設楽プレゼンテーション 〜 アメリカのコミュニティー 〜  in シャロムヒュッテ   20041211

 

パーマカルチャーを学ぶものならば一度は耳にするだろう人物、設楽清和さんによるアメリカのコミュニティーについての二時間弱のプレゼンテーションをまとめてみました(^^)一年ぶりの設楽節は、ブランクを感じさせないほど(より凄味を増した・・・というほうが適切かもしれない)超高速でした。聞き落としたところ、理解できなかったかもしれないところ等多々あり全容がうまく伝えられるか不安ではありますが、そのときは設楽さんに聞いてください(><)))))〜。ちなみに今回紹介するエコビレッジは、Biocityに掲載されていますのでそちらも御参照くださいませ。

 

★設楽さんのアメリカ滞在スケジュール★

2003.11〜 ニュージャージー州トレントン(州都)に滞在。

     NPOアイル(?)によるCBCCommunity Base Development Cooperation

2004.5〜 テネシー州 The Farm に滞在。

    1970年代のヒッピームーブメントの際、形成されたコミューンのひとつ。

2004.11 ニューヨーク州 イサカに滞在。

    大学行、行政、市民の三つのパートナーシップによる世界有数のエコビレッジ。  →帰国。

≪なぜコミュニティーを追うのか?≫

設楽「人間がこの先も存続するとしたら、コミュニティーは必要である」

 PCCJのコラムに掲載中に「不信の国、アメリカ」をごらんになったでしょうか?アメリカという国を構成するキーワードとして、「多民族」、「個人主義」、「国土の広さ」の三つを挙げています。

まず「多民族」であるがゆえにアメリカでは共通する文化を持つことは、かなり骨の折れることであるといいます。文化は個人の付き合いの中から生まれますが、それぞれが持つ文化を理解するためのプロセスには大変時間がかかります。シャロムにはコタツがありますが、そこに集まると私たちは掘りごたつに足を入れ皆で輪をつくり団欒します。誰が合図するわけでもなく、自然とコタツに足を入れ温まる。これが日本の文化です。しかし、アメリカではこのようにはいきません。なぜコタツに足をいれるのか?やけどしないのか?何処までもぐったらいいのか?などを皆が理解しあわなければ、こうはなりません。このプロセスに膨大な時間のかかるだろう多民族のアメリカでは、共通の文化の形成とは私達には想像できないほど難しいことなのでしょう。

このような状況は次の「個人主義」を導きます。文化:その人間集団の構成員に共通の価値観を反映した、物心両面にわたる活動の様式(新明解国語辞典.第五版)の軽薄性のためにアメリカでは個人というものが反映されやすい国となります。そして、アメリカという一国の枠のなかで人びとが生きていくための「仕組み」が大きな位置を占め、仕組みのルールである法律が文化の代わりに個人と個人の対立を調整するのです。最近の日本の社会の現状も、これに近しいものになっています。

 そして「国土の広さ」からは、人間と人間物理的距離の長さが伺えます。上記のような心理的距離の長さに加え、物理的な距離も長いゆえに、隣人に対して気を配る・・・といった習慣があまりない、といえます。銃で身を守るのもそこに端を発するのかもしれません。

これらみっつのキーワードから導き出される結果が、「不信の国アメリカ」つまり、人を信じない国としてのアメリカ社会なのです。そして、この構図は様々な社会の歪をはらみ、それらを解消することは国の存立基盤に関わってきます。そこでNPO(非営利団体)の活躍が期待されることになるのです。

