から生まれたこのビデオに、世界の人々が共鳴。米国では小中学校の授業にも取り上げられています。その日本語版を上映します。
      グローバル化とは何か?題材はヒマラヤの山村ですが 現代の日本をもう一度見直したいと感じさせる映像です。
      小チベットと呼ばれるラダックはチベット仏教が篤く信仰され、質倹と助け合いの伝統により何世紀にわたって環境バランスや社会的調和の中で暮らしてきた。やがて「開発」「発展」がやってきた。
      ラダックの文化と環境が崩れていくさまは、「進歩」とは何か、世界の「貧困国」における「開発」、「先進国」の「発展」のあり方を考えさせられる。ラダックの事例は、環境や社会、あるいは私たちの精神の諸問題の根本的な原因について示唆してくれる。そして、私たちの未来についても貴重なガイドラインを与えてくれる。 

 

 ≪ラダックの今≫

   ラダックは、近年、急速な発展を遂げました。発展により物質的に豊かになった反面、「人間関係がギクシャクして、バラバラ」、「農業をする人がいなくなってきている」、「発展はしているが、昔よりも豊かでなくなってきているような感じがする」と、ラダックの方々は話します。実際に、ラダックでは、環境破壊とコミュニティの崩壊がすごい速度で進んでいます。

≪ラダックの伝統的な暮らし≫

ラダックの各家は、1.6ヘクタール程度の土地を持ち、家畜を飼っており、自給自足の生活をしていた。ラダックの方々は、「すべてのものは、相互につながりあっている」ということを理解しており、「調和して生きる」ということへの配慮の気持ちがあった。木材も、石も、土も、水も、ラダックでは配慮して使われていて、それは「生産性を増やし、天然資源を破壊する」近代とは違う文化であった。それを支えていたのが、「相互扶助の関係」と「地域に根ざした技術」であった。農作業を手伝ってくれたら、お金を渡すのではなく、食事でもてなし、また相手の農作業を手伝い返していた。それに、ラダックの人々は、泥でレンガを作り、自分自身で家を建てることができた。

  それになによりも、「コミュニティの一員として生きる(All for one,one for all)」という精神があり、自分の家庭よりも大きな輪の中で生きていることを意識していた。収穫時期には、家族や親族、それに関係する方々が集まり、そしてまた、収穫時期が重ならないように互いを意識しながら、一緒に手伝いながら仕事をしていた。そして、収穫が終わると、コミュニティ全体で、一週間くらい「おどり、うたい、わらう」祭りが続くのです。宗教的儀式でさえも、祭りのような感覚で行われていた。

  ラダックには、西欧のような文明はなく、快適さはないけれど、豊かな環境とコミュニティ、そして長い時間をかけて築かれた伝統文化の中で持続的に生きてきた。

≪発展とそれがもたらしたもの≫

  今、ラダックには、インドとつながる大きな道路ができ、「発展」という概念が持ち込まれた。それにより、物質的には豊かになったが、それは伝統的な価値観を失わせ、コミュニティの崩壊を招いている。

そこでは、人々を支えるのは、政府から送られてくる物資であり、地域の自主性というものは失われています。今までは、「自然と調和して生きること」こそが価値なのであり、すべてのものが自然から来て、自然に戻っていった。しかしながら、その価値が失われつつある今はトラックの排ガスとゴミがたまってゆく。短期的には、外からきた安いものは「豊かさ」をもたらしたが、長期的な視点からすると・・・。

また地域の自立性が失われた今、政府から送られてくる貴重な資源は、いざこざを起こし、官僚的な分配は、上下関係を意識させ、劣等感を感じさせるのです。今、ラダックでは、コミュニティが崩壊し、家族やコミュニティに頼るのではなく、お金に頼るのです。また、コミュニティの崩壊は、伝統的な「調和の文化」を失わせ、犯罪なども増えてきている。

  そして、ラダックの変化は物質面と精神面だけでなく、「時間の流れ」にも表れる。伝統的には、余暇に多くの時間を費やしていたが、開発は生活のスピードを速めている。

  また今、子どもや女性も将来の見えない過酷な状況に身をおいています。子どもは、伝統的に生活の中から教育を受け、伝統的な生活の仕方を学んでいたが、今は、経済社会の中で生きるための専門的知識を学校で学び、伝統的な価値を学ぶ余裕はない。そこでは、セーフティネットがなく、落第したものは、行き場がなく、近代システムから排除され、伝統的な生活に戻ろうとも、その仕方も分からないのです。それに女性は、農の場に残され、一人でしなければならない作業が多い。以前は、親族一同ないしコミュニティで支えあっていたことも、一人で対処しなければいけないのです。

  このような状況にもかかわらず、ラダックの人々が「西欧文明のへのあこがれ」を抱くのは、外からの旅行者がひとつの原因を与えている。ラダックの人々が長い間かけてためる財を旅行者は一日で使い、それが西欧文明の清潔さと豊かさのイメージを増幅するのです。その結果、世帯の富は、その購買力、財の蓄積に移り、伝統的な価値である自給率ではなくなったのです。

≪ラダックから学ぶこと≫

  「発展」は、短期的には、物質的な豊かさを与えたが、長い時間をかけて築いてきた伝統的な豊かさを壊しているのです。これは、第3世界で起こっている問題ではない。産業革命以降、少しづつ変化してきたために、ラダックのような急速な変化がなく、見えにくいだけであり、西欧でも起こっていることなのです。

  ラダックが取り戻すべきは、自然、コミュニティ、家族など「つながり合って生きているのだ」という意識です。知恵とは、将来的な視点で物事を見ることができる、体系的な能力なのです。専門的な知識ではなく、知恵を持って、もっと生態系やコミュニティ、地球とのつながりを取り戻すように生きることが、ラダックから私たちが学ぶことなのです。

この後、ラダックのお話の余韻を残したまま、そのまま掘りごたつを囲んで、臼井さんのお話を聞いたり、話し合ったり、お酒を酌み交わしたり(一部の人たち)して、アフターを充実して過ごしました。みなさん、12:30分くらいには就寝しましたが、いつも思うに、私はこの時間がパーマカルチャー塾で一番大切な時間だと思います。また今度も語らいあいましょう!

レポート 渋谷正和

思帆ちゃんからのメーセージです。

昨年のヘレナ招聘残念会のビデオ上映会で紹介した、ヘレナさんからのメッセージを皆様に送りたいと思います。

私自身が、このラダックの活動を通して大事にしていることは、
開発や発展のその前と後の状況をのみ比較することではなく、ラダックのたどる道を、仲間たちと考え、悩み、そして、これから、私達はどのように生きていくのかを決めるための素地を作っていくことだと思っています。