このようなアメリカにおいて、現在、第二次コミュニティームーブメントが起こっています。物質主義で孤独の絶えない社会において、人びとは結びつきを求め、コミュニティーを形成するようになりました。そのようなアメリカにおけるコミュニティーの動向は、アメリカナイズされつつある日本の将来にも大きく影響することとなるでしょう。また、日本の有している文化と融合することで、よりよりコミュニティーが形成されることも考えられます。なにより、文化の再興を目的とするパーマカルチャーの具体的姿として、エコビレッジ、コミュニティーは、私たちにこれから先の方向性を示してくれるにちがいありません。そのような想いによって、今回、コミュニティーに焦点をあて、話を進めることにしたようです。(注:私自身はアメリカに行ったことはありませんので、偏った見解であること、大アリです。アメリカって怖い国・・・というイメージを持った人のレジュメだと思ってください(・・;)。アメリカのいいところの話もあったかもしれないですが、マイ頭容量不足ですっ飛ばしてしまいました。もちろん、アメリカのいいところだってたくさんありますよね。公衆でもラブラブできるところとか・・・、あと、大統領選が国民投票だったりするところなど・・・かな?

 

○ イサカ

1993年、アメリカを横断した女性二人がきっかけとなり有志が集まり、エコビレッジの活動が始動。

二つの居住区(50ha)があり、それぞれ30戸が入居できる。家はコーパラティブハウジングでパッシブドーラーが基本となっている。イサカは緯度にして青森県と同位置にあり寒い冬をいかにすごすかがひとつのポイントになっている。一つ一つの家には、ローカル材やリユース材の利用、二つをひとつに(日本でいう二世帯住宅みたいなかんじ)し木材を節約、何戸かで共有するボイラー塔があり(煙突のように高くそびえている)個々の家の暖房を一緒に稼動させ省エネするなどの工夫が見られる。建てられる家は、日本のそっくり大量生産建売住宅とは違い、様々な大きさ、間取りである。また居住区では省スペースの観点から、プライベートスペースを極力小さくするために、コミュニティーハウスが設置されている。ここには、洗濯機、キッチン、ミーティングルーム、ゲストルームなどが内蔵されている。週に四回はこのコミュニティーハウスで食事がとられ、食事を作らなくても食べられ、住人と団欒できるので有意義な時間がすごされている。またコミュニティーガーデンもあり、自給のために自分で栽培することもできるし、CSAによってイサカ内の農家と提携することもできる。

ひとつあたりのお値段は、小さいサイズで1500万円〜2000万円ほどらしい。しかし、これは建物の値段で土地は別になっている。というのは、ここイサカは土地を管理するNPOと建物を管理するNPOそれに、イサカの運営をサポートするNPOの三つによって成り立っているからである。土地はNPOの所有となっており、そこを借りる形で建物管理のNPOが家を建てそれを販売する。販売された家の一部屋が賃貸に出されることはあるが、実際に家が賃貸されることはないという。設楽さんが宿泊したのも、賃貸の一室であったとのこと。コーパラティブの一室に住むってどのようなかんじなのでしょうか?聞くの忘れちゃいました・・・。(今度、教えてください!)イサカの運営をサポートするNPOは、イサカにあるコーネル大学の産学提携NPOの一部になっている。持続可能なコミュニティーの研究に、このイサカの町は事例として活用されている。大学における研究がイサカの町で実践され、またそこで学生が実践を体験できる。活動資金はこのコーネル大学のNPONPO助成金(?といっていいのか?プロジェクト費という意味)を獲得し、それをもとにエコビレッジが発展していく。このコーネル大学は、大統領を選出するほどの有名校であり、プロジェクト力も高く評価されている大学のひとつであり、資金源も豊かなようだった。また、このイサカのエコビデッジには、コーネル大学とイサカ大学の学生が2万五千人ほど住んでおり、住民の半分を占めている。エコビレッジに住んでいる学生もイサカにいながらして自分たちの住環境について考え実践するチャンスを持っているということになる。また、「サステイナブル・トンプキンズ」なるグループがあり、毎週一回勉強会を開いているという。新しい考え方を、継続して吸収することが、このイサカの発展に大きく寄与している。問題解決に向けての様々な側面をみなで吟味し、解決へと導いていく。そんな市民の姿勢もここならではかもしれない。