「ヘレナさんからのメッセージ」

皆さんは、懐かしい未来のビデオ「発展とは何か:ラダックから学ぶこと」をご覧になったと思います。このフィルムで表現されていたほど状況は暗くないということを、強調しておきたいです。というのは、ラダックですでに始まっていたさまざまな自主的な取り組みを、撮影のときに含めることができなかったからです。部分的にはISEC(International Society for Ecology and Culture)の支援を得て行われたその取り組みは、グローバル経済の破壊的なインパクトに対抗しようとし、ラダックの自立と誇りを強化しようとするものです。しばらくの間、これらのプロジェクトの多くは大変効果的で、特に西洋の消費文化がラダック独自の文化に優越するものではないということ、従って、自分たちが劣っているとか遅れているとか貧しいとか感じる必要がないのだということを、ラダックの人たちが理解することができたのは重要だったと思います。
このような取り組みの中でも最も重要なのはラダック女性連合(Women's Alliance of Ladakh: WAL)で、これはISECが1990年の立ち上げを支援しました。この団体の主な目標は、ラダックの精神的および環境的価値や、農の営み、遅れていて劣っていると見られてきた農村の女性たちに対する尊敬を高めることにあります。女性連合には今では100以上の村々に6000名ほどのメンバーがおり、ラダックでももっとも力強い運動となっています。
ISECはまた、「リアリティ・ツアー」というのを行いました。ISECがスポンサーとなって、約30人のラダック人が西洋を訪れ、自分たちの眼で何がどうなっているのかを見たり、環境や社会問題の活動家たちと会ったりしました。彼らは老人ホームやホームレスの避難所、埋立地などを訪れ、消費文化のさまざまな社会的環境的コストを知ることができました。ISECはまた、西洋においてコミュニティを再建しようとする、まだはっきりと目に見えないが大変意義深い試みにも触れてもらうようにしました。共有住宅(Co-Housing)やエコヴィレッジ、国際コミュニティなどです。また有機農業やバイオダイナミック農業、パーマカルチャーや森林の回復など、大地とのよりよきバランスを取り戻そうとするさまざまな取り組みの全体を見せるようにもしました。
多くの西洋人が知らない何千もの小さな規模の取り組みがあり、ラダック人のような第三世界の人たちは、それらを聞いたこともないのです。そのような取り組みは、コミュニティと自然とのつながりに対する深い切望を表しています。西洋においてこのような価値がいかに重要であるかを認識することによって、ラダックの人たちは自分たちの精神性とエコロジカルな価値を見直し、誇りを取り戻せるようになります。

ISECはまた、過去10年ほどにわたって、「ファームプロジェクト」を行ってきました。これは西洋人がラダックの村人たちとともに暮らし働くというものです。西洋人たちが自分たちの手を汚して働こうとするだけでなく、農の営みを実際に楽しんでいるのを見ることは、特に農の営みを原始的で遅れているとして拒否し始めていた若いラダック人に対して、上記と同じような深い効果をもたらします。私たちはこのようなメッセージを数え切れないほどの村での会合やセミナー、ラジオ番組、演劇、歌や文書などで伝えてきました。

いま私は、以前の10年間よりもずっと、楽観的に感じています。 もちろん、ラダックの状況が完全に好転したわけではありません。またISECによってだけでもないのですが、私たちの仕事ははっきりした影響をあたえていて、明らかにラダックの人々の中に、意識の変化と気づきが生まれています。この意識の転換は、構造変革のために欠かせない前提条件なのです。
すべてのレベルで、私たちの仕事にたいする評価やサポートが劇的に増えてきています。 そして嬉しいことに、これはラダックそれ自身の評価を上げるということにもなっています。 さまざまな境遇のラダック人が、近代的な世界からもたらされた商品の利点により懐疑的になっており、伝統的なやり方の価値に気づき始めています。
西洋で勉強したラダック人の医者は、以前は地域の伝統医療を見下し、輸入された加工食品の健康コストに気づかずにいたのですが、今では自分たち自身の医療の伝統を見直しています。彼らは日常的に、地域で取れた自然食品を食べることを勧め、そのほうが輸入された加工食品よりも健康にいいのだということをはっきりと伝えています。殺虫剤や、化学肥料を広めていた農業の専門家の多くが、まったく違うことを言うようになりました。鉄やセメントばかり使っていた技術者や建築家は、地域の素材である石や泥、レンガや木などを使うようになりました。新しい地方政府は、再生可能なエネルギーを推進し、2020年までにディーゼルをやめようとしています。
そして、多分、すべてにおいてもっとも重要なことは、ラダックの精神的なリーダーたちがいま私たちの仕事を積極的に支えてくれていることです。ラダックのラマ僧の頂点にいるバクラ・リンポチェは最近、女性連合(WAL)を表彰しました。
ISECにとって、経済発展による心理面や精神面への影響の問題はとても重要です。私たちが一番ラダックに貢献しているのは、消費文化がラダック人を幸せにするかどうかについて彼らが共に議論しあうよう助けていることだと思います。
西洋化した世界においてもまた、人々がよりよく生き、幸せになることが追求されなければならないと信じています。
では、私たちはこれらのことから何を基本的に学べるのでしょうか。

今日、私たちはグローバル経済の構造や、それがどうやって機能しているかを理解することが最も重要です。それと同時に、自分自身の心と魂を深く探求して、何が自分を本当の意味で養ってくれるのかを問い直すことも大切です。経済と、政治と、精神性とが組み合わさることで、変革へのとても強力な動きが生まれると信じています。 この道を探求するうえで、私たちは、個人としての自分自身から始めるべきだという落とし穴にはまらないようにすべきです。これは、とてもありがちな感情です。この「自分自身から始める」という考えから、多くの人が、自分たちはバラバラな個人ではないということに気づかずに、個人の内面的な変革だけを追求するようになったのです。コミュニティや、まわりの自然界に影響を及ぼすものは、私たち自身にも影響を及ぼすのです。

ですから私たちは、個人と社会の両方のレベルに同時に取り組む必要があります。 先に自分自身の変革をなしとげてから、もっと大きな経済構造や政治的な問題に取り組むべきだと思い込むことはありません。両方の側から同時に始めることはとても大変だと思うかもしれませんが、実際にはそうやったほうがずっと大きな成果が得られることに私たちは気づきました。 つまり、人々がコミュニティとしていっしょに働くことの大切さを学び、'私'を'私たち'に変えた時に結果はずっと力強いものになるのです。
共に働くこの'私たち'というのは人類全体でも日本全体でもなく、人間的なスケールのコミュニティのことです。それが個人と世界全体とをつなぐインターフェースになることでさまざまなことを成しとげられるのです。
特に、農家と消費者をつなぐコミュニティフード運動は、社会的にもエコロジカルな意味でもたくさんのメリットがあります。 世界経済がじわじわと私たちをむしばみ続ける中、こうしたプロジェクトは有意義な変化を引き起こすことができます。でも、個人やコミュニティのレベルで行動するだけでは不十分です。
WTOや国際通貨基金、世界銀行、それにアメリカ政府の先導によって、企業が残りの世 界に対して不公平で持続不可能な開発を押しつけ続けるかぎり、地球温暖化や有害化学物質、生命体の遺伝子操作、社会や政治の不安定さ、人種差別、それにテロなどの問題は、すべて増え続けるでしょう。
私たちはこのプロセスを見ぬいた以上、経済のグローバル化の進行に抵抗するために何かをする責任があります。

私たちにできる最も重要な事は何でしょうか? ISECとしては、それは情報や教育を提供し、意識の向上をうながし、そこからメッセージを引き出してもらうことだと考えています。残された時間は短いので、市民運動的なやり方で、早急に、だれもが自分の時間のうちいくらかをこの活動に費やしていくのです。
エキスパートである必要はありません。 ビデオやニューズレターや本を、体系的にきちんと渡していくだけでもいいのです。あるいは、こうした問題について10人の友人に話し、さらに彼らが同じようにしてくれるように頼むこともできます。

持続可能なやり方を明確に打ち出し、どうやってそれに至るかを考えるには、グローバル経済を全体的に深く理解することが必要です。そして今以上に、社会のより多くのセクションの人々の参加が必要です。
現実に継続的な変化を起こすためには、環境運動や社会運動が経済の変革に関わっていく必要があります。自分の時間やお金を、世界の状況を改善するのに費やそうという思いを持った心ある人たち全員が関わってゆくのです。 どんな活動であれ、社会や環境の病を癒すために行動する人たちが、はっきりと経済の根本的な転換の必要を理解できたならば、現実に変化の可能性が生まれるでしょう。もし、イラク戦争に反対して行進した5000万人もの人たちすべてがこの経済の変革に加わり、貿易政策の転換、成長という概念の見直し、そしてこれまでと違う政治のしくみを要求すれば、流れは変わり始めるでしょう。