 イサカといえば、地域通貨イサカアワーのことを思い出す人も多いだろう。イサカの町の商店街はすごい!何がすごいって、グローバル系の企業がいないことである。マッ○とか、ケン○ッキーなどの看板は見当たらないし、ハイパーマーケットなど存在しない。100軒の店によって構成される商店街では、おおよそ30%まではイサカアワーで買い物ができる。ただし販売高の多い生協においては、2割までとなっている。ある古本屋などでは、100%イサカアワーで買い物ができるらしい。これには、皆でびっくり!臼井さんは、そうだそうだ!と行け行けサインをだしていた。安曇野ハートマネーももうすぐそうなるらしい。イサカアワーのシステムは、以下のとおりだ。会員制になっており、入会に5ドルを払う。そうすると、1ドル50イサカアワーを獲得する。これはドル換算で15ドル分に相当し、つまり三倍の価値になって還ってくる。後は使うだけで地域通貨の残高チェックなどは一切おこなわれない。一年に一回、地域通貨の使える店のリストを作成し配布するだけである。このあたりはマレーニ(オーストラリア)とは違うところである。(ただし、税金はドルで支払わなければならないので、店のオーナーは、販売収益をチェクしなければならない)現在、会員数は1000名ほどでスライドからは活気ある商店街が伺えた。

 当日論議を呼んだのは、三倍になるイサカアワーと、商店街の経営者の損得感情である。三倍になったら、だれがその分を保証するのか?店の経営絵者は大損ではないのか?などなどいろいろと質問が狂喜乱舞していた。基本的に、地域通貨はブロック経済の範疇になる。商店街は自営業の人が多いし、150人中7割は自宅で職業を持っているという。主な産業は農業(CSA=産消提携、狭義の産直)で、最近それに教育が加わりつつある。農業を例にすれば、資材費などは外部から購入しないとならないが、労働費というのは地域内で(それこそ自分の体)まかなえる。また、地力などは地域の資源であって、(本来、されるべきものではあるが)コスト換算はされない。

地域通貨で流通するのは、地域の資源に基礎をおいたサービスなのだから、地域内にかぎってー販売―消費―そしてまた販売―循環すれば、サービスの流通はドルによる流通と実質変わらない。外部からの購入のみに頼っていないイサカだからできる100%地域通貨なのだとだろう。またおそらく、三倍は加入者にとってインセンティブとしてかなり効果があるとおもわれる。週末の朝市ともなると、多くの人が店を出し、イサカアワーで買い物をする。自分の店で獲得したイサカアワーを持って、ここにいけば、自分の食料をしかもドルの三分の一で買うことができる。ドルで買うと、地域内、地域外に関わらず、海外のものでもなんでもかえるかもしれない。しかし、イサカアワーで買うならば、地域内のものだが、生活に必要なもの、しかも地域で生産された、輸送費のかかっていない、そしておそらく地域の自然にやさしいものが、人の手を通じて買うことができる。確かに、「円」は持ってさえいればその金額まで何でも買えるし、自分の時間を仕事に用いればいくらかの「円」を獲得できる。しかし、何キログラムかのパンと私の何時間かの労働は同じ単位で比較することはできない。本来貨幣は必要なものを交換するために存在する手段なのだから、相対する当人同士が納得して交換するならばそれでもいいとおもう。クリアすべき社会的な問題はたくさんあるけれども、まずはそういったつながりを増やしていくように生活することからはじめようと思った。

ここイサカで起こっていることは、本当に刺激的なことばかりであるようだった。あるイサカ人に言わせると、世界のニュースで流れる先進的な事例―地域通貨や環境問題に対する方策―は、ここイサカでは10年も前に取り組んでいたことなんだそうだ。そんな誇りがここイサカをよりよいものへと進化させる原動力となっているのかもしれない。ここイサカでの素晴らしい活動の数々は、知的レベルの高いコミュニティーだからできること、ともいえるが、そうなるように努力しているからできることなのかもしれない、と感じた。

 

<みんなで洗濯するために工夫する>

共通の文化のない人びとが一緒に生活するために、いろいろな工夫がイサカではされている。ここでは、洗濯に関するストーリーを紹介しよう。コミュニティーハウスの中にある共有の洗濯機では、きっと日本のコインランドリーと同じようなことが起こりうるはず。洗おうと思ったら混んでいた。後できたら他の人が使っていた、乾燥機に入れる前の段階で放置されていた、なんてことあるだろう。そこで、イサカの洗濯機にはリストが設置されている。名前と順番を記入するだけの簡易なものではない。どれくらいの温度で何分間かんそうするのか、など個人の好みが記入できるリストである。それをもとに本人がいなくても洗濯機と乾燥機は稼動する。そして、洗濯物は乾いていく。これはとても気持ちいいシステムであると設楽さんはいっていた。プラスの思考が循環するからだと思う。自分のすることをやってくれた人がいる。ラッキー☆思う。そして、今度は自分も他の人のために行動する。「おもいやり」の循環で気持ちのいい暮らしがきる。きっとこれは金銭的なシステムでも、法的なシステムでも実現できない。こんな本来人間が持っている特性を活用しない手はない、と思った。

<ネットワーク・ソサエティー>

設楽さんが英語で読んだエマニュール・カストロなる人物の著作名(キューバ人?)彼のコミュニティーに関する洞察が面白いということで(たぶんいわんとしていることは)現代社会でアイデンティティーを失いやすいのはコミュニティーがないからである。健全なコミュニティーにおけるアイデンティティーは、自分の行動がコミュニティーに直接関わること、参加することである。しかし例えば、宗教などよる団結の結果そこに存在することでアイデンティティーを得るとなると賛同できない他を排除することとなり閉鎖したコミュニティーになってしまう。つまりコミュニティーのあり方が問題になってくるわけで、コミュニティーは常に目標を定め活動を続けなくてはならない。そしてアイデンティティーは自分そのものではなく、その目標への活動、達成によって確立しなければならない。そういう意味でイサカでは常に新しいものを取り込みよりよいものを作ろうとする姿勢が評価できる。自分の外に自分の価値を求めるかどうか、は様々な意見があるだろうけれども、これもひとつ面白い洞察だと思いました(設楽先生、間違っていたらごめんなさい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○ アイル 低所得層の問題にあたって、コミュニティーを基礎に解決にあたる。

CDCCommunity Based Development Cooperation)の歴史

1968年   ジョンソン大統領「貧困撲滅キャンペーン」

1970年代 ケネディー大統領 コミュニティーをベースにして再開発する場合に補助金を交付する。

         住民による参加が前提となる。=CDCが社会に受けいれられた。

        現在、3億円/年の資金力をもつ

 

<social organization>1960年代

自分たちで団体を作り、自分たちの生活を改善するように訴えて行動する。みずからの力で問題解決にとりくみ、その成果も報告されている。政府主導のハードに偏った対策が行き詰まりを見せていた時期であり、注目をあびた。

 

アイルは、プリンストン大学卒業生がはじめたものである。彼?は、低所得者層の問題をアメリカにおける南北問題ととらえ、これを解決するために活動を開始した。産業の発展に伴う都市の空洞化から、中心街は犯罪が多発するスラム街になりやすい。そのような地域では、低所得者層が住民となるため税金未払が積算し、結果として自治体からレッドラインを引かれた政策的支援打ち切りゾーンに区分される。こうなると、ますます貧困化と治安悪化は進行し、その悪循環は断ち切れなくなってしまってしまう。そこで、非営利団体であるアイルが介入し活動を展開することになった。

 その際、ポイントとなるのがCDCである。コミュニティー、NPO,自治体がそろって古くなった地域の再開発に取り組むものであり、ここでは、低所得者層の住民、開発プログラムの提案、実行役のアイル、そのための場所や広報役を自治体が担うことでプログラムは進行する。三位一体(?)のプロジェクトといえよう。ここでは、その中から二つのプロジェクトを紹介しよう。

 

@☆Home Owner Program(我が家を持とうの会)