 ヘレナ・ノーバーク・ホッジ

翻訳:ヘレナ・ノーバーグ・ホッジさん来日講演実行委員会&NPO法人開発と未来工房
関連ホームページ: ISEC http://www.isec.org.uk
 

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昨年見逃してしまった「発展とは何か」のビデオを観ることができてよかったです。
それからヘレナさんからのメッセージを紹介してくださってありがとう。
これは提案なのですが、<パーマカルチャー安曇野2004で、翻訳資金1口出資したらどうだ
ろう、と思いました。もちろん、個人出資もいいです。が、無理のないところで、一
人1000円とか500円でもいいんじゃないかな。ビデオはシャロムのライブラリーに預
かっておいていただけば、シャロムに来た人にも伝えられるので、いいなあと思いま
した。

参加される方、おられますか。
S.新作ビデオが完成したら上映会をやりましょうね。思帆ちゃんまた解説してくだ
さいね。あけみ

後日談 ビデオが完成して安曇野塾のメンバーの多くの名前とパーマカルチャー安曇野塾の名前がテロップに流れました。 ここにもつながりを感じました。

 

 懐かしい未来 山と渓谷社から発売中

 レー近郊のシェーゴンパ(お寺)
 写真提供北原芳恵

 

 シェーゴンパの若き僧呂


16:30−17:00 「シャロムコミュニティーと未来への希望」
          講師/臼井健二(シャロムコミュニティー代表)

人間も自然も木も 草も虫もみんな仲間! 

「自然」がテーマの共同体 

信州安曇野の雑木林に包まれた小さな宿、舎爐夢(シャロム)ヒュッテを中心に「自然」がテーマの共同体、<シャロムコミュニティー>が誕生したのは2001年3月下旬のことです。

20世紀は、経済の効率を最優先した競争社会でしたが、21世紀は自分の利益を追求するより、自然と共にお互いを生かし支え合うパートナーシップが大切です。

1979年(昭和54年)に宿をオープンして以来「自然と融合した暮らし」を 心がけてきました。

仲間と共に作った新しい共同体には、自然食のレストランやカフェ、自然食材を扱うショップ、フェアートレードの店やおすすめの本 情報コーナーがあります。

ここを拠点に地域の活動(料理会や自然農の学習会、地域通貨の研究会など)が行われています。

また、2002年4月、宿に隣接する雑木林の中に園舎をもたない幼稚園「野外保育・森の子」をお母さん達の手で開園 現在は20人の子供達が野山を駆け回っています。

暮らしのベースは「耕さず、無肥料、無農薬で草や虫を敵にしない」自然農と草成栽培 パーマカルチャー農園 有機農を 3反の田畑で行っています。

生産して加工消費するところまでをコミュニティの中で実践。

今まで効率の中で失ったものに光を当てながら暮らしています。

また、解決しなければならないのはお金の問題です。縁を切ってしまうような現実から、再び縁を結ぶ地域通貨「安曇野ハートマネー」を導入。199912月に、会員約50名で開始。

 「安曇野ハートマネー」は通帳式から、財担保証券式、ピースユニオン(銀行)の設立と試行錯誤をしながらも、地域経済の底上げにつながる新たな展開を求めて成長、人の結びつきを強めています。

自然農、シュタイナー教育、マクロビオティック、地域通貨、共同体、パーマカルチャーなど、21世紀の循環型社会に必要なキーワードを包み込んだエコ・コミュニティとして発展しています。

 


17:30−19:30 温泉ツアー
18:30−20:00 夕食

   

 


20:00−21:00 自己紹介オープンマイク

1分間の持ち時間でみんなで繋がり合う 自己紹介オープンマイク各地方から沢山の人の話を聞くことができました。


21:00−22:00 
          

「コミュニティーを知る」
          
          ・世界各地のコミュニティー/谷崎テトラ 

 

世界をデザインする   谷崎 テトラ

1998年にフィンドホーン、ダマヌール 2000年にクリスタルウオーターズに僕が行った時はまだパーマカルチャーという言葉もエコビレッジやコミュニティという考え方もいまほど一般的ではなかったように思います。
その後、たくさんのひとがクリスタルウオーターズを訪れ、パーマカルチャーのさまざまなイベントがおこなわれたり、パーマカルチャリストが来日するようになり、また安曇野でもパーマカルチャーの畑がつくられ、講義がおこなわれるようになりました。
僕はジャーナリストとして取材にいった立場なので、あくまで入り口を提供するという役割。その後、僕の記事を読んだ方がたくさんのパーマカルチャ実践家の道を歩まれ、僕より詳しい情報をすでにもってらっしゃるかたもたくさんたくさんおります。
安曇野を訪れる参加者も最初の頃に比べてずっとレベルがあがったように感じます。
さながら映画『愛と青春の旅立ち』のように、士官学校を卒業していく自分の生徒に敬礼をする教官(階級は下士官)のような気分であります。
愛知芸大で講義をしてますが、毎年、「世界をデザインする」というテーマでお話をさせていただいています。こちらの興味とは別に、毎回新しい情報をいれながらも、毎回基礎的なお話をそこではさせてもらっています。
グラフィックやデザインに興味を持っている学生にパーマカルチャーという言葉を刷り込む作業をおこなっている感じです。
パーマカルチャーの創始者ビル・モリスンは、パーマカルチャーの倫理の基本をこのように語っています。

1)
地球への配慮 (Care of the Earth)地球上にある自然を、大切にするということ 。
  地球をケアすること。全ての命のシステムが継続し、多様化していくことができるように。
2)
人間への配慮(Care of People)自分たちの暮らしも大切にするということ。
  人間をケアすること。人間が存在するのに必要な資源を人間が手に入れられるように。
3)
余剰物の分配(Share Surplus/Resources)競争するのではなく協力するということ。
 
人口増加と消費量の限界を知ること。私達が一人一人自分の要求を自制することが、地球と人間をケアしていくための資源を残していくことにつながるように。

パーマカルチャーはたんなる農業デザインのメソッドではなく、地球と人類を存続させるための大きな価値感の転換を求めるものであることがわかります。だからこそ、「持続可能な社会・暮らし・環境・自分」のデザインが必要となるわけで、コミュニティづくりはその過程においての大きなテーマであることがわかります。ですので、それは食べ物や、エネルギー、住まい、経済、教育、その他物質的、非物質的なあらゆる実践的な分野にまたがっていますし、考え方のベースにある「共生」という哲学を感覚的につかんでもらう必要があるかもしれません。 

人間にとっての恒久的持続可能な環境をつくり出すためにはどこからはじめたらよいのでしょう。学び、「知る」こと、それを「伝え、つながる」こと、「実践すること」、その一つの青写真を提示できればと考えています。

今年、BeGood cafe刊で拙著「スロー&スマイルハンドブック」をつくりました。
このハンドブックには「知る」「食べる」「学ぶ」などの、キーワード別に項目をまとめました。ひとりではじめられること、そしてみんなとシェアしたいことが書かれています。この流れに沿ってお話させていただくのがよいかなと思っています。
項目は「知る」「食べる」「暮らす」「作る」「学ぶ」「選ぶ」「使う」「参加する」「出会う」などで、おさえておきたい基本的な事項をとりあげています。
これは僕が大学などで講義でお話するときの順番をもとに書きました。
まず地球の現状を「知る」ことからはじめて、一番みぢかな「食」から考えてみる。そしてそこから「農的生活」「エネルギー」「フェアトレード」のことなどを考え、実践例を紹介しつつ、思いを共有する仲間とつながり、安曇野での「出会い」をきっかけにして、ここからコミュニティをつくりましょう、というところにおとしていければ、と思います。
ゆっくりと自分を見つめて、時間をかけて育む 地球や環境にやさしい配慮をするライフスタイル。
じつはもうすでに目的地は見えています。