家というのは、誰にとっても必要なものである。しかし、この低所得者層の人は定住することができない、まさにhomelessな状況にある。そのため、普段から常習的な犯罪にも手を染めやすく、そのことがさらに、安定した生活を遠のかせている。そこで、アイルが着目したのは、家を持つことで得られる変化である。自分の家を持つということは、生活基盤が形成されるという意味をもつ。毎日、そこで起床し、食事をし、仕事に行き、そして帰宅し、そこで食事をとり就寝する。家の家賃のための収入をえるために、職業にも就く。そして、なにより財産としての家をもつことで、メンテナンスなどの意識改革が芽生えるという。おそらく、モノを大事にする、とか人に優しくする、などを家庭において体験することで、意識が改革されるのだろう。

そのために、まず自治体が低所得者層向けのビラを作成、配布をし、場所などのセッティングをおこなう。対してアイルはソフト部分を担当し、上記のようなプログラムを遂行する。それと同時に、古い居住区を再開発し、プログラム修了者に提供できる準備もおこなう。おそらく、その際の居住区はアイルが買収し、低所得者層に賃貸?売却?する。代金を自治体?所有者に返却するというシステムもあったように思う。古いビルや居住区などもリメイクすれば、まだまだ住めるものであるから、アイルのスタッフは、「これはパーマカルチャーだよ」と自慢げに話していたそうだ。立派なプロジェクトだと感心した。

 

Youth Builder(若大工育成講座―若者!手に職を!)

 この地区における高校修了率はおおよそ40%といわれている。つまり6割も学生は高校をドロップアウトする。その行き先は、麻薬や犯罪などのスラムの根源へと吸収される。そのような状況を打破するために、この若手大工育成講座は開始された。いわゆる専門高校のシステムを思い浮かべて欲しい。午前中は朝7時から講義があり、午後は実地で大工の修行、加えて必要となる数学の勉強や就職の際の面接の練習、など多岐にわたるプログラムが組まれている。そのうえ、この研修地は前述の古いビルや住居区が該当する。つまり、このYouth Builder@Home Owner Programは連携したプログラムになっている。この2年間のプログラムを修了すると、高校卒業と同等の資格が授与される。卒業後に大学へ進学希望するもののことも考えられており、実習で建築した建物が完成、収益をえた際には、その一部をファンドとし、卒業生の大学進学の資金とされる。まさに「パーマカルチャー」な(?)プログラムになっている。

 

○ まとめ?

<人間のありようと、社会のありようが乖離している現代>

問題:財政負担が増えても、その効果は期待できないことが増えてきた。

→健康保険、年金など、財政負担(税金)したその分に相応の効果が全ての人に得られているか、

というと疑問に思う人もおおいだろう。

*大きなシステムゆえに、大きな負担を負わねばならない。

・・・政府不介入でも社会が安定するような方策はないのか?

▶ NPO,NGOによる、コミュニティーを再構築しようとする活動に期待。

  

<コミュニティーとは・・・>

 

■『広辞林』

@一定地域に在住し、共属感情を持つ人々の集団、地域社会、共同体

Aマキヴァー() 個人を全面的に吸収する社会集団、家族、村落

 

■仏:哲学者「コミュニティーの役割は、人間の本質を100%満足、発揮させること。」

  =コミュニティーは、コミュニティーのために存在する。

  =人間が存在するための必須条件ともいえる。

 

■ヘーゲル『歴史哲学講義』

個人が満足する社会=自分のやりたいことと、社会の方向が、完全に一致するもの

 社会の発展を三段階に捉える

 

@自然の支配をあるがままにうける社会

A自然から孤立して、アイデンティティーを確立しようとする傾向にある社会=現在地はココ☆

Bコミュニティーの存在する社会

 

管理不能にある社会にあって、「生きている実感がない」と感じる人がおおいのは、社会が我々の意志からはなれ、勝手に動いているからである。人間性が無視されている社会の仕組みは、人間に孤独感を、自然に汚染を与えている。いま、どのように生きていくのかを考え直す契機としてコミュニティーが発現されてきたのかもしれない。現在、日本には集落が15万戸あるという。日本の歴史を振り返ると前近代社会においては、コミュニティーを重視しすぎた節があった。家による職業の強制的な規定などはその例である。そこからの脱却として、個人を重視する風潮が高まりをみせ、現在まで都市化により個人が尊重されやすいだろう社会が模索されてきた。しかしここでは、孤独感など様々な個人主義から発する弊害が認識されるようになっっている。この二つの局面から、インターナショナルなコミュニティー、意識的なコミュニティーなど、新しいコミュニティーを創造する、それが今私たちが考えていることなのかもしれない。


 

≪冬の宴≫ 一人持ち寄り一品制って、こんなにも豪華な食卓になるの・・・♪

          (・・・酔っていたので、写真とかないです。ゴメンナサイ!)

 

 誰も「お酒を持ってきてね♪」とは一言も言わなかったのに、お酒が集まる集まる・・・。おそらく一本/一人ぐらいはあったのでは?ほんに、よい宴でございました(=^^=)。やっさんの飲みっぷり、梅ちゃんの超熟リンゴ化などが、なんともいえず「ほんわか」した雰囲気を演出してくれていました。それにしても、ティータイムのお菓子の勢ぞろいにも驚きましたが、この宴会のラインナップもすごい!! 皆の料理でこれほどまで贅沢な御馳走が勢ぞろいして、一人としてかけることなくテーブルを囲んで賑わうなんて、これに勝る宴はなし!参加できなかったメンバーとも、ぜひもう一席設けてやりたいものです。

せめて、記憶のある限りのメニューを書き綴っておきたいと思いました。

 

《メインの部》

こんなに様々な料理がしかもお手作りで出てくるってすごいです。想像するだけでもよだれが・・・(笑)

 

大阪人によるたこ焼き。

基本セット(材料や、鉄板、カセットコンロなど)は、詩さんが用意したのですが、ひとつ焼きだしたら、大阪人が「黙ってみていられない」のか?ともこさんも、シャロムに子どもたちも、さよこさんも、鉄板のたこ焼きをくるくると、焼いてくれました。外側はカリッとしているのに、なかはふわふわで懐かしいたこ焼きの味がしました。大阪人の作るたこ焼きって本当に美味しい。今まで食べたなかでこれが一番おいしかったです。わいわいいいながら、鉄板を囲む姿って日本の文化かもしれませんね。

 

 レンダンカレー

かよさんプレゼンツのインドネシアカレー。牛肉を刺激的なスパイス&ココナツミルクで煮込むドライカレー。実は私、ココナツミルク系のカレーに、今はまっているんです。辛いけど、ココナツの香りと風味が、日本にはない味で、最高に美味しかったです。目を盗んで三つも食べちゃいました(笑)。レシピを聞いたら、インドネシアでかってきたレンダンのシーズニングで煮込んだだけ、とのこ

と。日本で見たことない、とのことでした。ところが、翌日、松本の輸入食材店で発見!!アジアンホームグルメのレンダンカレー221円!則買いしました(><)家に帰って作ってみまーす。

 

八丁味噌のお味噌汁

シャロムの畑でとれたやっさん大根と白菜が具の名古屋味噌汁。八丁味噌って味が濃いイメージがあったけど、コクがあって風味が深い。取れたての野菜の甘味も八丁味噌に溶け込んでいて、美味しかったです。それにしても、階段途中の自炊用キッチンでアウトドアー用ガスコンロで味噌汁作っているやっさんを皆様にお見せしたかった・・・・。(梅ちゃん、写真とれた?)やっさんって、何をやってもかっこいいですよね。ビバ、皆勤賞!!