 わくわくしながら楽しくやろう。そうしないと続かない。
 持続可能であることは、楽しみながらできるということ。
 無理せず、だけど確実に。

こころの中にある不安を取り除き、希望をデザインしていきましょう。コミュニティのワークでは、クリスタルウオーターズやダマヌールの創立メンバーにコミュニティづくりのお話をうかがいました。そのときのこと、マレニーのジル・ジョーダンの手法などを参考に、参加者に自分たちのできる具体的なプランを考えてもらうことなどをやってみようかなとおもいます。

・クレジットユニオン
・地域通貨
・協同組合
・自然エネルギー

これらの考え方は、基本的な未来のコミュニティづくりの哲学を解説するのにとても有効です。
地域通貨ゲームのようなものも取り入れてみると、コミュニティウエイが理解しやすいかもしれません。

この文章はBeGood Cafe安曇野vol.18の打ち合わせの折の文章です。
ビジョンを共有しながら計画実施しています。
BeGood Cafe安曇野は毎回定員がオーバーする人気のワークショップになりました。

谷崎 テトラ, 谷崎テトラ・オフィス代表/構成作家・音楽家/愛知県立芸術大学非常勤講師.
TV・ラジオ番組の構成や出版の企画編集など様々なメディアのクリエーター。地球温暖化防止レインボーパレードやアースデイなどの環境保護アクション、虹の祭りなどのムーブメントのコアのひとりとして活動。ポエトリーリーディングと音楽によるユニットVOID OV VOIDをはじめ、TETRA TANIZKAI、PBCなどの名義で4枚のCDをリリースしている。非営利のコミュニティカフェBeGood Cafeには企画・構成のディレクターとして参加している。
 

秋田の高橋登さんからリンゴが届けられ一人1っこを丸かじり おいしかったナーーーごちそうさまでした。

夜のフリープログラム

・コミュニティーダンス/臼井朋子

コミュニティーダンスとは人が出逢うと言うことはどういう事か体全体 5感を通じて感じるワークショップです。
コミュニティを人の関係性で表しました。みんなの表情が楽しげですね。

 
 ファイヤーセッション

森の中で火を囲んで交流が深められました。拘束のない1番自由な時間です。

                     
11月13日(日)
06:30−08:00 朝のフリープログラム


・モーニンググリーンウォーク/杉本晴美

朝は氷が張るような寒い朝でした。森はすっかり紅葉 色とりどりの葉っぱが彩を添えています。

 

森の恵みで森のお弁当を作りました。


・モーニングヨーガ/臼井朋子

ヨーガとは結ぶという意味です。心と体 自分と相手 社会 自然 宇宙と1体になるのがヨーガの目的です。


・シャロムのパーマカルチャー的実践例紹介/臼井健二

 

  


08:00−09:30 朝食


09:30−11:00 「コミュニティーを知る」
          ・アマゾンメイナク族の教え/森谷博


PermacultureNative CultureHyakusho Culture

 パーマカルチャーと先住民文化

 ぼくはドキュメンタリーの撮影の中でアマゾン先住民と出会い、彼らの暮らしのクオリティに圧倒された。そして自分の暮らしを自分の手で作りたくなり、仕事を辞めパーマカルチャーを学んだ。やがてパーマカルチャーの基本的な理念と先住民の暮らしの知恵とに多くの共通点があることを知った。

 パーマカルチャーの3つの理念、「母なる地球を大切に、人々のことを大切に、分かち合いを忘れずに」。これらはアマゾンに暮らすインディオにとっては日々の暮らしの中で当たり前のこと。もちろんインディオはパーマカルチャーなどという言葉は知らない。パーマカルチャーの創設者ビル・モリソンは、パーマカルチャーの最終目標を「世界をジャングルで埋め尽くすこと」と言った。アマゾンの森とひとつになって暮らしているインディオは、自ずからパーマカルチャーの到達点そのものである。

 先住民の暮らしとパーマカルチャーと私たちとを結ぶ糸を、少々ひも解いてみたい。

森の哲学者メイナク族の知恵

 ブラジル・アマゾンに暮らす先住民メイナク族。いまだ伝統的な暮らしを守りながら森の奥で暮らす人々。彼らと1か月間生活を共にしながら取材するにつれ、その深い生きる知恵にぼくは打たれて行った。彼らの知恵を書き出せば、優に一冊本が書けてしまうが、今回はその一部を紹介しよう。

<身土不二の知恵>

 生きて行くのに必要なものは、数キロ四方の森から手に入れる。主食となるイモは森の中の畑で栽培し(育て方は自然農そのもの)、サカナは近くの川で釣り、バナナやパイナップルなどの果物は森の中に収穫に行く。ときどきはサルやバクなどのほ乳動物を狩る。半農半狩猟採集生活。

 家の建てるための木材は一本一本どこから採ってきたのか知っている。柱は樹皮で結束し、もちろん釘などは一本も使わない。屋根はバナナやヤシの葉で葺く。5年ほどすると屋根材は腐り、いろいろなところが痛んでくるので、家は取り壊され、新しい家が建てられる。取り壊された家の残骸はまた森に返され、土に戻る。家を建てるのは男の仕事で、家を一人で建てられるようになると一人前の男として認められる。

 アクセサリーは鳥の羽や木の実を利用し、ボディペインティングに使う染料は植物の種と油を混ぜて作る。陶器は特別な粘土に秘密の「つなぎ」になる粉を混ぜ野焼きする。野焼きに使う薪は、ムラのない焼き上がりにするためきれいに灰となって燃え落ちる樹皮を使う。このようにすると野焼きのような低温焼成でも割れにくい、水が漏れない陶器が焼き上がる。

<言葉を持たない>

 メイナク族のリーダーにインタビューすると、彼らのシンプルなボキャブラリーの中には、私たち現代文明人が普通に使っている多くの言葉が存在しないことが分かった。

 まず彼らの言葉には「自然」がない。西洋文明のように「自然」を自分と異なる存在として破壊したり、手付かずのまま保護したりする対象として見ていない。ヒトがいて、動物がいて、森があって、川がある。それらが有機的に利用し、利用され、影響しあい、変化しながら共にいのちを育んでいるのがこの世界で、「自然」と言う人間と離れた別の存在などあり得ないのだ。

 インディオは「自然」の一部となり、ヒトという役割を果たし、アマゾンの森をより豊かにしている。アマゾンの広大な森の3割はインディオの手が入っているとも言われる。パーマカルチャーで言うところの、「耕された生態系」をアマゾンを舞台にインディオは作り上げてきたのだ。

 彼らは「しあわせ」、「ふしあわせ」と言う言葉も知らない。しあわせな状態が当たり前だから。長老は「みんなが仲良く元気でいることが強いて言えば『しあわせ』と言うことだ」と言った。村人はいつも笑顔だ。ぼくは「一人だけのしあわせはないのですか?」と聞き返した。すると長老はぼくを指さし、「ではお前一人だけがしあわせで、ほかの人間がみんな悲しい顔をしている。それでお前は本当にいいのか?」と問い返した。「世界がぜんたい幸福にならなければ、個人の幸福はありえない」と言う宮沢賢治の言葉が頭をよぎった。その質問はぼくの胸にぐさりと刺さり、そして返事ができなかった。なぜならぼくは家族との関係を絶ち、自分だけが好き勝手に生きればいいと言う生き方をしていたから。

 「専門家」という言葉もない。そもそも職業と言う概念がない。皆ひとりひとりの人間であって、農民も、大工も、芸術家も、医者も、宗教家もいない。いや、ひとりひとりが、農民、大工、芸術家、医者、宗教家の全てでもある。自分のすべての可能性を思いきり開花させ、一部の自分でなく自分全体で生きている。

 パーマカルチャーについても同じことが言える。パーマカルチャリストは、暮らしに関係する全てをデザインの対象とするので、自分の能力を広範囲にわたり最大限発揮して生きる必要がある。しかし、それをどっちつかず、器用貧乏、などと評する人もいる。ビル・モリソンがパーマカルチャーを体系づけたとき、専門家たちは激怒したらしい。農学と林学、林学と畜産学、建築学と生物学などを融合してとらえていたので、専門家としての自負を傷つけられたのだろう。しかし、専門家には見えないことが、全体の関係性を見すえることによってわかることもある。

文明はどうして絶滅する?

 ここにふたつの興味深い研究結果がある。

「・・・ひとつは人類学で、もうひとつは生物学。それぞれの執筆者はお互いの内容についてまったく知らなかった・・・人類学者の方は、絶滅した種族について・・・生物学者の論文の方は、絶滅した生物種について、知られているすべての事例史を研究していた。つまりこのふたりの科学者は、絶滅の共通原因を追っていた・・・

   この研究者たちが発見したそれぞれの原因というのが、実は同じものであることが判明した。どちらも、絶滅は過度の専門分化の結果であると、結論を出していたのだ。」(『宇宙船地球号操縦マニュアル』バックミンスター・フラー著、芹沢高志訳、ちくま学芸文庫より)

 フラーは「過度に専門分化」した現代文明社会の持つ危うさを指摘し、もう一度人間が本来持っていた「包括的な能力」を取り戻すことが必要だと言っている。この「包括的な能力」とは、まさに先住民が持っている能力であり、パーマカルチャーの「森羅万象の関係性をデザインし、自分の暮らしを立てる能力」と言ってもいいだろう。つまりただひとつの専門性、手段に依存して生きるのではなく、自分の能力を最大限に発揮し、多様で重層的な生き方をすること。インディオの生き方はそのお手本だろう。しかし、、、

インディオも絶滅の道へ?

 ふと考えることがある。「過度の専門分化」が種の絶滅の原因だとすると、インディオも絶滅することになるのではないだろうか。なぜならグローバリゼーションが席捲した現在の世界の尺度で見ると、インディオの暮らしはアマゾンの森と言う環境に特化(専門分化)した暮らしである。お金と言う価値は意味を成さず、モノを多く所有することも関係なく、誰かと競争するという意識もない。そんな彼らは、森という環境がなくなったら生きられない。いま、その森が潰されて行っている。森に住んでいた動植物が絶滅して行くように、インディオも絶滅してしまうのか。

 彼らは今、二つの選択肢のどちらかを選ぶ岐路に立たされている。1)文明社会と隔絶した森の暮らしを守りながら絶滅して行くか、2)文明社会と折り合いをつけながら生き残って行くか。彼らはこの二つの道のどちらかを選択するしかない。生き残ろうとするインディオたちは、新しい環境に適応しようと様々な試みを始めている。現金を使い始め、ポルトガル語やブラジルの社会事情を学び、自分たちの存在をアピールし先住民ネットワークを作るためにインターネットを導入しようとしている。

 それらの試みは彼らの文明のある部分を壊して行くことになる。もう2度と、彼らの伝統的な暮らしに触れることが出来なくなるかも知れない。しかし、彼らの無垢な文明が変化して行くのを悲しむのは、現代文明人の身勝手な郷愁でしかない。

 なぜなら彼らを滅ぼそうとしているのは、そしてアマゾンの森を破壊しているのは、ほかならぬ私たちであるから。アマゾンから得られる資源(木材、牛肉、大豆、鉱物などなど)で日本人の暮らしは成り立っている。私たちの暮らしはアマゾンの森の一本一本の木のいのち、そしてインディオひとりひとりのいのちを奪って出来ている。(これはアマゾンに限ったことでなく、ほかの地域についても言える。)

 もし私たちの生活が自給自立したものであれば、アマゾンの森にもインディオにも迷惑をかけることはない。彼らを保護したり、支援したりするのはおこがましくて、彼らに迷惑をかけないような暮らしを作ることが、まず私たちがしなければならないこと。

 今年再びアマゾンを訪れ、森林伐採の拡大を目の当たりにし、私たちに残された時間はいよいよ少なくなってきている危機感を体感した。イギリス気象局は数年前の予測で、2050年にはアマゾンは砂漠化すると言っている。この地球にサハラ砂漠のほかにもう一つの巨大な砂漠が誕生することになる。かつて熱帯雨林だったサハラ砂漠がたどったと同じ歴史をいまアマゾンがたどろうとしている。

生き残るために

 ここで100年以上前に西洋人たちが書き残した文章を紹介する。*

「どうみても彼らは健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいのかもしれない。」

「この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である。」

「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったりと融けあう。彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しいものを見つけてじっと感心して眺めているとき以外は、絶えずしゃべり続け、笑いこけている。」

「赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことはめったになく、私はいままでのところ、母親が赤ん坊に対して癇癪を起こしているのを一度も見ていない。」

「彼ら(子供たち)にそそがれる愛情は、ただただ暖かさと平和で彼らを包み込み、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。」

「子供は歩けるようになるとすぐに、弟や妹を背負うことをおぼえる・・・彼らはこういういでたちで遊び、走り、散歩する。」

 ぼくが制作したメイナク族のドキュメンタリー・ビデオを見たあとこの文章を読むと、聞いた人は「ああメイナクの人々は昔から同じような暮らしを続けてきているのだ。このまま変わらずこの暮らしを続けて行って欲しい。」というような感想を持つ。しかし、実はこの文章はインディオのことを書いたものではない。100年以上前、つまり江戸時代末期の日本の一般民衆の姿を当時日本を訪れた西洋人が書き残した文章なのだ。現代日本人とは全く違う姿がかつてあったというこの事実を、私たちはどう受け止めれば良いのだろうか。100年前の日本の普通の人々は、インディオのような「しあわせ」や「自然」と言う言葉を知らない世界に生きていたのではないか(実際に「自然」という言葉は「Nature」の翻訳後として明治以降入ってきた)。インディオの暮らしを見て、懐かしさを感じるのは当然である。自分自身のDNAに刻み込まれた暮らしを見ているのだから。この文章の引用元である『逝きし世の面影』という本を読むと、日本人が失ってしまった、忘れてしまったものの大きさに涙が出てきてしまう。(そして、自分たちの祖先が培った素晴らしき文化にも。)

 あの時代、それは仕方なかったのかも知れない。西洋列強の軍事力、経済力に対抗するため、日本は富国強兵、近代化という至上命題のもと、江戸文明とも言える洗練された有機的な有り様を捨てて行った。そして現在、インディオが物質文明の侵略に対抗するため、自文化を変質させながらも知識と技術を持って立ち上がろうとしている。生き残りをかけて。

Hyakusho Cultureの復権

 明治維新に体験したそれまでの文化の喪失という経験を元に、私たちがインディオの文化とともに生き残る道はないのだろうか。今、私たちにできること。ひとつの答えは、農を基本とした自給自立の暮らしをひとりひとりが目指すこと。その道筋を照らしてくれる一条の明かりがパーマカルチャーである。しかしパーマカルチャーはあくまでも道先案内に過ぎなかった。