ダッチオーブンで作る、丸鳥粥

安曇野一期生によるプロデュース。大型ダッチオーブンに丸ごと鳥一匹とお米とお水で煮込んだお粥は、ザーサイ、ねぎ、しょうが、食べれる七味唐辛子、しょうゆ、塩、胡椒などをお好みトッピングして食べます。薄味派の私は、なしナシで食べてましたが、鳥のうまみが凝縮されていた本当に美味しかったです。台湾で食べたお粥みたいなかんじで、とろとろ(でもさっぱりがいい!!)。その他のダッチオーブンでできる料理やメンテナンス方法などを教えてもらいました。やっぱりダッチオーブン、買います!!メイさん、情報待っていますね♪

 

 カボチャのそのままグラタン

これまた詩さんによるカボチャの丸まるグラタン。なかに何が入っているかは切ってみてのお楽しみ・・・ということで、めでたく一期生のアンドルラと一緒にケーキ入刀(この字であってるのかしら?)!なかには、たまねぎのみじん切りとチーズ、生クリーム、パン粉、ナツメグ、タイムなどのスパイスがぎっしりと入っていました♪「これ、肉ない?うそでしょ〜」みたいな味。ほんと、フランス料理店なんかでサーブされそうな料理です。お見事!シェフ!詩世。これほど上手な料理の腕前で、はやく本物のケーキ入刀してくださいませ。

 

《デザートの部》

おまたせしました。デザートの部です。これもまたすごいですよ。

 

ベイクドチーズケーキ

いなこメイドのチーズケーキ。シャロムにただ入り浸っていただけではなく、料理の腕をも磨き、いまではパンなんかも簡単につくってしまうとか(臼井情報より)。このチーズケーキも、とてもなめらか(絹級です)・・・。たしかヨーグルトがはいっていたのかな?一回りしたら、ケーキがなくなっていて、もう少し大きいのをピックアップすればよかった・・・とひそかに後悔していました(>、)また作ってね。

 

芋プディング

ともこさんによる芋羊羹あらため、芋プディング。見た目は確かに羊羹かもしれない!しかーし、味わいはプリン。まちがいなくプリンです。やわらかい味わいと食感は、誰にでも愛される味です。豆乳が入っているとか、コメントがあったかもしれないですが、厳密なレシピは聞き逃してしましました。食べたい人は、シャロムで注文してください。一度御賞味あれ!!

 

フルーツ盛り合わせ

りんご(梅)ル・レクチェ(アンドルラ)柿シャーベット、梅酒の梅、キュウイ(しほしほ)による盛り合わせ。

ちなみに、柿シャーベットってたいした名前ですが、実際は熟してじゅるじゅるになった柿(今回は渋です)を凍らせただけのものです。はい。今頃木になっている柿を無事ゲットできたなら、少し凍らせて御賞味くださいませ。それなりに美味しいですよ。

《夜食の部》

ここまでたべて夜食までたべるんだから、このメンバーはすごい・・・。とはいいつつ、しほしほは帰ってしまったので、このあたりは定かではありません。おそらく、テラ特製おほうとう(でもアボガド?見たいな物体がはいっていなかっただろか?洋風なイメージのおほうとみたいでした)などが出た様子・。・ また、ダッチオーブンのお粥もバージョンアップして出されたとの話も・・・。みんな食べすぎだよ(><)

 

修了生の参加を見込んでいたのに、落第生(おちこぼれ・・・と読む)である、しほしほ&さよこ姉さんが突如として参加するなんて!?梅ちゃんも詩さんもびっくりして、何度も「おちこぼれー!(言い過ぎ!!ですよ。)」と叱咤激励(?)してくれました。あぁー、一年は早い!(私はのろい!)。さよこ姉さんは、めでたく自由人(先日、退社告知済み)となり、来年は補講皆勤賞を狙うらしい・・・。すさまじい・・・。そしてしほしほは、そんなむずかしいことできないので、三ヵ年計画で、来年三回、再来年三回で、修了することを目標としました(笑)そんなわけで、きっと皆様ともシャロムで、また他の思いがけない地でお会いできると思っています。そして、ラダックのビデオもパーマカルチャー安曇野2004なくしては完成しなかった(事実談)のですから、なが〜く、ふか〜く、そして、よりそいながら温かくこのつながりは、いきつづけることでしょう。それぞれ離れて生活していても、きっといつもどこかでつながっていることができる。こんな幸せを本当にありがとうございました。