 パーマカルチャーと出会ったことで、ぼくは気付いたことがある。パーマカルチャーは30年前に様々な分野を有機的に結びつけた学問として体系付けられた。しかし、日本には2000年に渡って精神化・身体化してきた文化があったことを。その文化を「百姓」と呼ぶ。百姓とは農民のことではない。百の仕事と、その仕事の有り様を支えた文化である。ひとりひとりが多様な職能を持ち、それらの人々が周りの環境と有機的につながりあって暮らしを作り上げていた重層的な文化。里山や里地を活躍の場としていた、それが百姓である。まさに農を基本とした自給自立の暮らしを体現していた人々。オーストラリア、ニュージーランドのパーマカルチャリストたちが口々に言う「日本にあった素晴らしいパーマカルチャー」とは、まさにそのことなのだ。あえて言うなら、Hyakusho Culture

 明治維新、文明開化という近代化の名のもと、それ以前の百姓文化は「封建制度の中で自由もなく虐げられていた存在」として封印された。しかし、百数十年の時を経て、今百姓文化に光が当たっている。百姓はもっと自由で自立した存在だったと。日本人のDNAのなかにはそのしたたかな百姓の記憶がしっかりと刻み込まれている。数世代前の先祖はみな百姓だったではないか。

 私たちが目指すのは、輸入物のシステムの真似ではなく、自分のDNAに深く刻み込まれた百姓文化を覚醒させ、精神化・肉体化すること。その時、私たちはパーマカルチャーという言葉を必要としなくなり、日本のNative Peopleとして、この世界とひとつになって生きているだろう。あのアマゾンの先住民のように。

*引用文献『逝きし世の面影』渡辺京二(葦書房)

プロフィール

森谷 博 (もりや ひろし)      映像作家

  東京都下、元禄から300年以上続く百姓の家に生まれる。TBSテレビに10年間勤務。ディレクターとしてドキュメンタリーを中心に制作。取材で北極圏から南極大陸まで世界五大陸を旅し、遊動生活を続ける。

  その後、アマゾンの先住民と出会うことで、自分本来の土に根ざした生き方を模索すべく退社。百姓・庭師修業、主夫業の傍ら、パーマカルチャーを学ぶ。2005年、思うところあり再び映像制作を始める。

  現在、個人の映像制作工房「アトリエ 旅する木」を主宰。百姓映像作家として土とともに生きる場を探索中。

  HP : http://homepage.mac.com/walkinbeauty/

 

 

メイナク族長のユムインは言います。「みんな一緒だ。」

 

 

彼らは「しあわせ」という言葉を知りません。「ふしあわせ」という言葉も知りません。

 

 

インディオも私たち日本人も、同じ人間です。

 

 彼らは「自然」という言葉を知りません。
 


11:00−12:30 ワークショップ「コミュニティーをつくる」


12:30−14:00 ハッピーオーガニックランチ

二人でひとつのピザを焼く この繋がりがコミュニティーを作り出します。この笑顔は幸せな時間です。


14:00−15:00 エンディングセッション(シェアリング)

自分へのメーセージをかいてもらいました。記念写真と共に年賀状で送られます。

 

 

   


 にじり寄ってきた冬、付近の山も半分くらいの低さまで今朝白くなりました。
 

 帰りの森谷さんの車中での話し、同乗の彼女も「おおおっ」と声が出るほどの贅沢
 な時間でした。相変らず僕は、考えてはひらめいて、打ち込んでは考えて、レポー
 トを綴っています。これも至福のとき。これから週末、まとめる時間が取れなくな
 るので、その前に一度送ります。

 −−−−−−−−−−

 臼井さんいわく「知識は忘れる。経験は思い出す。自己発見は腑に落ちる。」
 
 経験と自己発見、つまり実践。実践者の話は伝わり力(りょく)が違う。
 森谷さんいわく「ヒトよ、物語を持て!」
  このつなげかた、しびれるぅ〜ぅ〜!!      高橋登

BeGoodCafe 安曇野 18 レポート  高橋登

ビーグットカフェのシャロムに赴くことの価値は、初めて参加したvol.11のオリエンテーションの時点で気がついた。「どんな目的で参加しましたか?」のグループ分けのゲームの瞬間に、出会いを求めていることをはっきり自覚認識したのだった。Vol.18のテーマはコミュニティ、これは全てを内包するパーマカルチャーになくてはならないもの「のように」感じたから、今回の参加も僕にとっては大きな収穫をもたらすだろうと思った。

じつはcommunityの意味に自信がないことがひっかかっていたので、帰った後で調べた。「(地域)社会; 生活共同体; 共有; (思想の)共通(性);(the 〜)一般社会,公民; (動物の)群生,(植物の)群落.」とある。あれあれ、僕は「コミュニティ」は「伝える行為」だと思っていたぞ。テーマの意味すらわかっていなかった、知らぬが仏の王様だな、こりゃ。僕は「無知仏明王」。ついでにcommunicate が「(熱・動力・思想などを)伝える; 感染させる(to)」、communication「伝達,通信,交信,連絡」、communicative「快く話す,話し好きな; 通信(上)の」・・・”com”には結びつきみたいなイメージがこめられているのかな。「コミュニケイト」が「コミュニティ」の根幹だから、当らずも遠からず。それでいいのだ。臼井さんから「パー」には「すべての」という意味がある、ていうことも聞いたな。

今回は特に最初から最後まで、僕にとっていつまでもとっておきたいような言葉がいくつも交わされた。

「毎日がお祭なんだ、だからそろそろおうちに帰ろう!」

              おうちはどこっ?? みんな迷子。迷子どうしで帰る。

「人とつながる(接する)ことでその人はすでに何かを発信して伝えている!」

              伝聞の効率を求めたもの、それがメディア。

「言葉によってモノゴトを分けている、言葉で選別しすぎていないだろうか」

              伝言の効率を求めたもの、それが言葉。

shere resources=余剰物の分配」

              適訳だと思った。

「経済成長に代わる概念ってなかなか無いなぁ」

              なんかないかなぁ。って探す概念かなぁ。

「地域通過は貨幣というトランプのババだ!」

              意義が巡ってきて手札と揃ったら、そのカードは手放すんだよ。

「みんなみんなというメイナク族村長の感覚」

              寂しがって人を求める、いいじゃないかそれで。

「生命エネルギーを出し切って死ぬ」

              ぽっくりさんとか嫁要らず観音とかという信仰は日本にあるものだ。

「子どもを叱ると大人が痛い」

              叱れない大人が増えた、というのはどう考えたらいいの?

「多数決がない」「法律がない」

              罪を犯しても、その人のいいところはみんながほめるという話を、裁判員制度が始まったら思い出してみよう。

「知識は忘れる。経験は思い出す。自己発見は腑に落ちる。」で、「ヒトよ、物語を持て!」

しびれるぅ〜ぅ〜! なんでもいいから一歩を踏み出したくなるぞ〜!

「信じるものはすくわれない」 自己判断力を持つと言うこと

              小脇に心配を抱えて進む。疑り深いのも進まない。

「いいところの多様さをすり合わせる処」

              そういうところを近所で探そう、つくろう。

「ちょっとずつのつながりへ、散歩!」

              見つけたら、つくったら、知りたくなったら、ちょっと散歩に出かけよう。

「人が集うことによって生まれるもの、それがコミュニティ」

              コミュニティは地域社会ですよ。どんなことで、どんなことに、人が集う状況にしようかな。

「滲むように伝わっていけばいい」
             
これは僕が思っていたこと。どこかのタイミングで話したような気がする。

ビーグッドカフェ安曇野(シャロム)で語りが繰り返されることで、表現が洗練されていく。

これらの言葉に刺激を受けて僕の中からも湧いてくる。

 パーマカルチャー基礎講座

僕は大勢の人前では緊張するので、今回も自分が何を話したかよく憶えていない。さらには、自分の意見を言うのに精一杯になるので他人に配慮していられない。竹前さん、テトラさん、晴美さん、森谷さん、そして聞いていた皆さん、失礼だと感じられることあっても許してください。手元に残ったメモには「安定剤」と書かれている。パーマカルチャーの奥行き感が増したことは、シャロムの場が大きく影響していると思う。パーマカルチャーの学術的な印象に、シャロムの気楽さのようなものが混じった感じ。コミック(comic)化できたから奥行きが増したのだと思う。

パーマカルチャーが自分にとって何なのか。

ひょっとしたら自分になるのかもしれない。

コミュニティーダンス

何度かの参加で緊張が和らいでいるので、やや緊張感を伴うプログラムをあえて選択してみた。時間になり場所に行くと僕と森谷さんのふたりっきり。そこで、テトラさんの講座が終わるのを待つことになった。そうしてテトラさんの話も大半聞くことができた。ダンスを止めかけたけれど、どんなことをしようとしていたのかだけでも知りたくなった。わかめ踊り、握手できるかな、あるく、いろいろあった。記録の杉本さんも加わる。オリエンテーションのときに体を動かすゲームをいくつかした、あの感じ。僕がやってみてもダンスとか踊りという言葉のイメージになかなか結びつかなかった。けれど、手本を示す朋子さんがやるとダンスになっている。うーん? 6人くらいに増えてからした、最低4人でするダンス。目を閉じて自立したひとりを、ほかの3人が「踊らせてあげる」というようなもの。はじめは座って見ていたら、すーっとイメージがつながった。朋子さんだけじゃなくてみんながバレエをしているように見えた。そういうことか! と思ってやってみても、僕はどうしても意識が邪魔をしている感じがした。一度だけ、ふぅっと腰のあたりが浮いたような瞬間があった。カラダで信頼ということを見つめられたと思う。ワークショップには「コミットcommit 〈スル〉 かかわること.関係すること.」と「サポート support 〈スル〉支えること.」が暗黙の了解として欠かせない。去年のvol.14、穂高養生園の福田さんが話した言葉を思い出した。ワークショップに限ったことではないなぁ。

モーニングクリーンウォーク

僕は2順目に参加。昨夜のコミュニティーダンスもそうだったけれど、目を閉じて受ける感覚って、意外。見ていると真っ直ぐな幹も、平らな地面も、手のひらや足の裏の感覚で感じるとすごくコブのある幹で、デコボコな地面。それと、シバが刈られた林の、なんと広々見えることか。隠れにくいからケモノが現れにくくなる効果もあるのだとか。寒かったねぇ。

朝食

モアイ像と日本人との関わり、重力を操れた古代文明人・・朝っぱらからこんな話が飛び出るなんて、すばらしい!

そうでなくても、やっぱりしあわせなシャロムの食事。

後日地元で。

意識が完全に落ちてしまった人は実際の重さ以上に重い、なんて話があった。酔っ払いきってしまった人を運んだという話なのだが、重力を操っていたなごりのようなものを思う。

ビーグッドカフェ安曇野で森谷氏のアマゾン・メイナク族の話にまたふれたので、そのなかから。

メイナク族には多数決が無いそうだ。決め事が必要になると男たちは(メイナク族は女たちが日々の作業をこなす)「男の家」に集まって、決め事に関する意見をひとりひとり述べていく。誰かが意見を述べているあいだは口を挟まない。ということは、全員が意見を述べ終わるまで聞き続けるということだ。それでとりあえず良さそうな意見にまとまったとする。ひとまずここで語り合いはやめて、そのときの話を各家族の中へ持って帰る。すると家族(とくに妻)から意見が出る。同意されればそのように、意見が付け加えられればそれなりに、男たちはまた「男の家」に話を持ち帰る。繰り返すうちに男たちの意見(ということは各家庭すべての意見)が合致して話はまとまる。ゆえに多数決はない。これは人口200人ほどの一族の話であるが、じつは僕たちは、このような意見の行き来をおろそかにしているのではないだろうか。決定を急ぐあまりに。「本当に良い」と思うまでは導入しない、という考え方が根底にある、という欧州の話も思い出される。意見の行き来がコミュニケイトであり、コミュニケイトが社会という広がりの根幹なのだと、ビーグットカフェ安曇野のワークショップに参加して感じた。

じつはこの「意見の行き来」、自分の中とも行われているのではないだろうか。感情や本音といった部分と、聞いたり見たりしたこと、時には自分がした言動とのあいだで、絶えず行き来しているようにも思う。

ハッピーオーガニックランチ

今回のしくじりが一番大きいかも。ひょいっと窯に入れたつもりだったけれどピザが降りてくれなかった。「あーやっちまったー」という勢いで包み焼きにしてもらった。それがどうして、おいしいし食べやすいし。ペアになった彼女がうまく丸く伸ばせたのに、まぁるいピザにならなくて、ごめんね。

1050円のキャンセル料

またしても興奮冷めやらぬビーグッドカフェ安曇野の帰り路。静かなる興奮の鮮度保持に抜群の効果をもたらす方法を選択して、電車のキャンセル料1050円のカードを手放した。このごろシャロムにも森谷さんにも慣れて緊張が邪魔することが少なくなった。僕は森谷さんの車に同乗して東京に向かうことにした。なにしろ、運転する講師の課外講座なのだから、渋滞の影響も至福のときである。森谷さん、カーシェアリングありがとうございますっっ! 

ここに報告。

「直接出会って「語る」ことの大切さ」

生身だからこその反応・醗酵効果が必ずある。それはシャロムで語り合って、こうして車内でお互い話をしているから、実感のなかで語られた。話を聞いていた同乗の彼女も「おおおっ!」と感嘆の声を発していた。それにしても、なにか実感を超えたような感じがしたのはなんだろう。悦楽感とでも言えばいいのかな? 

いまは手に余るほどの情報が快速に得られるようになった。だけれど情報を眺めただけでは身に入らない。「知識は忘れる。」 メディア上の情報には、生身の人間が発信する情報が欠けている。表情やしぐさや態度などの影響がない。その情報は情動で歪まないからいいこともある。二面性。

さてここで、直接出会って語ることが大切になるかならないかの分岐点があるように思う。「何を語るのか」ということだ。それから、「どういう雰囲気を維持するか」ということも。9.11直後の地球各地で測定されていた脳波のデータを集めて解析してみたら、ある共通する不安波が検出できた、という話が出た。信憑性はともかく、僕たちが考えてみたのはその逆、安心波を発信することはありえないか、ということになった。臼井さんが気に入って喜んでいた「お祭からお家へ帰ろう」というフレーズも「鮮度保持」によってベースになっていた。

いきなり森に帰らずとも、それぞれができる範囲で「お家に帰る」。一日数分でも、「お祭」の状態から離れて、内面を満たそうとするアンプラグな状態をつくるように心がけて、「お家に帰る」ようにする。どこかのリズムで、全人類が「お家に帰る」瞬間があるとする。不安波の話のように、まだ人類が共時性を感知できるのならば、安心波が最大になったその瞬間に、何を感じるのだろうか。何が起こるのだろうか。それが次元進化の瞬間なのだろうか。掴みようのない話だが、その瞬間を期待してもいいのではないだろうか。「お家に帰る」時間が長いほど、多いほど、実行する人が多いほど、その瞬間の訪れる確率は高くなる。半強制的にシステム化したもの、それが宗教用語で言うところの「祈り」なのかもしれない。ここの会話では宗教という分類はすでに意味を成していない。誰もが心地よい居心地を維持しようとするならば、そこに出会った語りは自ら持続可能な世界を紡ぎだすことになるだろう。

「お祭からお家へ帰ろう」というフレーズは、語ることにも当てはまりそうだ。うわべだけの二次情報(噂話)に終始する状態から帰って語る、それは自分の経験を話すこと、相手の経験を聞くこと、そこで紡ぎだされたことをまた話すこと、聞くこと。こんなことからも、丁度よいコミュニティの大きさが推し量れるのではないだろうか。焚き火を囲める人数を基礎として。人が増えすぎたら火を分けるんですよね。

「火を囲んで語る」

ヒトは火を知ることでサルから分かれた、とする説があるという。火を熾すことを知る、というのが正しいかもしれないが、火を眺めると原始の記憶が刺激されて内在意識と対面する状態になる。―――などということを、渋滞を知り、急ぐことをあきらめた3人でソバをすすりながら話していた。僕はその時、あっ!と思った。ファイヤーセッション、焚き火を囲める何人かと会話することを楽しみにし、そうしてきたが、火を通してヒトとではなく、ナニモノかと対話していたのではないか、と。そのナニモノかは「自分」である、と森谷さんは言う。僕は自分であっても自分でないナニモノかとも、対話しているように思った。いや、それこそが自分か・・。

森谷さんの車で帰ったおかげで、僕はひとつのビジョンを得た。僕がし続けていきたいこと「のような」もの。今年の夏、地元で市民グループ「のような」ものを立ち上げてみたものの、焦点がずれているような感じが抜けなかった。まず何を準備すれば焦点があうのか。それが見えたような感じがした。僕は焚き火で語る会「のような」ものを、立ち上げたグループの看板で始めてみようと思う。そのうち、囲んだ焚き火からいろんなものが立ち現れるだろう。

このビジョンが現れ始めたてきたのは言うまでもなく、二日目のワークショップにおいてである。「コミュニティーをつくる」という漠然たるものに取り組むには限られすぎた時間ではあったが、竹前さんが切り出した迫った話題でいくらかイメージしやすくなった。つまり、シャロムという場所がそのとき最も手近な参考であるという話題。共通目標を持てる共同作業ができること、その作業がテーマだけれども語る場所こそが必要とされていること、ちょっとずつつながれる出入の自由さがあること。ビーグッドカフェ安曇野が持続してほしい魅力の条件とは、そういうことになった。となれば、一見無駄だが必然性のある作業を探し出す。登山のような無垢な作業とは、大地と対話するような作業だ。真っ先に思い浮かんだものが「ファイヤーセッション」だ。夜、火を囲む。必然性がある。炎はなぜか見ていて飽きないものだ。語る内容も炎のように揺らぐ。加えて我が家ではリンゴを栽培しているので、枝振りを整えたあとの枝焼きは必然性のある作業だ。つまりこれは僕なりのビジョンであり、僕が行動して伝わる「物語」としての可能性も含んでいるのだ。物語は成功談だけとは限られていない。失敗談だったとしても、心地よさを持続したいという方向性で語っていけばいいではないか。

Vol.12で臼井さんにもらった大根の種、小さいけれどちゃんと大根になった。

いつしか僕も種を分けられるといいな。


┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ビーグッドカフェ安曇野 Vol.18 参加者募集! 11/12−13
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
           @長野県安曇野シャロムヒュッテ

「パーマカルチャーとコミュニティー・共に生きる」

http://www.ultraman.gr.jp/~begood/

爽やかな安曇野でパーマカルチャーを中心にした持続可能な
社会に向けたキイワードを学びませんか?
今年最後の開催となる今回は、この21世紀を共に生きるための
コミュニティーのつくり方がテーマです。
アマゾンメイナク族には私たちが失いかけている共生の知恵が
今も生活の中に受け継がれています。
また世界各地ではすでに新しいコミュニティーづくりが始まっています。
日本のコミュニティーの最先端をいく安曇野シャロムヒュッテ、
そしてビーグッドカフェ安曇野をぜひあなたも体感してください。

パーマカルチャー
森谷博
(パーマカルチャーリスト)




「シャロムのパーマカルチャー実践例」
臼井健二
(シャロムコミュニティー代表)

モーニンググリーンウォーク/
杉本晴美
(インタープリタ−)

 

世界各地のコミュニティーDJ/
谷崎テトラ

構成作家 ミュージシャン

 



モーニングヨーガ
臼井朋子

(シャロムコミュニティー)

シキタ純(NPO法人ビーグッドカフェ代表理事) 竹前成知(ビーグッドカフェ安曇野チーフ・ディレクター)  



[ 日時 ] 11月12日(土)13:00−13日(日)15:00

◇講師/臼井健二(シャロムコミュニティー代表)

       http://www.ultraman.gr.jp/~shalom/
      森谷博(映像作家、パーマカルチャリスト)
       http://homepage.mac.com/walkinbeauty/
      谷崎テトラ(構成作家、音楽家)
       http://blog.livedoor.jp/tetra_/ 
◇ナビゲーター/杉本晴美(自然案内人)
◇インストラクター/臼井朋子(シャロムコミュニティー)
◇DJ/谷崎テトラ(構成作家、音楽家)

参加料金 
・¥6000円 (フェロー会員は、年間4回参加 合計¥22000)
 食事と宿泊費は別途料金下記参照。/各回30名限定/必需品=軍手、農作業に 相応しい靴、帽子 
*定員30名。オーバーになりお断りすることが多々有ります。
        早めにご予約くださいませ。

■会場
舎爐夢(シャロム)ヒュッテ
〒399-8301 長野県南安曇郡穂高町豊里
Tel/Fax 0263-83-3838   shalom@ultraman.gr.jp
交通手段はこちらでご確認ください。>  http://www.ultraman.gr.jp/~shalom/

■交通手段と列車
 電車(新宿→穂高)  2時間55分 \6930
   あずさ回数券松本 6枚綴り\27000 4枚綴り\11900
 ・スーパーあずさ3号 新宿発08:00 穂高着11:00
 ・あずさ53号    新宿発09:00 松本着11:56
            松本発12:04 穂高着12:32 \320
 ・スーパーあずさ5号 新宿発10:00 穂高着12:50
 (あずさ回数券4枚綴りを2人の往復で使うと30%割安。@JRみどりの窓口)

 電車(名古屋→穂高) 2時間26分 \5980
 ・しなの11号    名古屋発10:00  松本着11:59 \5980
            松本 発12:04  穂高着12:32 \320
 (しなの回数券6枚綴りも割安。JRみどりの窓口で)

 高速バス/一番割安  片道\3400 往復\5950 4枚綴り\11900
            新宿発 07:50  松本着11:00 \3400
            松本発 11:06  穂高駅11:34 \320
            松本発   12:04  穂高駅12:32

 参加者の車に同乗希望は、掲示板へご記入ください。
      
 =穂高駅からシャロームヒュッテへの送迎あり。11:40、13:00。
  予約>azumino@begoodcafe.com TEL&FAX  0263-83-3838 シャロム

=車でこられる方は空席を掲示板にアップしてください。

     同乗できる方を探し高速ガソリン代をシェアーしてください。
  参考例 1km 10円として運転者に 東京〜穂高 250q 約2500円 


■必需品=軍手、農作業に相応しい服と靴、帽子

■お申し込み お問合せ BeGood Cafe Azumino メールにてお申し込みください
azumino@begoodcafe.com Tel/Fax 0263-83-3838
Mobile 090-1769-1598
■参加者自身も考え、皆で創りあげるワークショップスタイルです。
 

  予約 

  案内 

2005年フライヤー

宿泊のご案内:舎爐夢(シャロム)ヒュッテイベント特別価格
レギュラー宿泊◇1泊¥5000 (26 名)
シュラフ持参泊◇1泊¥1500 (20 名)ドミトリー男女別相部屋
テント持参泊 ◇1泊¥1000 (10 名)
夕食 ¥1200
朝食 ¥800
昼食 ¥1000
*労働力の提供でコミュニティ通貨PEACE がもらえます。
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Thanks for no Smoking  PEACE!